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六話 義兄の恋人
受け付けで手続きをして入館証を受け取ると、俺は慣れた廊下を進んで約束の会議室をノックした。既に資料を準備中だったらしく、中には同世代の青年がシャツの袖を捲って作業をして居る。
取引先の主任であり、友人でもある赤澤誠一だ。スカイシステムのシステムを納めて以来、プライベートで食事に行ったり、仕事の相談をしたりと良い関係である。ついでに言えば彼は、我が『義兄』芳明のパートナーである。
「おはようございます」
「お。西―――金木さん。おはようございます」
まだ慣れないらしい呼び名に、苦笑しながら鞄をテーブルに置く。他にまだ人が来ていないのを確認し、資料を受け取って席に座った。
「朝比奈課長はまだ?」
「朝比奈は管理職会議が長引いてるっぽい。コーヒーでも淹れようか?」
気安く聞いてくる赤澤に頷き、鞄から書類を取り出す。日差しの下を歩いてきたお陰で、汗がベタついて腕に巻いた時計が張り付いている。祖父から受け継いだアンティークの時計は、部品の一つだけがピカピカの新品だった。
「外は暑くなったな」
「ホント。外回りキツいんじゃない? 営業さんは大変ね」
紙カップに注がれたインスタントコーヒーを受け取る。一口啜って、熱さに眉を寄せた。
「そういや、行くって言ってた店、行ってみたの?」
赤澤の言葉に、ドクンと心臓が鳴る。妙な緊張が胃をキュッと締め付けた。
「ああ―――ん。まあ……」
「なにその反応」
視線を逸らした俺に、赤澤は顔をしかめる。なんと言って良いか憚られ、言葉を探した。
赤澤は俺がゲイバーに行こうとしていたのを知っている。そもそものきっかけを作ったのは、目の前に居るこの男だ。赤澤とその恋人である芳明への恋愛感情に気づかされたものの、自分がゲイである自覚がなかった俺に「だったら試せば」と軽いノリで言ってきたのが赤澤である。背中を押されなかったら一生縁がなかった場所だ。その件については有り難いのだが。
(素性の知らない相手と寝たとか―――あまりにも……)
自慢じゃないが、俺の貞操観念は軽くない。大学時代に負ったトラウマが、余計にそうさせる。それなのに康一と寝たことは、俺にとってイレギュラー過ぎるアクシデントだった。
ワンナイトラブなんて器用にこなせる性質じゃないのに、彼の手を取ってしまったのは、結局彼が魅力的に思えたからだ。
「まあ、何回か行ってみてる」
曖昧に濁してそう言った俺に、赤澤は好奇心むき出しの顔で身を乗り出す。
「お? やっぱそっちだったってこと?」
「聞き方があからさまなんだよ」
ニヤニヤする笑いに居たたまれない気持ちになる。本当、どういう心臓をしているのか。赤澤はコソコソするタイプじゃない。そう言うところを好ましく思っていたものだが、いざ自分が矛先になると厄介だ。
「良いじゃん。オレとお前の仲だろぉ?」
「そうは言っても、俺だってまだな」
受け入れるには、早いんだよ。二十八年もヘテロだと思ってたんだよ。今更ゲイだなんて、簡単に受け入れられるか。思春期だって通り越してきたのに。
「まだとか言ってると、あっという間に三十だぜ? お互い良い歳なんだしさ」
(痛いとことを突くな……)
女性相手なら二十八でも良い気がする。けど、経験の殆どないアラサーのゲイってどうなんだろう。康一と関係が持てたのは本当に偶然が重なったとしか言いようがない。
「まあ、お前モテそうだし? 通ってたらすぐに恋人の一人や二人出来るでしょ」
「……どうだか」
お前に言われるのは、あんまり説得力ないぞ。俺は芳明にも赤澤にも、フラれてんだから。
じとっと睨んでやると、赤澤は気づかぬようで、丁度着信のあったスマートフォンを取り出した。
「朝比奈課長?」
「いや、兄貴。長男。今度近く来るから飯食おうって」
「ああ、例の長男さんね」
赤澤は男ばかりの四人兄弟。その末っ子だ。どうやらメールの相手は長男だったらしい。真面目で堅物だと聞いていた。
「飯は良いけど再来週の話だぜ? 覚えてる自信ないんだが?」
「また気長な話だな。芳明に言っておけば覚えてるんじゃないの? アイツそう言うところマメじゃん」
「あー、そうだな。スケジューラー入れておこう」
赤澤はそう言いながらスマートフォンを操作した。
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