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第40話

 その誰かが、誰なのか見定めると別の意味で足がすくむ。アポなし訪問なんて心の準備ができていない、反則だ。 〝時ならぬ訪問者〟が深々と頭を下げた。 「待ち伏せなどして申し訳ない」 「別にいいけど……用があって来たんだろ」  突っ慳貪に応じるはしから口許が独りでにほころぶ。マスクでごまかせてラッキー、と羽月は思った。殊更すたすたと開放廊下を歩き、ところが涼太郎を真横に立たせておいて鍵を鍵穴に差し込む段になると、指が小刻みに震えだす。  ペニスを〝穴〟にいざなうのは朝飯前なのに、どうして解錠するくらいのことにもたつくんだ? 「おれが帰ってくるの、けっこう待った?」 「そんなには……来る途中、屋台が出ていた。よければ茶菓子にしてくれ」  手渡された紙袋は湿り気を帯びて、ひんやりする。そんなにはを直訳すると〝かなり長い間〟だ。  羽月はあわててエアコンを点け、ヤカンを火にかけた。ツケが回ってきた形で冷や汗がにじむ。ウヤムヤにしておけない、と占いの館で盗み聞きを働いた理由について問いただしにきたに違いない。  黙秘権を行使しよう、と思いつく。涼太郎は当然、スッポンの異名をとる刑事ばりに厳しく追及してくるだろうが、のらりくらりとはぐらかして、焦燥感が性欲に転化されるように持っていく。狡い手だが、そうしよう。  などと、みみっちい戦略を練り終えて紙袋を開けてみると中身は焼き芋だ。手土産にこういうダサいものを選ぶセンスが涼太郎らしくて、ほっこりした。 「インスタントだけどコーヒーでいいよな。砂糖とミルクは入れる人?」 「おかまいなく」  涼太郎がテーブルの向こう側で正座をした。吹きっさらしに立っていた名残で鼻の頭が赤いが、群れに君臨する雄ライオンのような威厳に満ちている。  羽月は斜交いにしゃちほこばり、そこに先制パンチを食らった。 「逃げるのが得意な羽月先輩を確実に捕まえるには、自宅に張り込むのが一番だな」  マスクをしたままコーヒーを飲む、という吉本新喜劇的なことをやらかしてしまった。そのくせ胸がきゅんとする。羽月はかろうじてポーカーフェイスを保ち、焼き芋の皮を爪でこそげた。四ノ宮先輩から羽月先輩に呼び方が変わった。喜べ、出世したぞ。  涼太郎は、といえば。たたみかけてくるかと思いきや、黙々と焼き芋を食べるのみ。  羽月も、もそもそと焼き芋をかじる。その間も風がびょうびょうと唸り、電線がしなう。ふと、こんな想像をする。たったいま都内全域で大停電が発生して、ついでにドカ雪に降り込められたところを。  凍え死ぬのを免れるには抱き合って暖をとるしかないなんて事態に直面したら、腐ってもビッチ、痩せても枯れてもビッチの名に懸けて、お宝を愛でたおしてみせる。

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