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第1話

 12月24日、彼女にフラれた。  真帆と付き合い始めてもう1年。篤志は31歳、真帆は27歳で、適齢期なのは間違いなかった。そろそろ切り出してもいいだろうと、プロポーズをするためにディナーを予約していた。    それなのに――― 「別れてください」  そう切り出されたのは、夕方の6時、六本木の青いイルミネーションを見ているときだった。最初は何を言われているのかわからず、口から「は?」という間の抜けた音がした。 「本当に、ごめんなさい」  彼女の涙が青い光に照らされて綺麗だった。カップルや家族連れの明るい話し声が満ちている中で、自分たちだけが異空間にいる気がした。  真帆は、上司と不倫しているのだと告白した。その上司とは篤志と付き合う前から関係があり、いけないことだと分かっていても、好きで好きで別れられないということ。篤志と付き合いながら、ずっと罪悪感ばかり感じていたということ。今日も家族と過ごしているであろうその上司のことばかり考えているということ。  何も知らなかった。何も言えないまま、すべてが終わっていた。  8時に予約していた一人3万のフレンチはキャンセルの電話を入れた。もちろん、その後のホテルのダブルルームも。サンタのコスプレをしている女子大生らしきグループのうるさい笑い声を聞きながら、高いキャンセル料を払って一体何をしているんだろうと思った。クリスマス当日に振られる男。トレンディドラマじゃあるまいし。    地下鉄とJRを乗り継いで自宅の最寄駅に着いたのは、予定ではディナーが始まっている時間だった。駅前には安っぽいツリーの電飾が瞬いていた。六本木の洗練されたイルミネーションのあとでは陳腐に見える。しかしそんなツリーの下でも自撮りしているカップルやグループはたくさんいた。ハッ、と鼻で笑う。この中でも一番陳腐な存在は俺だ。そういう俺だって、真帆と付き合い始めた昨年のクリスマスは、こんなイルミネーションだって煌びやかに見えていたじゃないか。  牛丼でも食べるか、少しはクリスマスらしくチキンでも買うか……そう思いながら駅前の大通りで信号待ちをしているとき、歌声が聞こえてきた。駅のロータリーで時折弾き語りをしている一人の男の声。いつもなら足早に通り過ぎるところだが、帰ってやることもないし、聞いて行こうと立ち止まった。意外と暇な人も多いのか、10人以上がその男を囲んで歌を聞いている。 (マライア・キャリーか……)  歌っている男は随分若そうに見えたが、ちゃんと聞いてみると意外に歌もギターもうまく、英語の発音もいい。その後も、有名どころのクリスマスソングを2,3曲歌い、そしてオリジナルソングだという曲を歌い始めた。その頃には客はパラパラと散り、聞いているのはいつのまにか篤志だけになっていた。寒さに耐えるように、煙草を取り出して目の前の男を見つめる。細身のライダースジャケットにストール、パンツにブーツ。あんなに薄着で、寒くないんだろうか。篤志が煙草をふかしながら凍えている間にも、男は弾き語りを続けていた。掠れのある少し高い声は、聴いていて心地いい。 「じゃあ、最後の曲……」  その男が言ったとき、ふと目が合った。立ち止まって聞いているのは篤志だけなので、目が合っているだろうということは間違いなかった。 「お兄さん、何かリクエストとか、ある?」  いきなり話しかけられ、篤志は戸惑った。普段あまり音楽を聞かないので、こんなときにパッと思い浮かぶ曲なんてない。が、この男がどういう歌を選曲してくれるのか、ということには興味があった。 「……じゃあ、フラれた男の歌、とか」 「フラれた?」  クスッと笑って男は少し考えたが、すぐにギターを持ち上げて聞いたことのあるメロディを奏で始めた。英語の歌詞が始まり、また少し足を止めて聞き入る人が出てくる。 「これ、なんだったっけ?」 「洋楽の……有名なやつだよ、ほら」  後ろのカップルの会話に、篤志は Wham! の Last Christmas だよ、と声には出さず煙を吐いた。  その曲が終わると、男は「ありがとう」とお辞儀をしてギターを降ろした。ギターケースには「Merry Christmas!!」