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第8話
「これ、どうですか!」
先ほどの平織りの物とは違い、織柄のあるシルクニットで、グレイなのだがシルクの光沢のせいで品の好いシルバーに見えなくもない。袖は半袖よりは長いが長袖ではないようだ。
「上級者向きです」
着たことも無い方向性に、郎威軍はすぐに諦めた。
「ケーブル編みの、7分袖です。綿などの雑じりっけ無しのシルクのニットですよ。この繊細な触り心地!」
仕事以上に熱心な百瀬に、呆れるのを通り越して尊敬さえ感じ始めた威軍は、勧められるままにそのシルバーのセーターを手にした。
「軽!光滑!(軽い!すべすべ!)」
思わず驚きの声を上げるほど、先ほどのミントグリーンの半袖のセーターよりも、こちらはさらに薄く、軽く、シルク特有の滑らかさがあった。
「そして、思ったほど高くない!」
と、百瀬に言われて確かめると、確かにシルクの高級サマーセーターにしては、安いと言えた。日本円では、1万円でお釣りがくる。
「ちょっと袖が長いように思われるかもしれませんが、これを肘の辺りまでギュッと上げるんですよ」
どこのアパレルの店員かと思うほど、百瀬は丁寧に説明してくれる。
「こっちのミントグリーンのは、色はステキなんだけど、シルクコットンのニットなので、涼しいけど、ちょっとボタッとするんですよね。だからただの平織りで、離れて見たら普通のTシャツとかに見えなくもないですけど、こっちはシルクの細い糸で編んであるので、こういうケーブル編みにしてもボリュームが出ないし、夏でも暑苦しくないでしょ?」
そう言う物なのかと、郎威軍は圧倒されて頷くことしかできない。
「襟もVネックの方が涼しそうに見えますけど、主任は首も細くて長いから、丸首の方が似合うと思いますね」
てきぱきと解説すると、百瀬はニッコリと郎主任の目を見つめて決断を迫った。
「こ、これにするか、な」
珍しく戸惑いながらも、郎威軍もようやく決めることにした。
すると途端に、目を輝かせながら、百瀬が何かを手にして押し付けてきた。
「じゃあ、私へのご褒美は、これで!」
百瀬が差し出した日本製のパンストは、上海では高くてなかなか買えるものではない。中国国産でも、日本で買うような気安い値段では買えないし、品質も日本製に比べるとグッと落ちる。中国人女性が日本で爆買いしたい商品の1つが、安価で高品質な日本製のパンストなのだ。
上司の私服のお見立てをしたご褒美に、百瀬はこのデパートでしか買えない上等なパンストを要求してきた。普段は日本製でも3足入りの物しか買わないくせに、1足入りの高級品を要求するあたりが、小憎らしいほど上海マーケットを理解している。
「仕方ありませんね」
部下からの期待のこもった眼差しと、実際に良い物を購入できたことへの感謝に、郎威軍は自分用のシルバーのシルクのセーターと、日本のほぼ倍の値段で売っている百瀬へのご褒美を購入した。
「ありがとうございます♪」
大喜びで、百瀬は礼を述べた。こうも素直に喜ばれると、ちょっと皮肉の1つも言いたくなる。
「仕事中に、高いバイト料ですね」
ホクホクしている百瀬は、郎主任の冷ややかな視線など今さら気にも留めない。
「あ、ご褒美代が高いと思われるなら、もう一着お見立てしましょうか?」
「いや、結構…」
嫌味の通じない相手に、ネチネチと絡むほど、郎威軍の性格は悪くないし、そういう意味のない行動は合理性に反する。
「そうですか~。郎主任には、もっとチャイナテイストのデザインシャツとか、オシャレなの着せたいのにな~」
見た目のいい郎威軍を着せ替え人形のように思っている百瀬に、呆れる一方で、今日の経験上、意見を参考にしたいという気持ちも郎威軍には芽生える。
「それはまた、次回に」
思わずそう言うと、百瀬は嬉しそうにブンブンと首を振って頷く。
「ぜひぜひ!」
「今日はありがとう」
思わぬ助けを得て、郎威軍は恋人とのデートに相応しい私服を購入したことに大いに満足し、次回への期待をしつつ、花園飯店を後にした。
あとに残った百瀬は、素直にお礼まで言う主任に、プライベートでの変化を感じながら、同僚たちにバレないよう、ご褒美の高級パンストを鞄の底の方へと、嬉しそうにしまい込んだのだった。
花園飯店を出ると、一番近い地下鉄の駅まで、郎威軍は1人歩いた。通りの向かいには、さきほどのテーラーがある。その2階にあるレストランは、地元でも人気の店で、加瀬志津真のお気に入りだ。
2人きりで食事をしたこともあるが、日系のホテルに近いせいでクライアントやオフィスのメンバーと顔を合わせることがあるので注意が必要だった。あくまでも、2人の関係は秘密なのだ。
念のため、地下鉄駅と直結のデパートに寄るが、外資系とは言え地元民向けのデパートだけに、威軍がザっと見回しても、日本人好みの洋服はあまりない。靴も試着してみるが、気に入ったものが無かった。
あきらめた威軍は、デパ地下で恋人が好きそうな高級な食料品と自分のための夕食の食材をいくつか買って、そのまま地下鉄に乗り、一駅先の今朝までいたサービスアパートメントに戻って行った。
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