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第10話 拒絶・4

「じゃ、カンパ〜イ! 来てくれてありがと千早ちゃん」 「……はい」 カツン、と小気味良い音を立ててグラスがぶつかり合う。 ウェルカムドリンクとして出されたカクテルは、酒が苦手な千早にも、ジュースのように飲みやすい。 「お、美味しい……」 「でしょー? でもゆっくり飲んだ方がいいよ。飲みやすい酒って酔いやすいから。はい、つまみ食べながらね」 そう言って、生ハムが乗ったバゲットが差し出された。 適度に塩気の利いたそれは、とても美味しい。このところ、食欲がなかったが、久しぶりに食べ物を美味しいと感じた気がする。 青山は相変わらず話し上手で、普段口数の少ない千早も、思わずおしゃべりになってしまうほど乗せられてしまう。 つまみと一緒にちびちびとカクテルを飲んでいると、ちょうど飲み終わった頃に、青山がふと驚いたように言った。 「千早ちゃん、マジ酒弱いね。もう赤いよ」 「えっ」 千早は慌てて頬に手を当てた。ウエルカムドリンクの一杯で、もう頬が熱く火照っている。 「……今日は特に回るのが早い気がします」 「確かに。こないだ高斗と交えて飲んだ時はそこまでじゃなかったよね。疲れてるのかな? 水持ってくるから待ってて」 「すみません……」 青山が慌てた様子でジョッキ一杯の水を持ってきたので、千早は少し笑ってしまった。 冷たい水をごくごくと飲むと、少しすっきりして、ふうとため息を吐いた。 「続きはソフトドリンクにしよう。ノンアルだけど美味しいよ。はい、クランベリージュース」 「ありがとうございます」 両手で受け取り、一口飲んで「美味しい」と微笑むと、青山は少し頬を赤らめ、苦笑して言った。 「誘った俺が言うのもなんだけど、千早ちゃんは絶対サシ飲みしない方がいいな」 「基本的に、人前では飲まないんです。職場の飲み会も、全部断ってますし」 「マジ? じゃあ、なんで俺との宅飲みはOKしてくれたの?」 「駿太さんは、高斗さんの友達だから……」 「へえ。じゃあ千早ちゃんの中では、高斗は、〝絶対安全な奴〟なんだ」 「……高斗さんは、恩人なんです。はじめて、僕に居場所をくれた……」 思った以上に酔っていると、頭の片隅で自覚していた。 「恩人かぁ……恩人、ね」 青山はすでに三杯目のウィスキーを煽ると、何か言いたげにしばらくの間氷をカラカラと鳴らしていた。 「つーか高斗、マジでずっと家に帰って来てないの?」 「ずっとじゃないですよ。二日に一回ぐらいは帰ってきます。……色々と、忙しいらしくて」 すると彼は、ひどく言いにくそうに言った。 「うちの部署、今一年に一回あるかないかぐらいの閑散期だよ」 「……現大臣の御子息ですし、他にも色々あるんじゃないですか。接待とか」 「そういうのがあったら、愚痴ってくるからなあ」 「プライベートで忙しいこともあるかもしれないじゃないですか」 「……新しい彼女が出来たとか?」 笑って言われた言葉に、ズキッと胸に痛みが走り、思わず眉を顰めた。 「あるかもしれません」 「……いや、ないね。あいつ、素人童貞だから」 「素人童貞?」 聞き慣れない言葉に、首をひねる。 「本来の意味とはちがうけど、ヤリチンのくせに、本当に好きになった相手とはセックスしたことないってこと。そもそも、あいつ人生で一度も人を好きになったことがないって言ってたから。恋人が出来ても、必要なのはセックスだけでプライベートの時間を毎日削るほど、他人に時間は割かない」 「そう、なんですか?」 ヒートになる前、千早が清掃バイトで帰りが遅くなった時は、どれだけ疲れていても、断っても、心配して必ず車で迎えに来てくれたことを思い出すと、他人に時間を割かないと言うのが信じられない。 ハウスキーパーにすぎない千早にこんなに優しいのだから、恋人となる人には、さらに優しいのだろうと密かに羨ましく思っていた。 「……本当に信じてるの?」 「何をですか?」 「高斗が帰ってこない理由が〝忙しい〟っていうの」 千早はほのかな酸味のクランベリージュースを口に含むと、首を横に振った。 「信じてる訳ないじゃないですか。……そう信じたいだけです」 ずっと溜め込んでいた心の澱が、酒で溶けた理性の隙間を縫ってこぼれ落ちる。 「高斗さん、本当は僕のせいで家に帰れないんですよ。ほら、僕Ωじゃないですか。特にヒートの時期は見境なく誰でも誘ってしまって……高斗さんのことも。それ以来、帰ってこないので……」 すると青山は目を見開き、ウィスキーを飲む手を止めた。 「千早ちゃんが? どんな風に?」 「……ど、どんな風にって……抱き着いたぐらいですよ」 結局その後、すぐに押し返されてしまった。 拒絶の強さを思い出して俯くと、青山は「マジか。羨ましいなあいつ」と顔を赤くした。 「……でも、もうヒートは終わったんだよね」 「ええ。でも実際誘惑されたら〝気持ち悪い〟って思ったのも無理ないですよ。高斗さん、ストレートですし……僕と、友達になりたいって言ってくださってて」 その気持ちを裏切ってしまったと呟くと、青山はグラスを置き、笑いながら言った。 「もし本当に千早ちゃんを気持ち悪いって思ったなら、高斗は容赦なく君を家から追い出すよ」 「まさか」 「あいつと寝たことのある女の子の被害証言を聞くのが一番話が早いと思うけどね。基本、損得勘定でしか動かない男だから。優しいのはマジで千早ちゃんにだけだよ」 「それは……僕が書類上〝つがい〟だからじゃないですか」 「つがい用のΩなら、誰でもよければいくらでも探せるからね。でも高斗は君に固執してる。君に恩を売って〝恩人〟になって断れないように囲い込んだってワケだ」 「僕はそんな風に思ってません」 思わず眉を顰めると、青山は首を横に振った。 「俺、高斗のこと嫌いじゃないよ。むしろいい友達だ。あいつは俺に似てるからね。違うのは育ちだけ。あっちは坊ちゃん育ちで、俺は成り上がり」 青山と高斗が似ているなんて、信じられない。むしろ真逆の性格に思える。 だが、彼の目は真剣で、いつものように冗談を言っている顔ではなかった。 「……高斗に、どうして帰ってこないのか聞けばいいのに」 「言いたくないから嘘を吐いているんでしょう」 「じゃあ、このまま帰ってこない主人のために家事を続けるの?」 千早は少しの間黙り込み、膝の上で手を握りしめると、長い睫毛を震わせて無理に笑みを作った。 「家主なのに、家に帰れないなんて変ですよ。関係が拗れても、僕にとって高斗さんは恩人で……光なんです。困らせるのは本望じゃない。辞めるつもりです」 青山はそれを聞くと深く息を吐いて長いこと押し黙り、やがてグラスを置いて笑った。 「それならそれでいいんじゃない?」 「?」 「俺んとこ来なよ。毎日ちゃんと家に帰るよ。千早ちゃんのご飯食べたいし」

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