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アブノーマルと美人とピンヒール
※
ハッカを抱いたのは、光志 に小言を言われた三日後だった。仕事を終えて、いつもの順で眠るまでの時間を過ごして、それから。
光志 に言われた言葉を、この時は忘れていたのかもしれない。後々から考えると三日後だった、殴りつけるような小言も、欲の前では効力もなかった。
その日、初めてハッカの体を噛んだ。光志 が表情を歪めて語る、自分のこのスタイルはやめようがない。それが好みで、心地よく、より興奮する。噛んで伝わる肉感や赤く残る跡は自分に許された行為という、自覚はない自分の中の強い独占欲が満たされるようだった。
肌を噛むのは、本能的なことなのか、いっそ暴力の一歩手前の衝動なのかもしれない。しかし殴りたいわけでも虐げたいわけでもない。何故か、相手の肌にそうすることがやたらと性的に興奮した。大体の相手が嫌がる。当然、光志 も。
自分に跨がらせたハッカの左胸を、脇から食んで、横に噛んだ。目の前にあるそれが一層気分を昂ぶらせ、堪らなかった。
そうすると止まらず、スウェットの腰紐でハッカのものを縛り付けてその上で何度も先端を擦った。親指の腹が行き来する度に滲むもので濡れて、強く擦っても皮膚が引き攣ることもない。ずっと滑らかに、何度も。
両手の自由を塞いだベルトを掴んで、そので跨がる腰を押さえ付けながら下から突くと縛り上げたモノも跳ねて、滲んだ僅かな体液が腕に散った。
何度か体勢を変えてうつ伏せにした時、堪らずハッカはベッドに腰を押し付けていた。そうさせないようにまた腰を持ち上げて、繰り返す。
痛々しいモノに堪えて、ハッカは必死に手近な布を噛みしめていたが、くぐもり出るものもまた声ではなかった。左胸に鬱血を作られても、ハッカは嫌がることはなかった。けれど、やはり声すらあげない。
押さえつけ、自由にさせない。悪い言い方をすると支配や征服になるが、良い言い方も思い当たらない。相手のしたい行動の全てをさせてやらないのが、堪らなく好きだった。
ハッカは時折こちらのモノに手を伸ばす。触れて、口にしたいのだろうことがよくわかる。けれどさせない。させない分、ハッカのしたいことの全てをハッカの体に行った。
あれをして、それをして、これもして。あまりにも徹底的に声を殺す様はペットの鑑であろう。その喉から声を絞り出してみせたかった。だが、ハッカを躾けた相手は余程手の込んだ育て方をしたようで、なにをしても出るのは喉を掠めるような呼吸と吐息のみだった。
いっそお前をペットにするとでも宣言して、そうしてから命じてみるのが早いのかもしれないが、ハッカ自身がこちらにそれを求めているのかがわからない。
本当はもう少し違う場所にも鬱血を作りたかった。噛みたい箇所も、山程あった。けれどその日はまだ、やりすぎるわけにはいかないと、冷静な部分で堪えた。
荒くした後にほんの少し柔らかい当たりをするより手首を締め上げて押しつぶす方がずっとハッカの体は喜んだ。
ハッカを抱いた。その日初めて、自分から。
この状況にとは思いたくはないが、それではっきりとハッカの存在を受け入れる、というよりも、もっと、ずっと違う方向好んでいたのは既に自覚があった。
※
この頃は、仕事に出る度に光志 からの小言を受けるようになった。やれ表情に出ている、気持ち悪い、無害ぶるのが腹立たしい、言われている内にそれを心地よく思えてしまったのは、流石に自意識過剰だと反省をした。
「ああ、ほら。あれよ、噂の美人」
今日も決まりのギムレットを、やはり最後の一口を残して氷で薄めている光志 が、カウンターで入口近くのテーブルを顎で指した。薄暗い店内にはドラァグのショーで目にうるさい照明が何色も折り重なっている。その、丁度明るい暖色で照らされた時にのみ、光志 の言う人物が照らし出された。
なんとも小綺麗な男が、こんな店に一人でテーブルについている。今初めて目にするということは、カウンターにも来ていないはずだが、どこかの誰かが口説こうとでもしたのだろう、手元にはグラスがあったが。
「最近よく来るのよ。有頂天のあんたは気にも留めてないだろうけど、あれだけ目立つから、店の子も客も大賑わいよ」
言う言葉とは裏腹に、光志 はやけに冷淡な表情で美人を眺めた。けれど苛立ち露わに手元のグラスを揺らす度、殆ど溶けた氷がなけなしに鳴った。
「わかりやすいな、お前」
「なにがよ」
「そんなに俺が好きか」
「ほんとに地獄に落ちるがいいわ」
中身をぶちまけられずに済んだのが奇跡かもしれない。それともそうするのを忘れていただけか、光志 はグラスを払うように返し、受け止めた手と腹が残り少ない中身で濡れた。いや、ハナからこうしようとしていたのか。
今日もピンヒールが心地よい程通る音を鳴らして暗い店内に去って行く。昔後ろ姿で男を惚れさせるとかなんとか、そんなことを言っていたのを、思い出した。
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