と流れるような筆記体で書かれた紙が貼られていて、中に少し小銭が入っている。  篤志は急に思い立ってそこに近づいて行った。 「好きな曲だった。ありがとう。君の声、いいね」 「ううん、こちらこそ。こんなに寒いのに、ずっと聞いてくれてたね」  歌っているときは無表情に見えたが、話してみると意外と人懐っこい笑い方をすることに気付く。 「これ、よかったらもらって。換金したら、多分お小遣いくらいにはなると思う」  篤志はそう言ってポケットからスウェード生地の小箱を取り出した。ギターケースの中にトン、と入れると、すぐ背を向けて歩き始める。 「え……これって」  後ろから戸惑う声が聞こえたが、篤志は振り返らなかった。ちょうど横断歩道が青に変わったところだった。 「待って……お兄さん、待ってよ!!」  横断歩道を渡り終えたところで、ちょうどその男は追いついてきた。篤志のコートを引っ張ると、「もらえない」と小箱を差し出す。 「あのさ、フラれたのはわかったけど、俺がもらっていいもんじゃないよ」 「……そう」  必死で走ってきてくれたその男から、篤志は素直に小さなケースを受け取った。無造作にポイ、とポケットに突っ込むと、「ごめんね。じゃあ」と言ってまた歩き始めた。 「あ、あのさ!」  男は篤志の前に回り込んだ。篤志よりも少し低いところにあるその顔は、真正面から見ると割と整っていた。やんちゃそうな印象を受けたのは、少し目尻が上がっているのと、垣間見える八重歯のせいだろう。 「あの、この後時間あるならどこか飲みに行かない?あ、別にナンパってわけじゃなくて」 「ナンパ?」  男が男を?篤志は一瞬ポカンとしたが、ふふっと笑うと、「いいよ」と答えた。なんとなく必死な顔が構ってほしい子犬のように見えたからかもしれない。 「あ、ギターは?」 「そうだ!ごめん、片づけるから、待ってて!」  赤信号はまたちょうど青に変わり、男は駆け出した。篤志もゆっくりと歩いて歌を聞いていた場所まで戻る。男はギターやかばんを手早くまとめ持ち上げると、「いい店あるから」と商店街のほうに足を向けた。  男は「ミヤマアオイ」と名乗った。どういう字?と聞くと、持っていたペンで紙ナプキンに「深山蒼依」と細くて綺麗な字を書いた。  連れてこられたのは、商店街の中の地下にある日本酒居酒屋だった。3年ほどこの駅に暮らしているが、こんな店があるとは知らなかった。 やはり聖なる夜に和風居酒屋を選ぶ人間は少ないのか、人の入りはまばらだった。カウンター席に座ると、蒼依は「クリスマスに男二人でイタリアンとか、嫌でしょ」と笑った。  蒼依は『本日の日本酒』と書かれたペラ紙から、適当な大吟醸の熱燗を注文した。間もなく運ばれてきた酒を蒼依がお猪口に注ぐ。「メリークリスマス」と言われたので、同じく「メリークリスマス」と言ってお猪口をそっと合わせ、口に含んだ。ふわっと芳醇な香りと味わいが広がる。久しぶりの日本酒だ。 「美味しいっしょ。ここ、いいお店だよ」  蒼依はニカッと笑って言った。やはり笑うと八重歯が目立つ。お通しの高野豆腐が美味しくて「うん、いい店だね」と率直に言った。 「でも、彼女にフラれてなければフレンチ連れて行こうとか思ってたんでしょ」  ずばり当てられて、篤志は「まいったな」と呟いた。 「そんないいスーツとコート着て、髪型も靴もびしっと決まってたら、そりゃ分かるよ誰でも。いいとこで働いてて、モテるんだろーなーって感じするし」 「ま、クリスマスイブ当日に捨てられた悲しい男ですけどね」  篤志はそう言うと、空いたお猪口に手酌で酒を注いだ。そしてまたグイっと飲み干す。 「ペース早くない?」 「うん、ヤケ酒」  言いながら篤志はメニューを見て、漢字の読めない日本酒を指して店員に「これ、一つね」と注文した。 「ごめんね、俺なんかが相手で」  蒼依がシュンとしながら箸でたこわさをつついた。その仕草が可愛くて噴き出してしまう。 「いや、思ったよりいいクリスマスイブだよ。……あのまま帰りたくはなかったから」 「……彼女さん、綺麗な人だったの?」 「写メ見る?」  篤志はスマホを取り出して写真を次々に見せていった。ここ1年で、いろんなところに行ったものだなと思う。異業種交流会で知り合って付き合い始め、どちらも働いているから会うのはだいたい週末だった。