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第10話 拒絶・6

高斗は部屋に上がると、ツカツカと足早に千早に近づき、その腕を掴んだ。 振り払えないほどの強い力に驚いて見上げると、彼は有無を言わさない声で言った。 「……千早、帰ろう」 「僕は……」 帰れない。 もう二度と、拒絶は受けたくない。高斗のことが、好きだからだ。 思わず後ずさって首を横に振るが、高斗は腕に力を込めたまま言った。 「話がある。二人で話がしたい」 「……分かりました。僕も話したいことがあります」 辞めるにしても、きちんと話をするべきだろうと頷き、腕を引かれるまま、青山の家を出る。 「あの、駿太さん……今日,ありがとうございました」 引っ張られながらも玄関先で慌てて振り返り、今日の礼を言うと、彼は高斗をちらりと見て、にこやかに言った。 「次は俺ん家に来るって話、真剣に考えておいてね~」 「………っ」 高斗は目を見開き、殺気を滲ませて青山を見た。腕を掴む手に力が籠められ、微かな痛みに眉を顰めると慌ててその力は緩められた。 ■ 帰りの車は、互いに無言だった。 高斗のマンションに戻ったのは23時過ぎで、ほんの数時間前までそこにいたのに、二人で帰るとやけに久しぶりの家に感じた。 沈黙のダイニングに向き合う形で座ると、千早は先手を切るように言った。 「お願いがあります。僕を、解雇してください」 高斗は一瞬目を見開いたが、やがて静かに言った。 「………青山のところに行くからか?」 「いいえ」 「じゃあ、元の暮らしに戻るのか? 青山のところにどうしても行きたいなら、引き留められないが、元の暮らしに戻るなら絶対認められない」 「……それなら、青山さんの所に行きます。解雇して下さい」 「嘘だな。認められない」 強い口調で言われ、千早は膝の上で手を握りしめ、瞳を揺らしながら言った。 「なんでですか? 僕のことを避けているのに。……僕はΩです。また、あなたを誘惑してしまうかもしれない。こんな風にあからさまに避けられたら、辛いです」 瞼が熱くなるのを堪えて訴えると高斗はそれまでの厳しい表情を崩し、長い沈黙の後、気まずげに、絞り出すように言った。 「…………ごめん」 「謝らなくていいです。嫌だと思うのは普通ですから」 千早のヒートを見た人は、嫌悪感を抱くか性欲の対象に見るかどちらかだ。 昔からそうだったから、慣れている。今まで、そういうものだと受け入れてきた。 だがやはり、高斗から嫌悪されるのは耐えられない。 「違う。そうじゃないんだ。本当にごめん。……………逆なんだ」 「逆……?」 逆の意味が飲み込めずに呟くが、高斗は焦れたように顔を赤くしてその先の言葉を言おうとして何度も躊躇していた。 それでも、しばらくして深く息を吐いて言った。 「千早と一緒に居ると、もうダメなんだ。……押し倒して、滅茶苦茶に抱きたくて、抑えられなくなる」 「え……?」 予想だにしなかった言葉に、千早は驚きのあまり無意識に口元に手を当てた。 「本当にごめん。千早には、せめてこの家ではΩだとか、バースのこととか全部忘れて、安心して過ごして欲しかったんだけど、俺がこんな風になって……でも、もう無理なんだ。お前が寝てる隣の部屋で、平然と寝てられない」 「た、高斗さ……」 頬に血が集まっていき、耳まで熱くなり、千早は俯いた。 言われた言葉を、なかなか咀嚼できず、心臓は早く理解しろと急かすように早鐘を打つ。高斗は千早の戸惑いを見ると、申し訳なさそうに続けた。 「もちろん、最初に言ったように雇い主以上の関係には絶対にならないように気をつける。そのために、これからも夜は不在がちになるかもしれないが、それは全部俺の問題なんだ。俺が、自制できないから。今まで誤解させて……傷つけてごめん」 「…………」 ダイニングルームには、先ほどまでの重い沈黙ともまるで違う、奇妙な緊張感で満ちていた。 高斗が、そんな、嘘だ。 信じられないという思いと一緒に、好きな人に求められているということに、どうしようもない幸福感が沸き上がった。 