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第37話

「待て、先輩、話がある。待ってくれ」  待て、と言われて馬鹿正直に待つやつはいない。ロケットスタートを切った余勢を駆って、爆走する。全速力で校舎に駆け込み、廊下を駆け抜け、階段を駆けあがる。フェロモンの出量をまだ調整できなかった思春期以前、変質者を撒く必要に迫られて脚力が鍛えられた。先行馬か、おれか、というくらい逃げ足には自信がある。  もっとも、涼太郎もかなりの俊足だ。 「逃げるな、止まれ!」 「しつこい、ついてくるな!」  ヴェールをむしり取り、すぐ下の踊り場まで迫り来ていた涼太郎めがけて投げつけると、頭にかぶさった。網にかかった魚のように、涼太郎がもたついている間になおも上の階をめざす。  卑怯者、と羽月は自分で自分を罵った。無神経な真似をしでかしたんだ、怒りを買うのは当然で、潔く謝るのが筋ってものだろう? 好奇心に負けて占いの館に潜入するなんて、おれの馬鹿馬鹿、ビッチの風上にも置けない!  そもそも文系の校舎は羽月のテリトリーで、ここを舞台に逃走劇を演じるなら涼太郎にハンデをあげなきゃ不公平だ。なのにスピードをゆるめるどころか、ブレーキが壊れているようにひた走りに走ってしまう。  あみだくじの線をたどる要領で廊下を突っ走り、二段飛ばしで階段を上り下りして、いったい校舎を何周しただろう。追いかけっこにかくれんぼうをミックスした一幕は、まだまだつづく。  何しろ涼太郎は猟犬並みに執念深い。おまけにタフで、後夜祭の仕かけ花火が夜空を彩るころになっても、まだ追いかけてくる。 「話があると言っている、出てこぉい!」  怒声がフロア中に響き渡った。羽月はそのときトイレの掃除用具入れに隠れていた。モップに抱きついて縮こまる。  怖い、怖い、涼太郎は怒り狂っている。この調子だと捕まりしだい、半殺しの目に遭わされるのは必至。できれば、お尻ペンペンの刑で勘弁してほしい。贅沢を言えばおれを天井から吊り下げて、そのうえで後ろからぶち込み、ガンガン突いてほしい……じゃ、なくて!   いいかげん肚をくくり、涼太郎の前に進み出て懺悔をしよう。そう思ってドアノブを摑んでも回す勇気が湧いてこない。結局、足音が消え果て、さらに十分以上経過したのちに、そろそろと隠れ場所から出た。

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