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第4話

 翌朝、恋人のベッドで1人で目覚めた郎威軍(ラン・ウェイジュン)は、寂しさに気が重くなった。  だが、それを振り払うように勢いよく起き上がり、てきぱきと身支度を始めた。  仕事中は、オーダーメイドのスーツを愛用している郎威軍だが、プライベートでは服装に無頓着だ。  恋人の加瀬(かせ)志津真(しづま)も、私服にそれほどのこだわりを持つ方ではないが、官僚出身だけあって、きちんとした素材の物やブランド品などを揃えている。特に着る物にこだわりを持つ方では無いとはいえ、2人で休日に出掛ける日など、趣味のいいシャツやジャケットを着た加瀬の隣で、みすぼらしい格好をするわけにはいかない。  まず郎威軍は、加瀬のサービスアパートメントから通りを1つ渡った場所にある、地元系のデパートに向かった。地下鉄から直結の便利なデパートで、地下には日系のベーカリーも入っており、ここのシュークリームは加瀬もお気に入りだ。  このデパートの紳士服フロアをくるりと回ったが、気に入った服が見つからず、迷いながら淮海路(ワイハイ・ロード)をブラブラ西へと歩き出した。  淮海路は、デパートや海外ブランドショップが並ぶ、ハイセンスな通りである。日本の無印良品やUNIQLOの大型店舗もあり、若者のファッションから欧米の有名ファッションブランドも建ち並び、オシャレなデート用の衣装を探すなら、この通りで事足りるはずだと威軍は思っていた。  映画館のある交差点まで歩いて、郎威軍はふと気が付いた。前回、採寸を済ませたオーダーメイドのスーツの仮縫いが終わった頃だった。  時間は、ある。この交差点を北上すれば常連のテイラーはすぐそこだ。  威軍は信号待ちをしながらふと気が付いた。  この角に小さなベーカリーの出店があり、名物のエッグタルトが買える。確かあのエッグタルトは、加瀬も大好きだったはず。この先のデパートで同じエッグタルトは買えなくも無いが…。  とは言え、加瀬が帰るのは明日の夜の予定だ。人気のベーカリーだけに市内のあちこちに支店がある。夕方までに買っておけば、間に合うのだから、焦って今買う必要はないか、と、そこまで考え、郎威軍は苦笑した。  どこまでも恋人に甘い自分に自嘲しながら、威軍は結局、1人北へ向かった。  茂名路(マオミン・ロード)のテイラーの扉を開けると、不愛想な店長が出迎える。 「做完着(出来てますよ)」  言葉少なくそう言って、店長は店の奥にいったん消えた。  慣れた郎威軍は、店内の少し擦り切れたソファーに腰を下ろし、スーツ以外に並んだドレスシャツやネクタイを見回した。買う、買わないは別として、この店の職人のハンドメイドの衣類はどれも一級品で、見ているだけでも目が肥えて優良な商品を選べるようになるのだ。 (今度、冬物のスーツを作る時は、ジレも揃いで作ってみようかな)  以前に見た三揃えのスーツを着た加瀬のスタイルに憧れて、そんなことを郎威軍は考えていた。 〈お待たせしました〉  店長の代わりに、いつもの男性採寸師、(シュエ)さんが仮縫いされたスーツを手にして現れた。 〈こちらへ〉  言われて、威軍も慣れた様子で鏡の前に立った。  着ていたカーディガンを脱がされ、水色のポロシャツの上から背広を羽織る。 「不錯(悪くない)」  鏡の中の自分を評価して、威軍はそう言った。 「不是。看好棒!(そんな。お似合いですよ!)」  郎威軍ほどの高身長で、スタイルもいいハンサムな客の自己評価が「悪くない」とは、評価が低すぎる、と薛さんは思った。 〈郎さまはモデル並にお美しいんですから、もっと自信をお持ちなさい〉  薛さんはジャケットの肩を少し調整しながら、そう言った。 〈私服も、もっと上品な物を選んでは?〉  相変わらずの愛想の良さで、薛さんが威軍の痛い所を突いた。 〈私服を選ぶのは、苦手なんです〉  薛さんに誘導されて試着室に入り、そう威軍が告白すると、薛さんはニッコリと得意の営業スマイルを浮かべた。 〈お見立ていたしますよ、当店で〉  スラックスを受け取り、威軍は試着室で1人になった。  今着ている細身のチノパンを脱いで、仮縫いのスラックスに履き替える。コットンのチノパンより、今度のスーツはシルクウールで肌触りが滑らかで心地よい。 〈いかがですか?〉  外から声を掛けられ、威軍は試着室のカーテンを開けた。  薛さんは、さっと全体のバランスを確認すると、(ひざまづ)いて裾を調(ととの)え始める。 〈裾は、シングル?ダブル?〉  夏のスーツなので、軽い方がいいかと思うが、上司の加瀬が仕事中のスーツではスラックスの裾をダブルにしていて、その方がフォーマルな印象を与えているのが気になる。 〈足長で若々しい郎さまなら、シングルにしておきましょうか?〉  迷っていた威軍に、薛さんが適切なアドバイスをする。 「好(いいですね)」  結局、加瀬とは違うスタイルに決めて、ほんの少しがっかりするが、恋人に溺れすぎない自分にホッとしたのも事実だった。 〈では、1週間でお仕上げできますので、お受け取りにお越しください〉  薛さんにそう言われ、威軍はもう一度試着室に戻り私服に着替えた。  試着室を出て、仮縫いのスーツを薛さんに返すと、さらに磨きのかかった営業スマイルで、薛さんは尋ねた。 〈私服はどうされますか?〉  さすがに何もかも丸投げするのには抵抗があり、威軍は薄く笑って断った。

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