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第15話

「こうなるって分かってたし、風呂場では手ぇ出せへんかったんや」  湯舟にゆっくり浸かる習慣がある日本人と違い、基本的に郎威軍などはシャワーだけで済ませることが多い。多くの中国人がそうだ。  そのことを知る志津真は、威軍を長く湯舟に留めておくと、すぐに長湯でのぼせてしまうだろうと心配していた。  そのため、これまで志津真自身にその欲望があっても、バスルームで性行為に至ることの無いよう、気を付けていたのだ。  けれど、思わぬ形で恋人の方からねだられたのだ。拒むわけにもいかず、求めに応じたが、案の定、志津真の不安は的中した。  バスルームから抱えられるようにして運び出された威軍は、志津真の腕の中でぐったりとしていた。完全に湯あたりしているのだ。  そのままベッドにそっと横たえられる。  ひんやりとしたシルクのシーツに、その美しい全裸の四肢を気持ち良さそうに伸ばし、バスルームでのぼせた威軍はようやく落ち着きを取り戻そうとしていた。  一旦離れた志津真が戻ると、その手には冷たいミネラルウォーターのペットボトルがあった。  志津真はそれを威軍に手渡そうとしたが、思い直してキャップを取り、一口含むと、威軍の細い頤に自分の指を添え、唇を重ねると口移しに水を飲ませた。 「もっと飲むか?」  ほぅと息をつく威軍が、無防備で却って艶かしく見える。もう一度唇を奪おうと近付く志津真に、威軍は弱々しくはあったが、毅然とした態度で答えた。 「自分で飲みます」  期待を裏切られ、不満げな表情も顕わにして、志津真は威軍が起き上がるのを助けた。  志津真に支えられながら身を起こした威軍は、ペットボトルを受け取り、ゴクゴクと喉をならして水を飲んだ。  反らした首が白く長い。そこになんとも言えない色気を感じて、志津真は思わず生唾を飲み込んだ。 「欲しいんですか?」  弱っているせいか、低く、かすれ気味の誘惑的な声で威軍が囁きかけた。何も言えずに、志津真はただ頷いた。  先程まで散々にバスルームで淫らな行為に耽っていたばかりなのに、その脱力したなよやかな風情やほんのり上気した肌が、再び志津真の欲情を刺激する。  一糸まとわぬ郎威軍の妖艶さはまさに魔性で、脆弱な志津真の理性など食らい尽くすかのようだ。 「仕方のない人ですね。我慢も出来ないなんて」  小さく呟いた威軍の濃艶な声に、志津真は抗えず押し倒そうとした、その瞬間だった。 「つべたっ!」  反射的に、志津真はその冷ややかさに身を引いた。 「欲しいんでしょう?どうぞ」  威軍が差し出したペットボトルの冷たさに、志津真は恨みがましい視線を送る。 「私が脱水状態で水を必要としているのに、取り上げるなんて」  相変わらず幼稚な恋人を非難する威軍に、当の志津真は茫然としてその美貌を見入った。 「ウェイさん?どこまでマジなん?」  呆れた様子の志津真に、今度は威軍の方が不思議そうに恋人の顔を覗き込む。 「何が、ですか?」  何の屈託もない無邪気な瞳で聞き返され、志津真は軽く失望した。 「何って、ほら~。欲しいかっていうから~」  ちょっと拗ねたように言うと、意味が分からない威軍が、苛立ったように問い詰めようとした。 「だから、あなたが水を欲しがって…」  言っている途中で何かに気付いたらしい威軍が、急に顔を真っ赤にして俯いた。 「な、何を考えているんですか、あなたは!」  弱った体を支えきれず、威軍はペットボトルを志津真に押し付け、そそくさと慌ててシーツの下に潜り込んだ。 「天然かよ!」  一応、ツッコミを入れておいてから、志津真は恋人の飲みかけたミネラルウォーターを、さも旨そうに飲んだ。  ベッドから出てくる様子もない威軍に、甘やかせるように薄く笑って、志津真は1人リビングに戻った。  飲み干したペットボトルをゴミ箱に放り投げ、出張先での資料や経費を整理し始めた。この辺りは、加瀬志津真とて優秀だが平凡なビジネスマンなのだ。  一通り目途が付いたところで一度手を止めた。  思い付いて、出張先での洗濯物を入れたメッシュのランドリーバッグをもって、キッチンの隣にある狭い洗濯室に入り、バッグを置くと、キッチンの冷蔵庫から、日本で買った無糖の缶コーヒーを1本取り出した。  そのままリビングに戻って仕事の続きを、と思った志津真だったが、ふと気になって主寝室のベッドで眠る恋人の様子を見に行った。 (エエ子で寝てるやん)  やはり疲れていたのか、愛しい恋人は志津真のダブルベッドで、すやすやと眠っていた。  顎の細い繊細で知的な輪郭。左右対称の完璧な配置の目鼻立ち。眠っている今は余計に目立つ黒々とした長い睫毛。怜悧な鼻梁だが険は無く、唇は薄めだがしっとりと柔らかく、一度触れたら忘れられない甘さだ。そして、不健康では無い肌の白さは極上の滑らかさだった。  今はまるで、子供のように無邪気で安らかに眠っている。そんな、あどけない表情の威軍は、清楚で、触れるのも怖いほどに聖らかな美しさを湛えていた。けれど、仕事中の有能で凛々とした顔もストイックで美しいと思う。志津真だけに見せるプライベートでの柔らかな顔も、もちろん志津真の腕に抱かれる時の官能にまみれた淫艶な顔も、とにかく志津真にとってはどんな威軍であっても魅了されるのだ。  乱れた髪が一筋、その麗容にかかっていた。そっと指で掬ってかき上げる。一瞬、寝息が乱れるが、すぐに落ち着いて、心地よさそうに眠り続けるを幸せそうに見つめ、その眠りを妨げないように、そっと額に口づけて、志津真は寝室を後にした。

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