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第10話 拒絶・3

「あれ? 青山さんだ」 彼は一度この家を訪れてから、ちょくちょく千早にLINEを送ってくれていた。 『千早ちゃーん、今何してんの? 俺? 俺は今家でヒマしてる笑」 千早はその画面を見つめながら小さく眉根を寄せた。 青山は、高斗と同じ仕事内容で、忙しさも同じのはずだ。 これは追及しない方がいいと本能が告げているのに、どうしても聞かずにはいられなかった。 『今お仕事、忙しくないんですか?』 『昼は忙しいけど割とうちの部署は今閑散期だよー。高斗も毎日早く帰っててうざいっしょ?』 驚きはしなかった。 薄々、そうじゃないかと思っていたから。 だが、これまで心の支えにしていた「本当に忙しいのかもしれない」という可能性がぽっきり折れると、千早はどうしようもなく胸がジクジクと痛むのを感じ、膝の上で無意識に拳を握りしめた。 やっぱり避けられていたんだ。 高斗からのLINEと青山からのLINEを見比べて、千早は目元まで込み上げてきた涙を堪えると、小さく笑って溜息を吐いた。 「高斗さん、嘘吐くの下手だなー……」 だが、嘘が上手い人より下手な人の方が好きだ。 そして、嘘を吐くのが下手な人に嘘を吐かせるほど、困らせてしまっているということが、千早は苦しかった。 もう、どうにもならないだろう。 信頼関係は、本当に壊れてしまうと、どう取り繕っても修繕は無理だ。 これ以上、恩人である彼を困らせる訳にはいかない。 一ヶ月余り、本当に夢のように毎日楽しかった。 三ヶ月には満たなかったが、そろそろ夢から醒める時が来たのかもしれない。 千早が今ハウスキーパーを辞めると言えば、彼はきっと安堵するだろう。 (清掃バイト辞めなくてよかった……) 青山にどう返信するか迷っていると、もう一通送られてきた。 『もしかして、高斗家帰ってない?』 千早はギクッと肩を震わせた。青山は、変にカンがいいと高斗が言っていたことを思い出す。 『今日は用事があるみたいで』 『じゃー、今から遊びに行っていい?』 今から?と、フットワークの軽さに驚いたが、高斗がいないのに勝手に家に招く訳にはいかない。 自分はここの従業員に過ぎないのだ。 『高斗さんに確認してみないと』 『あー大丈夫! 俺の方で了解取るから』 そして、五分もたたないうちに、次のLINEが来た。 『OKだって』 『絶対嘘ですよね』 『うん、まあ嘘だけど』 悪びれないLINEに、千早は「まったくもう」とため息を吐いた。 『申し訳ないですけど、高斗さんがいないのに遊びに来ていただく訳にはいきません』 『残念』 しょんぼりとしたスタンプに、少し胸が痛むが仕方ない。ごめんなさいと打とうとして、もう一通LINEが来た。 『じゃあこうしよう。俺の家に遊びに来てよ。ディナータイムは過ぎたけど、宅飲みしよう』 『えっ!?』 『それならなにも問題ない。よし決まり! 今から車で迎えに行くね!』 確かに、千早は今日一日の仕事は終えており、高斗も夕食後は自由に過ごして欲しいと言われている。 今日はバイトも入っていないが、だからと言って、青山とはまだ高斗を交えて一度食事しただけの関係だ。 ──俺、距離感バグってるから 本人がそう言っていたのを思い出す。 (バグりすぎだ……) だが、断りたいかと言われたらそんなことはなかった。 青山は一度話しただけだが、とても話し上手で面白い人だし、何より高斗の友達というところで、信頼感がある。 正直今は一人でいるのが少し辛い。 こんなヤワな精神で、この先また一人で生きていかなければいけないのにどうするんだとも思うが、結局NOと言えないまま時間が過ぎ去り、コンシェルジュから来客の電話が入ってしまった。 (困ったな……どうしよう) 無視する訳にもいかずにエントランスまで下りていくと、青山はにこやかに片手を上げた。 「やっほー、千早ちゃん」 「あの、高斗さんいませんけど、本当に僕と二人でいいんですか?」 「うん。それがいいんじゃん」 「僕と一緒に飲んでもつまんないですよ。下戸ですし、気の利いた話とか出来ないです」 「大丈夫大丈夫。俺が面白いから無問題!」 はい乗ってーと背中を押され、千早は半ば強引に助手席に乗せられてしまった。 普段、車には気を付けていて、歩道を歩くときも停車中の車には絶対近寄らないようにしていたが、高斗の友人なら大丈夫だろうと少し楽観視していた。 それに今は、青山の底抜けの明るさが、少しありがたくもあった。 青山の家は渋谷区にあるマンションの一室で、高斗の落ち着いた雰囲気の部屋とは裏腹の、ドラマの撮影に使われそうなモダンで洒落た部屋だった。 千早はモデルルーム見学に来たように、行儀が悪いと思いながらもあちこち見渡してしまった。 「高斗のバカみたいにでかい家と比べると、狭いけど」 「狭いの感覚おかしいですからね?」 「はは、そうかも。まー適当に座って。今とりあえず飲み物出すから」 「手伝いますよ」 「いいからいいから、お客様は座ってて」 背中を押され、千早はソファに座らされてしまった。 L字型に置かれたロータイプのソファはひどく座り心地が良いが、何もしないでいることが落ち着かずに、壁に飾られているモダンアートを眺めていると、ほどなくして目の前に、グラスが差し出された。 透き通るようなグラデーションのかかった青の底にほんのり薄桃色の二層構造になっていて、一番底にはチェリーが入っている。 「お待たせ致しましたーこちらがウエルカムドリンクです」 「うわ、すごい。綺麗ですね。こんなの自宅で作れるんだ……。あ、あの、写真撮ってもいいですか?」 「どーぞどーぞ」 まるで芸術作品を見たように感嘆の声を上げてスマホで撮影していると、青山は少し照れくさそうに笑った。 「大学時代バーテンのバイトしてたんだ」 「ほんとですか? バーテン似合いますね」 「そう? あーあと、ホストクラブでもバイトしてた」 「そっちはもっと似合います。絶対スカウトでしょう?」 「まさか。当時はすごい根暗な苦学生だったから」 想像がつかない、と首を傾げていると、青山は懐かしそうに続けた。 「どうしても卒業したくて、学費稼ぎたくてね。夜の仕事が一番金稼げたし、正直今より稼いでたかも。色恋営業厳禁って言われたけどやりまくったな。……刺されなくて良かった」 「え?」 物騒な言葉に目を見開くと、昔の記憶に浸っていた青山はハッとしていつもの爽やかな笑みを浮かべた。 「まー、そういう訳で今はお坊ちゃまの高斗君と同じ職場で働けるまでになったって訳! ちなみにそれ、千早ちゃんイメージのオリジナルカクテルなんだ」 千早はもう一度カクテルを見た。 水底に沈んでいるチェリーから、細かい気泡がシュワシュワと光の粒のように水面に上がっていく。 (僕はこんなに綺麗じゃないけど……) そう思いながらも、なんとなく嬉しくて千早は微笑んだ。

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