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十四話 付き合いませんか?

 どくん。  心臓が鳴る。  体温が上昇する。  衣擦れの音が響いた。  指先が頬に触れる。  康一の手はそのまま、おしぼりを握っていた手を掴み、手首にキスをする。  ぞくり。  皮膚が粟立つ。  妖艶な瞳に、目眩がした。  息を止めていた。  赤い舌が、手首の動脈をなぞるように指先まで舐め上げる。  指を咥える口から覗く白い歯に、目が釘付けになった。  指が、舐られる。  深く咥え、また引き抜く。  淫靡な愛撫は、口淫を真似ているようだ。  銀色の糸を垂らして、指が引き抜かれる。  顔が近づく。  上唇を軽く食んで、舌先が舐める。  ピクリ、震えた肩を手のひらが押さえる。  舌が、自然と絡み合った。  深く唇を重ね合わせ、逃げる舌を康一の舌が追いかける。  角度を変え、唇を吸う。  鼻から吐息が漏れる。  呼吸が乱れる。  貪るようなキスに、意識がぼんやりする。  無意識に首に腕を伸ばし、夢中でキスを繰り返した。 「っ、は―――……」  吐息が熱い。吐き出した息に、康一がもう一度唇を寄せる。  唇がピリピリと痺れた。  指が、絡み合う。  このまま、どうにかなりそうだった。 「失礼しますー」  扉の向こうから響く声に、ビクリと肩を揺らした。急に現実に引き戻され、頭がくらりとする。  康一は俺の指を離すと、上から退いて扉の向こうに声をかける。 「はい」 「っ」  慌てて起き上がり、誤魔化すように顔を仰いだ。顔、真っ赤じゃないだろうか。熱い。 「お料理お持ちしました。他に何か御入り用でしょうか?」 「もう一本いただけますか。それと、おしぼりも」  平然と、康一は倒したお銚子を手にしてそう言う。店員は「あら」と言って口許に手を当てた。 「タオルもお持ちしますね。少々お待ちを」  扉が閉まる。どっと、緊張と安堵が一気に襲いかかってきた。 (そうだよ、店じゃん。なにやって)  信じられない。いくら個室だからって。  康一を軽く睨むが、彼は淡々としたものだ。こっちは、心臓がバクバクして酷いってのに。というか。 (や、ばかった……。勃つかと……)  キスの気持ち良さに、やられるところだった。店員が入ってこなかったら、俺どうなってただろう。  動揺する俺をよそに、康一はテーブルの真向かいに戻り「料理、冷めますよ」と言った。その態度に、むすっと唇を結んで乱れた襟を直す。 「……」  再会してから度々思うことだが、どうやら康一はこう見えて押しが強い。流されてキスする俺も悪いのだろうが、そもそも向こうが仕掛けてこなければこうはならないわけで。  黙ったまま箸をつけずにいる俺に、康一が徐に切り出した。 「あれから、あの街には行きました?」 「―――はい」  貴方を探したと言ったら、康一はどんな反応をするだろうか。チラリと見上げた表情は、やはり何を考えているのか解らない。 「素敵な出会いは有りました?」 「……友人は、出来ましたよ」  俺の言葉に、康一は「良かった」と笑う。あまり表情を変えない彼の、穏やかな笑みに、不覚にも胸の奥がきゅうっと疼いた。 「―――あ」  口を開くと同時に、扉が叩かれ店員が顔を出す。タオルを手渡され、思わず黙ってしまった。 (……なに、言おうとしたんだっけ)  自分でも、何を言おうとしたか解らない。渡されたタオルとおしぼりを使って酒を拭く。  俺も康一も、それきり話題らしい話題を出せず、時間だけが過ぎていった。    ◆   ◆   ◆  店を出て、ホッと息を吐く。程よく酔いが回って、足取りがふわふわしていた。 「すみません、ご馳走になって」  俺も払うと言ったのだが、固辞されてしまった。こういうのは慣れない。 「すみませんより、ありがとうのほうが嬉しいですね。僕が誘いましたから」 「ありがとうございます」  思わずクスッと笑う俺に、康一は口許を上げた。夜道を、二人連れだって歩く。駅までは一緒だ。 「研修、明日までですね」  明日が終われば、どうなるんだろう。キスまでされた。期待しても良いのか迷う。 「寛之さんは、初対面で抱いて、またこうやってアプローチしてくる僕を不誠実な男だと思っていますか?」 「え?」 「あの日は―――あの夜だけの関係だと言ったのに、約束を守らないのは」 「―――」  そんな風には、思っていない。首を振った俺に、康一はホッと息を吐く。 「運命的だと、思ってしまうんです。僕は、貴方に惹かれている。本当に」 「っ、康一さん、その……。もちろん、嬉しいですけど……。俺、あんなことしたの、あの日だけです。付き合ってないのに、そう言うことは出来ないですし、二股とか、無理だし……」  先ほどあんなキスをしたのに、こんな風にいうなんて面倒なヤツだろう。けど、友人の彼女を知らずに寝取ってしまった経験から、そういう軽い関係は結べない。俺にとってはトラウマだ。大吾のように、妻子のいる相手だって無理だ。康一はノンケだし、そう言うことも有るかもしれない。  自分に都合良く好かれるなんて、有るんだろうか。 「僕は、恋人は居ませんよ。そうなりたいと思ったのは、貴方です」 「―――っ」  信じて、良いんだろうか。嬉しい気持ちを、夜の街で聞いた噂が否定してくる。  噂は噂だ。けれど、あの街で噂になるノンケって、どこまで信じて良いか解らない。 「お付き合い、してくれませんか? 返事は、明日で良いですので」 「―――っ、考えて、おきます……」  俺の返事に、康一は目を細めると、俺の手を取る。指先にキスをして、「前向きに」と念を押す姿に、またくらりと目眩がした。

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