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第32話

 小春日和だが、心の中は氷点下だ。調子が出ない理由は、本当はわかっている。ここ最近、涼太郎の態度が微妙によそよそしいせいで、くさくさするのだ。バイトの帰りには、途中まで一緒に歩いていくのがいつしか習慣になっていたにもかかわらず、ゆうべに至っては、羽月が私服に着替えている間に涼太郎は消え失せていた。  ふたりの関係がぎくしゃくしだした原因は、きっとこれだ。例の〝俺は四ノ宮のカレシ〟発言。  涼太郎はそれを額面通りに受け取ったにとどまらず、須田に気がねして距離をおこうとしているのかもしれない。カタブツくんの倫理規定に照らし合わせると、ありうる。  浅く広く平等に愛をそそぐ男。そう公言してはばからない須田がハレムと称するものには平和が戻り、チ〇ポを切断される事態は今のところ免れているという。ならば、羽月が天に成り代わってヤンチャが過ぎるチ〇ポにハバネロの抽出液を塗ってやる権利があると思う。  おまけに、いつぞやのストーカー予備軍が増長して、しょっちゅう電話をかけてくる。  そんなこんなで墨汁をひとしずく垂らしたように、華麗なるビッチ人生に影を落としているのだ。  さて、校舎と校舎の間を縫って延びる小道に折れたところで人だかりに行く手を阻まれた。見物客が輪になったその内側では、何かのパフォーマンス中とおぼしい。 「やあ!」だの、「とお!」だの、といった勇ましい掛け声が響き渡る。  羽月は(まなじり)をつりあげた。道をふさぐな、男どもよ一列に並べ、憂さ晴らしに片っ端から食ってやる、と怒鳴り散らしたい気分だ。突っ切ってやる、と人垣を押し分けて強行突破を図り、すると思いもよらない光景が目に飛び込んできた。  とたんに心臓を鷲摑みにされたような胸苦しさに襲われた。コンドームの包みが地面にすべり落ち、なのに拾いあげるどころか突っ立ったままだった。  殺陣(たて)の研究会が、時代劇のクライマックスシーンさながらの立ち回りを演じているところに行き合わせた。  それにしたって、これは騙し討ちだ。主役を務めているのは涼太郎だ。  涼太郎の役どころは若武者で、闇討ちに遭ったという設定らしい。藍染めの胴着と袴を身にまとい、手には木刀。しなやかな足運びで、ならず者の一味に扮した五人の学生を翻弄する。益荒男(ますらお)選手権があれば、ぶっちぎりで涼太郎の優勝まちがいなしだ。  羽月は我に返ると同時に、無理やり後ろにずれた。かぶりつきで観ていて、もしも涼太郎と目が合ったら恥さらしだ。じゃあ立ち去ればいいじゃん、と思いつつも、キレのある動きに見惚れてしまう。  そのへんのペニスとの会話は耳を素通りするものだが、涼太郎がこう言ったことは、はっきりと憶えている。 「父が剣道の師範代で、道場主で、幼いころから稽古をつけてもらっていた」。  なるほど、木刀さばきが堂に入っているのも納得。のみならず真剣でやり合っているような気迫に満ちていて、はまり役だ。

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