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第27話

「おい、天音くん!」    風が木霊(こだま)を返してよこした。あわてて追いかけたものの天音は足が速い。おまけに、こちらは土地勘がない。  伸びやかな肢体は()()にまぎれて、もうどこにも見当たらない。 「天音、義理の兄貴とかっておっさんと一緒なのか、天音っ!」    荒々しい足音が近づいたかと思えば遠ざかり、ねぐらから追い立てられた野鳥がいっせいに飛び立つ。  わたしは、ため息をついた。天音も罪作りなまねをする、と頭を掻く。つれなくされればされるほど、かえって天音にのめり込むタイプではないのか。野卑な言動が印象に残る、あの青年は。  小川を跨いだ。羊歯(しだ)をかき分け、シャツに鉤裂きをこしらえて悪態をつきながら、獣道を踏み分けていく。  遠回りして帰ろう。哲也と出くわして、喧嘩腰でつめ寄ってこられたときには業腹だ。  ところで怪我の功名だ。森の奥は手つかずの自然が残り、創作意欲を刺激される。探偵役の主人公と殺人鬼が、こういう森を舞台に追跡劇を繰り広げる話を書いてみるのも、おもしろい。  松ぼっくりを拾い、鱗のような笠を剝いだ。  それにしても不可解だ。どうして天音の一挙一動に心をかき乱されるのか……そうか、里沙がヨーロッパに旅立って今日で三日。つまり欲求不満なのだ。山荘に戻ったら電話を借りて里沙に国際電話をかけよう。  妻を〝補給〟すれば、彼女と顔立ちがそっくりな義弟がまとわりついてきても、おかしな気分に苛まれることはなくなるだろう。  だが最前、我を忘れて舐めすすった血の味が味蕾に甦ると、胸の奥がざわめく。

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