今までずっと、性欲の対象にされることが怖かった。 慕っていた人に、それを向けられたときの痛みと悲しみは、思い出したくもないぐらいに辛く、今でも心の深い部分に掬う古傷となって、膿を吐き出し続けている。 それなのに今は、ただ、泣きたいぐらいに嬉しい。 「僕は……構いません。貴方になら、何をされても」 静寂を破ってそう吐露すると、高斗は目を見開いた。机の上に置かれた彼の手の指先が、ぴくりと震える。 「だからちゃんと、家に帰って来て下さい。そうじゃないなら、この仕事は続けられません」 高斗は、こめかみを押さえながら怒りを滲ませた口調で言った。 「……何をされてもいいとか、簡単に言うな。本当に、どうなっても知らないからな。いいか。お前は今、飢えて牙を剥いた獣の前で、無防備に腹を見せているような状態なんだ」 高斗の目に嘘はなく、そこにははっきりとした欲が渦巻いている。 千早はその視線に、下腹部からじわじわと熱を感じ、全身が火照っていくのを感じた。 (ヒートでもないのに、何でだ……) 千早は息があがりそうになるのを堪えて、静かに言った。 「簡単に言ってません。〝あなたになら〟何をされてもいいと……」 「同じことを、青山にも言ったのか……?」 「いいえ」 はっきり首を横に振った千早に、高斗は何かを堪えるように手を握りしめた。 ──高斗は、抱えている荷物が多すぎる 青山の言葉を思い出すと、何かに強く葛藤し、思い悩む高斗に、千早は小さく笑みを浮かべて言った。 「そんなに、重く考えないでください。Ωは気持ちいいことが好きだって言ったでしょう? 高斗さんが僕を抱きたいと思って下さってて、僕もあなたに抱かれたいと思ってる。二人共特定のパートナーはいない。それならいいじゃないですか。本当の番になる必要もありません」 千早は必死だった。 高斗に一度でもいいから抱いて欲しい。 だが、「好きだ」などと伝えたら、高斗はきっとひどく困ってしまうだろう。 高斗の立場を考えれば、本当に結ばれようだなんて、大それたことは考えていない。 自分は幸せになって良い人間でもない。 だからせめて、ほんの一時だけでも、恋人のように抱き合えたらと願わずにはいられなかった。 「ああでも……他に、好きな方がいらっしゃるなら……」 「いない」 高斗は間髪入れずに答えた。 「他に、好きな奴も、欲しい奴もいない」 「……それなら、何も問題ありませんよね。今夜はホテルに泊まらないで……もし、したいのなら好きなだけ、僕を抱いて下さい」 随分思い切ったことを言ってしまったと、赤くなった顔を隠そうと茶を淹れる振りをして席を立ち、キッチンで背を向けていると、不意に後ろから強く抱きしめられる。 腰の部分に、熱が当たるのを感じ、千早はぶわりと耳まで赤くした。どうしていいか分からず、身を固くしていると、耳元で高斗が囁くように言った。 「頼みがあるんだ」 「……なんですか?」 「俺に抱かれたらもう、他の奴に抱かせないで。青山にも」 頼むから、と懇願するように言われ、千早は俯いた。 本当は、青山とも何もしていないし、そもそもこれまでも誰とも関係していない。 だからと言って、綺麗な体でもない。 千早は思い返してぶり返しそうになった痛みを抑えるように胸の辺りをさすった。 それでも、好きな人と、望んで行為をするのは初めてのことだ。 それでも、自分たちの関係を重いものにしたくないのであれば、快楽に弱く誰とでも寝て、〝火遊び〟をしていると思われたままの方が良いだろう。 世界でたった一人の運命のΩなんて大仰なものとは正反対の、この世に無数にある、快楽だけの一時的なつながりなのだと、自分に言い聞かせる。 「……高斗さんが毎日ちゃんと帰ってきて、一人で、僕を満足させてくれるなら考えてもいいですけど」 わざと挑発的な顔を作ってそう言うと、高斗は一瞬ぽかんとした顔をした後、きつく肩を掴むと、少し怖いような笑みを浮かべて言った。 「……分かった。もう嫌だって泣くぐらい、満足させてやる」

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