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第4話

 そう指摘されて、あたふたと顔をまさぐってみれば、耳にひっかけるゴムが外れてマスクは垂れ下がっていた。マフラーとマスクを用いて二段構えに防備を固めておけば俺だと見破られる恐れがないどころか、アホ面丸出しでシラを切ろうとしただなんて、おマヌケにも程がある。  課長が顎をしゃくった。俺は市場(いちば)につれていかれるドナドナ仔牛の気分で、あとに続いた。階段口寄りの会場の隅に移動して、あらためて向かい合った。  課長のトレードマークは、凡人どもが着用におよべば気障と嘲笑されるのが関の山の三つ揃いで、それをさらりと着こなしている点がすごい。身長は一七一、二センチと並だけれど、小顔で姿勢がいいからサマになるんだよな。  華奢なデザインの眼鏡が、怜悧な顔立ちをひきたてる。ひと昔前の流行語を奉るにふさわしいクールビューティ。その名も、きらきらしい咲良悠一朗(さくらゆういちろう)さん。  美人女優? けっ、咲良さんに較べればカスだね、イモだねと、ばっさりと切り捨てて顧みないほど見目麗しいこちらの御方が、前述来のハート泥棒です、はい。 「おれが外回りにかこつけて会議を抜け出し、チョコ売り場を探索して回っていたことは、ふたりだけの秘密だぞ」    秘密めかして声をひそめると、咲良さんは人差し指を口の前で立てた。 〝ふたりだけの秘密〟。素晴らしく甘美な響きに、えへらえへらしてしまう。思い起こせば去年の四月、営業部に異動を命ず、との辞令が下り、上司と仰ぐことになった咲良さんに引き合わされた瞬間が人生のターニングポイントだったのだ。  ひと目惚れなどという、ありふれた範疇に収まりきるものじゃなくて、隕石が頭の上に落っこちてきた場合に匹敵する衝撃をともなって恋に落ちたっけ。  ところで咲良さんは同期入社組の出世頭だ。年功序列を重んじる旧い体質の会社にあってスピード昇進を果たし、おととしの春、三十歳という若さで課長の座に就いたんだ。  このことからもわかるとおり、咲良さんは切れ者だ。

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