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第11話

 異論はない。螺旋階段をのぼりつめると、小ホールを挟んで東翼と西翼に分かれていて、客間は東翼の突き当たりに位置していた。  そこに落ち着いてボストンバッグをあけた。数日分の着替えとワープロ、資料がひとそろいと辞書と筆記用具。  着替えはクロゼットにしまい、商売道具は抽斗(ひきだし)に螺鈿がほどこされたライティングデスクに置いた。  一段落したところで、天蓋つきのベッドに腰かけた。  賓客になった気分が味わえる絢爛たる造りだ。カメラを持ってこなかったことが悔やまれる。  家具調度が中国風(シノワズリー)でまとめられた客間は、けれん味にあふれ、拙作の舞台に拝借するのにもってこいだ。  バルコニーに出た。手すりに肘をつき、あれはサギの仲間だろうか、白い鳥がくちばしで湖面をつつき回すさまを眺めた。  山荘の背後は、鬱蒼とした森だ。葉ずれをBGMに、紫煙をくゆらす。  眼鏡をずらして目頭を揉んだ。目下、月刊の小説誌に連載を三本抱えているのだが、正直に言ってスランプ気味で、毎月締め切りを守るのがやっとという状態だ。  この春には脱稿する予定だった書き下ろしの原稿に至っては、佳境に差しかかったところで壁にぶつかっている。  環境が変わればスランプから脱出できるはずだ。ついては、気分転換するにうってつけの場所がある──それは里沙の発案で、その里沙は、商用とバカンスを兼ねてヨーロッパに滞在中だ。  ふつうは夫婦そろって弟の家を訪れるものだ。それでなくとも結婚して十ヶ月いえば新婚の部類に入る。  だが、妻を束縛する気はない。それに里沙はおよそ家庭的な女性ではないが、〝呪われたダイヤモンド〟にまつわる逸話を例に挙げて蘊蓄(うんちく)を傾けるさいには目がきらきらと輝いて、好きだ。  手すりから身を乗り出した。湖面を吹き渡る風を胸いっぱいに吸い込むと、心が凪いでいくのを感じる。  静かな環境という点において、この山荘は申し分がない。  少なくともトリックを思いつきかけたところに間違い電話がかかってきて、一連のやりとりに集中力を妨げられる心配はなさそうだ。

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