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第11話

 料理のセンスはゼロ、という自己申告は掛け値なしの真実だ。咲良さんは学生時代、調理実習で班を組んだ級友を恐怖のどん底に突き落としたに違いない。  左手の添え方がぎこちないせいで、右手をひねり気味に庖丁を動かすたびに、チョコはすべってまな板からはみ出す。  すると咲良さんはムキになって庖丁を打ち下ろすものだから、なおさらチョコが逃げるという情景が繰り広げられる。  見ているこちらの寿命が縮む。救急箱の置き場所を訊いておけばよかった、と(ほぞ)を嚙むほど危なっかしい手つきに、さっきまでとは別の意味で心臓がばくばくしだした。 「早瀬には従順なくせに、おれには逆らうとは、どういう料簡だ。最近のチョコは生意気にも料理する人間をえり好みするのか」  憮然とそう呟くと、刃こぼれした感のある庖丁をまな板に突き刺した。そして咲良さんは手の甲で頬をこすった。 「チョコをいじった手でさわっちゃ駄目ですよ。茶色い筋がついて猫の髭みたいだ」  布巾を濡らして頬をふいてあげると、咲良さんは眼鏡を乱暴に外してかけなおした。  あとで吠え面をかくなよ、とチョコに向かって凄んでみせると、ぷいとリビングルームを出ていった。  出すぎた真似をしちゃったかな? いや、咲良さんは度量の大きな人だ。部下が大ポカをやらかしたときでも決して声を荒らげることなく、問題点を洗い出してみろ、と優しく諭す咲良さんに限って、ちょっとからかわれたくらいのことでへそを曲げるはずがない。  ああ、それにつけてもドサクサにまぎれて触れた頬のすべらかだったことよ……!  俺に負けず劣らず、咲良さんを慕ってやまないA子さんとかB男くんとかC美さんを出し抜いた気分だったりして。ともあれ次の工程に備えてラズベリーの分量を量っておくことにした。キッチンスケールにボウルを載せると、相前後して咲良さんが戻ってきた。  なぜだか金槌と釘持参で、目が異様にぎらついていた。呪いの藁人形を(ふところ)に忍ばせ、作法に則って丑の刻に鳥居をくぐる鬼女さながら。

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