デート先は決まって口コミ評価の高い話題のグルメスポット。見返してみると、アルバムは食べ物と真帆の写真で埋め尽くされていた。これしかないのか、と自分でも驚いてしまうくらいに。 「別れちゃったんだね」  ポツリと蒼依が呟いた。うん、と頷いて篤志はスマホをしまった。写真の真帆はどれも笑っていたけれど、心から楽しんだことは一度もなかったんだろうと今さら思う。 「虚しいな」  篤志はくくっと笑いながら出汁巻き卵を食べた。別れていなければ、きっと今頃ワインやフォアグラやワゴンデザートを楽しんだあと、ベッドインしていただろうに。 「あー、虚しい」  手酌し続けて3本目の日本酒もすぐに空いた。蒼依は厨房にお冷やを二つ頼むと、篤志に「出ようか」と言った。 「こんな日に誘ってごめんね。篤志さん、ずっと俺の歌聞きながら泣くんじゃないかって顔してて……それで指輪なんか見ちゃったから、放っておけなくて」 篤志は蒼依の顔を見た。ダークブラウンに染めた髪からはピアスがいくつか見えている。薄い唇の横にホクロがあって、篤志はそこに手を伸ばして触った。 「っ……何?!」 「ん……真帆も同じとこにホクロあったんだよな」  右手で頬を包んだまま、親指でホクロを撫でた。蒼依はされるがまま動かない。泣きそう、というのは、俺じゃなくて蒼依のほうじゃないだろうか。 「あ、つしさん、あの」  蒼依が何か言いかけたとき、店員が水を運んできてカウンターに置いた。篤志は蒼依の顔から手を離すと、そのコップの水を一気に飲み干した。 「はー……帰って寝るか……」  篤志がため息とともに呟いたとき、蒼依が「あの、本当は……」と切り出した。 「本当は、篤志さんのこと……ずっと前から知ってた」  水の入ったコップをギュッと握って俯いたまま、蒼依は続けた。 「初めて見たとき、すごくかっこいい人だなって思って。ここらに住んでるんだろうってわかってからは、ストリートの日は篤志さんが通るまでは歌おうって、決めてた」  酔った頭で、篤志はその声を聞いていた。  ずっと知っていた?俺を? 「だから、今日こうやって二人で飲めて、本当に嬉しい」  はにかみながら笑った蒼依を、篤志はじっと見つめた。 「いつから?」 「え……」 「いつから、俺のこと見てたの」  篤志が言うと、蒼依は目を伏せて「ちょうど一年前のクリスマス」と答えた。 「彼女さんと笑いながら一緒に歩いてた篤志さんが俺の前で足を止めてくれたんだ。彼女さんが早く行こうよってせかしたんだけど、そのとき篤志さん、好きな曲だから聞いて行こうって言ってくれた。歌いながら、こんなにかっこよくて素敵な人がいるんだって思ってた」  まったく思い出せなかった。心を読んだように、蒼依は「覚えてないよね」と寂しそうに笑う。 「そのとき歌ってたのがね、Last Christmasだったんだ」  だから、今日歌ってくれたのか。 「昨年のクリスマス、俺は篤志さんを好きになって、同時に失恋した。そしたら、今年は篤志さんがフラれてた。俺たちにピッタリでしょ、Last Christmas」  そう言うと、吹っ切れたように蒼依は笑った。 「よし、出よう。もう終わり。変なこと言ってごめんね。あそこではもう歌わないから」    蒼依はすばやくライダースジャケットを羽織ると、「これ」と言って1万円札を出して立ち上がった。 「蒼依」 「ありがとう、楽しかったよ、篤志さん」 「蒼依!!」    篤志は店を出ようとする蒼依の手首を急いで捕まえた。篤志自身、どうしてそんなことをしたのか自分でもわからなかったけれど、体が動いていた。 「……お前の歌、好きだから」  蒼依は向こうを向いたままだったが、篤志はその背中に語りかけた。 「また、歌って」  細い手首が震え、泣いているかもしれない、とひるんだ瞬間に、蒼依は篤志の手を振りほどいた。 「……うん」  小さく頷いた蒼依は、振り返らないまま店を出て行った。    勘定を済ませた篤志が商店街に出たときには、もう彼の姿はなかった。アーケードには明るいジングルベルの曲が流れている。あの掠れた歌声が聞きたくてたまらない、そう思いながら、篤志は煙草に火をつけた。
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