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第26話

 と、おたおたすることはない。肉じゃががあれば満足、と言いたげに涼太郎は箸を動かしつづける。  まるでパブロフの犬だ。美味い、と笑みがこぼれるたびに胸がきゅんきゅんして、きゅんの猛連打に肋骨がぽきぽきと折れるようだ。舞いあがりついでに、はだかエプロンのご用命は、と口走りそうになるあたりが、ビッチ魂健在といったところだが。  おかわりしたぶんも平らげたあとで、涼太郎が急に真顔になった。 「先輩は気さくで働き者で、一丸のトイレが吐瀉物で汚されたときも率先して掃除をしていた。尊敬に値する姿だった」  くだんの悪酔いした客を介抱する名目でラブホテルにつれていき、しっかり元を取った──。などと馬鹿正直に打ち明けるより、美しい幻想は幻想のままにしておこう。 「身内の要請という不純な動機でバイトを始めた俺──失言だ、忘れてくれ──とにかく接客業に不慣れな俺に何くれとなく親切にしてくれて、なごみキャラというのか一緒にいて楽しい人で、おまけに料理上手で、事前に聞いてきた話と違い、かわい……」  ごにょごにょと語尾を濁すと、缶ビールをひと息に飲み干した。  面映ゆいとは、こういうことか。良心が疼くとは、このことか。羽月は一旦正座をすると、がばっと上体を伏せた。 「ごめん、嘘ついた!」  嘘、と鸚鵡返(おうむがえ)しに繰り返されると、ますます気がとがめて涼太郎を正視できない。 「懺悔する。おれって、本当はインスタントラーメンを作るのがやっとの人で」  本当は、それすら危うい。鍋が吹きこぼれて惨状を呈することも、しばしば。 「白石くんは、てきぱきとナポリタンを作れちゃうくらい家事能力が高いだろ? で、ライバル心を刺激されて見栄を張った。食べに来てと誘った時点では、ジャガイモの芽に食中毒を引き起こすソラニンが含まれてることも知らなかった。騙して、ごめん!」  絶対、嗤われる。どんびきされる。羽月はガス台の向こうまで這っていくと、体育座りに縮こまった。  バレンタインデイに、本命に手作りのチョコレートをプレゼントするために練習を重ねる女子・男子は、いじらしい。かたやこちらは、主食は精液とうそぶくビッチ。ジャガイモを相手に悪戦苦闘したこの一週間を振り返ると、黒歴史認定だ。

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