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第6話

「ところで仕事は、どうでした?」  ふと気になって、仕事モードの顔で主任は2人に尋ねた。 (う~、せっかくのご飯中に、何聞いてくんねん)  一瞬苛立ちながらも、ここは主任の奢りだと思い出し、先輩の百瀬は澄ました顔で報告を始めた。 「例の、神奈川の会社の件で、出張に来た専務さんと部長さんとお会いしました」  話始めたところで、マンゴープリンが出てきた。日本ならば、デザートは後回しにするか、せめて先に出してもいいか確認したりするのだが、そういう配慮を一切しないのが中国らしさだ。  続いて、ローストダックが名物の梅ソースと共に運ばれてくる。 「え~と、で、来月から1年を目安に部長さんが単身赴任してくるわけですが…」  報告口調ではあるが、百瀬はお預けを食らった子犬のように落ち着かない。報告を先輩の百瀬に任せた石一海は、さっそくローストダックをひと切れ摘まんでいる。 「引っ越し先の~。マンションの部屋を見学して~、え~と」  酸菜魚と海老餃子が来たところで、郎主任の方が折れた。 「食事中に悪かった。先に食べな…さい」 「いただきます!」  主任が言い終わるより先に、お行儀よく手を合わせてから、百瀬は箸を取った。 「好吃~!(おいし~!)」  百瀬と石一海は声を揃えて、本当に美味しそうに食べ始めた。  オフィスへの定時の出勤時間は、終業時間が遅いため、中国標準時の朝10時となっているが、日本からのクライアントとの対応の場合、日本との時差のせいで、日本時間の朝9時、こちらの時間での朝8時開始が多い。  おそらく今日の仕事も、2人の部下は、7時半には花園飯店で集合しているに違いない。そうなると朝食は6時台。この時間に空腹なのは当然かもしれない。  そんな大事な食事を、仕事の話で邪魔をするとは、加瀬に笑われるほど無粋だったと、郎主任は反省する。加瀬部長なら、何よりも先に美味しい食事をさせ、その後でゆっくり仕事の話をするだろう。その方が、実はよほど中国人らしいやり方だ。自分はいつも余裕がない。恋人に指摘されるまでも無く、郎威軍はそう思った。 「はい。これ主任の分ですよ」  気が付くと、珍しく百瀬がかいがいしくチャーハンを容器に分け入れていた。 「石くんのは、ビーフン多めにしたげるしな」  子供に言い聞かせる母親のように言うと、石一海は酸菜魚を頬張りながら、嬉しそうに頷いた。  ふと、威軍は気が付いた。  1人で食事をするより、恋人との食事の方がずっと美味しいと思っていた。だが、恋人に限らずとも、誰かと食事を分け合うのは楽しいものなのだ。  どれほどに高級で、どれほどに美味しい料理であっても、1人で食べるのは味気ない。分け合い、笑い合い、心から楽しむことが出来てこそ、それは本来の食事であり、心と体の栄養となる。  そんな当たり前のことを、威軍は志津真によって教えられたのだと今さらながらに気付いた。  志津真を、愛してよかったと、心から威軍は思った。こうやって人として成長することが出来る。彼を愛したことで、威軍は自分が引き上げられたことを実感して幸せだった。 「遠慮の(カタマリ)は、私が…」 「何ナンデスか!遠慮ノって!」 「最後の1つは私が食べてあげるってことやん」 「ソレは、最後ニ食べようト残してあるんデス!」  百瀬と石一海の漫才のような掛け合いを愉快そうに眺めながら、威軍は気が付くと、1人でする食事よりも多めの量を食べていた。 「あ、そういえば主任は、なんで休みの日にココに?」  今更ながらに百瀬が気が付いて聞いた。 (確か主任は浦東のアパートに住んでたはずだけど…?)  口にこそ出さないが、疑念を隠さない百瀬の眼差しに、いささか郎主任は焦る。 「近くのテーラーで仮縫いが…」 「好棒!(スゴイ!)」  言い終わらぬうちに、石一海が憧れの眼差しを郎威軍に注ぐ。 「主任ってバ、オーダーメイドのスーツなんデスネ!」 「さすがにカッコイイわ~♪」  2人の部下からの純真な賞賛を受け、さすがに郎主任も照れてしまう。 「石くんも、出世したらオーダーメイドのスーツとか着られるんだよ!」 「ガンバリマス!」  美味しい料理への感嘆や、仕事の愚痴や、他愛のない話題で笑ったりしながら、1人で済ますはずだった昼食を、郎威軍は楽しく過ごした。 「ごちそうさまでした~」「多謝(ありがとうございます)、郎主任」  口々に礼を言うと、2人は深々と頭を下げた。  2人は、これから一旦オフィスに戻るものの、今夜もまだ仕事がある。先ほどの日本人クライアントを、夕食と上海名物の夜景観光に案内するのだ。そして、日曜は百瀬がクライアントを空港まで見送ることになっている。だが翌月曜も百瀬は出勤だ。  その時に気が付いて、郎主任は部下に伝える。 「改めて連絡は入れておくが、私は月曜に急な私用で休むのでよろしく」 「エ?」  きょとんとして石一海が応えた。 「今朝、部長モ月曜ニ休ムって連絡がアッタそうデスヨ?」  オフィスの電話番担当として休日出勤している、同僚の白志蘭からのメールで、百瀬も石一海もそのことは知っていた。  また2人揃って休みを取るのか?と2人の部下は不思議そうにしているが、百瀬はやがてニヤリとすると、訳知り顔をして言った。 「ま、留守は私たちに任せて下さいよ」  何を知っているのか、言い知れない不安を感じながらも、いつもの無表情で威軍はやり過ごした。

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