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第10話 拒絶・1

■ 「あっ…ぁ……」 ヒートが始まってから3日目の夜、千早は布団を被ったまま一人身悶えていた。背中が弓なりにしなり、もう吐き出すものもないのに、性器から残滓を吐き出した。 「う、ぁ……も、いや……っ、ゆるし、て……っ」 あまりの苦しさに、誰にともなく許しを請う。 汗で前髪が額に貼り付いて気持ち悪い。 千早は必死にベッドから這い出すと、浴室まで這っていき、冷たいリノリウム床にへたりこむと、そのままシャワーを浴びた。 冷たい水だったが、火照った体には心地よくすら感じる。 べとついた汗も、気持ち悪い体液もすべて洗い流してしまうと、少しだけ落ち着いた。 体を拭いて新しい部屋着に着替え、浴室を出て再びベッドルームに戻る。 これまで何度もヒートは経験していたが、こんなにひどいのは初めてだ。 (高斗さん……) 無性に恋しくなり、心の中で名前を呼ぶが、ヒートが終わるまでは絶対に顔を合わせられない。 今高斗に会ったら、なりふり構わず、理性のない動物のように彼を求めてしまうだろう。 彼に軽蔑されるようなことはしたくなかった。 高斗は千早をΩではなく、一人の人間として尊重してくれる。 それは今までの人生で、初めてのことだった。 それなのに、彼に対して薄汚い感情を抱いてしまう自分の体が憎らしい。 (触れて欲しい。高斗さんに……) 熱い吐息を零して枕に顔を埋めていると、不意にベッドサイドでスマホが鳴った。 高斗からのLINEだ。 初日からずっと、返事を出来ていない。 電話も何度かかかってきたが、どうしても取れなかった。 これ以上は心配させてしまうだろうと重い体を引きずって、スマホを手に取る。 返事が遅れたことの謝罪と大丈夫だということを伝えようと、たどたどしく指を動かして文面を打っていると、不意に電話が鳴った。 「!」 とても通話ができる状態ではないが、驚いた拍子に誤って通話ボタンを押してしまった。 (どうしよう……) 失礼を承知で切ろうとすると、通話口から、高斗のひどく心配そうな声が聞こえる。 「千早!? 俺だけど……大丈夫か? 飯とか食えてる?」 「…っ」 久しぶりに聞いた声に体の奥がカッと異常な程熱を持ち、悲しくもないのに目に涙がこみ上げた。 「た、か、…う……ぁっ」 千早は名前を呼ぼうとして、妙な声が漏れそうになり、慌てて手で口を押さえた。 やはりまともに話せそうにない。 「……っ」 「千早? おい、マジで大丈夫か? 医者呼ぶか?」 大丈夫、と言おうとしたが、口から漏れるのは熱い吐息だけだ。 「…、………っ… 」 「おい、千早? 千早!」 千早は慌てて電話を切った。 変に思われたに違いないが、今は何も話さない方がいい。 電話を切るとたちまち静寂が訪れたが、千早はその静けさに気づかないほど昂っていた。 心配した高斗からひっきりなしに電話がかかってくるが、もう取れそうにない。 心臓がどくどくと早鐘を立て、もう快楽を通り越して拷問に近いというのに、下腹部が疼いている。 (高斗さん…っ、高斗さん……っ) 心の中で譫言のように名前を呼ぶ。 このまま、死んでしまうのではないかと思うと怖かった。 千早はうるさく音をたてる心臓を押さえて夢中で自分の部屋を出ると、足音を忍ばせてそっと高斗の部屋を訪れた。 あの晩、高斗は相当慌てて荷造りをして出て行ったのだろう。 ベッドの上にはクローゼットから引っ張り出したらしい服がいくつか散らばっていた。 それを見ると、これ以上は壊れてしまうというほど、鼓動が早くなった。 (ごめんなさい……少しだけ) 心の中で謝罪を繰り返しながら千早は引き寄せられるようにベッドに近づき、高斗の室内着を抱きしめた。 もっともっとと、くるまるように埋もれると、高斗の匂いがして、今まで経験したことがないような幸福感に包まれた。 Ωには、恋した相手の服を集める、「巣作り」と呼ばれる行動をすると聞いたことがあったけれど、まさか自分がそんなことをするなんて思ってもみなかった。 (僕は……高斗さんに恋してるのかな……) ぼんやりとした頭でそう考えると、胸のあたりがぎゅっと何かに掴まれたように痛くなり、潤んだ目元から涙が溢れ、頬を伝った。 三ヶ月だけの関係なのに、何を夢みたいなことを。 そもそも、彼とは住む世界が違う。 それでも、心の中で密かに想うぐらいなら許されるだろうか。 どれだけの時間が経ったかわからないが、ここ三日間の暴力的なヒートに疲れ果てた体に、少しだけ眠気が訪れたときだった。 「俺のベッドで、何をやってるんだ……?」 「っ!」 ハッとして飛び起きると、部屋の入り口に高斗が立っていた。 暗くて表情まで見えないが、声からひどく困惑しているのが伝わってくる。 「ど、……して……」 「もしかして倒れてるんじゃないかって見に来て、部屋にいないから探したら……そっちこそ、なんで俺のベッド……」 「…………」 違うんです、ごめんなさい。 言い訳をしたいのに、あまりのショックで声が出てこない。 「い、いや……大変な時だもんな。別にどこで寝てくれてもいいんだ。あ、あとレトルトの食べ物とか、飲み物とか買ってきた。ここ置いておくから」 高斗はビニール袋をがさりと鳴らしてそう言うと、部屋の明かりを付けた。 待ってくれと言う間もなかった。 明るくなった部屋で、彼は千早が自分の服を纏い、抱きしめていることに気づくと、驚愕した様子で目を見開いた。 「なっ…、なんで俺の服……やめろよ」 ──やめろよ 血の気が引くとは、こういうことだろう。 「ちが、す、すみませ……」 千早は真っ青な顔でベッドから降りた。 だが、くたくたの体が足を縺れさせ、バランスを崩して前に倒れた。 床に激突するかと衝撃に目をつぶるが、いつまでもそれは訪れない。 高斗が咄嗟に抱き止めてくれたのだ。 「ごめん。びっくりしてつい……大丈夫か?」 耳元にその温もりに、千早は目を見開いた。 瞼がぶわりと熱を持ち、胸が締め付けられたように痛くなり、理性がぐずぐずと溶けていく。 早く体を離せと、頭の奥でわんわんと警鐘が鳴っている。 それなのに、どうしても離せずに、それどころかその体に腕を回し、抱きついた。 「……たか、とさ……っ」 抱いて欲しい。 そういうあさましく物欲しげな顔をしていたに違いない。 「……ッ」 その時、高斗が息を呑み、肩に強い痛みが端った。 彼は千早の肩をきつく掴むと、思い切り体を押し返したのだ。 明確な「拒絶」だ。 いつも千早に対してとても紳士的な彼からは考えられないぐらい荒っぽさで、千早は呆然と目を見開き、瞳を揺らした。 「わ、悪い。絶対来るなって言われてたのに……。別に、なんでも、好きにしてていいから。………その服も」 それだけ言うと、高斗は千早に背を向けて足早に階段を駆け下り、まるで逃げ出すように家を出て行ってしまった。

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