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第17話

「雨降りの夜に千鳥足で帰るのは危ない。泊まっていくといい」  頭の中で勝利の鐘が鳴り響いた。願ったり叶ったりで、勝負パンツを穿いてきた甲斐があるというもの。某文学青年のペニス曰く、〝雪肌〟が映える濃紺でオーガニックコットン百パーセントの新品をお披露する目処(めど)が立ったと思いきや、そうは問屋が卸さない。  大量消費が予想されるボックスティッシュならぬ、ビニール袋と新聞紙で二重に内張りをほどこした洗面器が枕元に出現した。 「吐き気をもよおしてトイレに間に合わないときは遠慮なくこれに。後始末は任せてくれ、吐き癖がある実家の猫の世話で慣れている」    羽月は枕に顔を埋めた。この空気の読めなさかげんは、すでに犯罪クラスだ。シーツはほのかに雄臭くて、内奥の疼きはいや増すばかりだというのに、当のペニスときたら健全なほうへ健全なほうへと舵を切りたがる。  猫は猫でも、おれはネコ。とりわけが強い精液はさすがに吐き出してしまうが、もったいぶるのはこのへんにして、さくっと穴にハメんかい! 「……おれ、酔うと人恋しくなる感じ」  かけ布団をずらして、目許から上だけを覗かせる。儚げで、いきおい庇護欲をかき立てるアングルは、コストパフォーマンスが高い。添い寝をしなければ、という強迫観念に囚われるはず。 「酔った……では、宿酔(ふつかよ)いの予防に血液中のアルコール濃度を薄めておくことだ」  水を満たしたグラスが口許にあてがわれ、心の中を冷たい風が吹き抜けていった。トンチンカン野郎、と羽月はひそかに毒づいた。こちらの希望は添い寝からのエッチであって、看病ではない。どうせなら口移しで飲ませるくらいの機転を利かせろ。  じゅるじゅると水をすする。これが搾りたての精液であれば、と思わずにはいられない。あの手この手で官能に訴えかけるよう努めてきたものの、裏目に出てばかりで、今夜中にペニスを愛でる段階にこぎ着けるのは難しいと言わざるをえない。  登山中に天気が急変したさいには勇気ある撤退が生死を分ける。それと同じで、ひとまず退却して、作戦を練り直したうえで再チャレンジといくのが賢明だ。  断じて敗走ではない、戦略の一環だ。羽月は跳ね起きるが早いか、リュックサックを背負った。 「押しかけてきて泊めてもらっちゃ、迷惑かけすぎでしょ。帰る、じゃあね」 「無事に帰り着くだろうかと、やきもきさせられるほうが迷惑だ」  ベッドにUターンを促す手を払いのけた拍子に、足がもつれた。つんのめって引き戸に激突するところを抱きとめられ、 「早速、コケて。先輩はけっこうドジだな」  腕の中に収まる形になったのをいいことに鼻をひくつかせる。日向くさいような馥郁とした香りに較べると、シャ〇ルの香水さえトイレの芳香剤並みに安っぽく感じられる。このときとばかり嗅いで嗅いで嗅ぎまくると、ペニスを搦めとりに秘密の花園から触手が伸びてくるようだ。

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