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第30話
木苺の群生地を見つけて、ひと粒つまんでみたときだ。ぱきり、と枯れ枝を踏みしだくような音が風に乗って運ばれてきた。
人声がかすかに聞こえ、わたしは首 をめぐらせた。
世間話の延長で、天音がこんなふうに愚痴っていたことを思い出した。
ときおりハイカーが迷い込んでくるのだが、中には湖畔にテントを張って酒盛りを始めるやつがいる。あまつさえ山荘に押しかけてきて食料をせびるやつもいる。
この瞬間に森をうろついている輩 は、別荘を荒らして回るチンピラの類いかもしれない。では不審者を見つけしだい、ここいら一帯は私有地だと、ひと言注意したほうがいいだろう。
耳をそばだてた。葉ずれに混じって、人声がまた切れ切れに聞こえた。
にわかに強まってきた風の音にかき消されがちなそれは、呻き声に近い。
眼鏡に手をやった。森の中をさ迷い歩いたあげく力尽きたハイカーが、助けを求めているのだろうか。
幽 けし声に導かれて足を速めた。藪を漕ぎ、灌木を跨ぐ。
これは、おそらく台風の影響だ。からりとした好天に恵まれた昨日とはうって変わって、やけに蒸し暑い。汗がじわじわとにじみ、羽虫が顔にまとわりついて鬱陶しい。
眼鏡のレンズが曇る。外し、何気なく目をすがめたせつな、異質なものが視界をよぎった。
緑したたる森の中で、肌色をしたそれは逆に目立った。といっても裸眼では、一メートル先に置いてあるものですらぼやける始末だ。だから最初は等身大の人形がもつれ合っているように見えた。
眼鏡をかけ直して息を吞む。わたしは、咄嗟にしゃがんだ。カニさながら這うように横にずれて、巨木の陰に隠れた。
「天音……いいか、いいだろう? 天音」
「もっと……奥、突いて、く……れ……あっ!」
とびぬけて背の高い糸杉のかたわらに、立ったまままぐわう天音と哲也の姿があった。
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