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第5話

   わたしは足音を忍ばせて後ずさった。鼓動が速い。図らずも盗み見ることになった一幕は、痴話喧嘩以外のなにものでもない。  誓って、同性愛者を色眼鏡で見たことはない。だからといって、驚きを禁じえない。天音がそういう性癖の持ち主だったとは、夢にも思わなかった。  天音の視線が、すいと建物側に流れた。タッチの差で物陰に隠れそこねたわたしを認めて、微笑(わら)った。 「遠路はるばる、ようこそ、義兄(にい)さん。お目にかかるのは里沙の結婚式以来ですね」  わたしは、ぎこちない会釈を返した。眼鏡をいじりながら庭に取って返す。よそゆきの笑顔をこしらえて天音と向き合い、殊更にこやかに話しかけた。 「里沙から聞いてると思うが、迷惑でなければいいが。一週間ほど世話になるよ。よろしく、天音くん」 「一週間といわず、一ヶ月でもかまいません。ひとりで退屈していたんです。歓迎します」  右手が差し出された。わたしは目をしばたたいた。天音と、宙に浮きつづける右手を交互に見やると、当の天音は困惑気味に口許をほころばせた。  ようやく合点がいった。そうか、握手か。  チノパンに掌をすりつけた。汗をぬぐったうえで右手を握り返した。夏の盛りだというのに、陶器のようにひんやりした手だ。  ところで握手に応じたさいに掌をくすぐられたように感じたのは、気のせいだろうか?   ……気のせいに決まっている。これは一種の職業病といえるが、他人のなにげない言動にいちいちひっかかるものを覚えて、何か裏があるのではないか──と深読みするのは悪い癖だ。  それはそうと殺気を感じる。肩ごしに振り向けば、天音の恋人とおぼしい青年が残忍な目つきでわたしを睨んでいた。  彼の観点に立てば、わたしは確かに闖入者(ちんにゅうしゃ)だ。〝恋人の家〟に逗留するわたしに反感を抱く気持ちは理解できなくもない。  しかし、むき出しの敵意をぶつけてこられると、カチンとくるものがある。  握手を解くと天音は先に立って歩きはじめた。わたし、青年の順でそれにつづく。

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