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第44話

 状況を把握したとたん、羽月はふにゃあとなった。腐女子の皆々様方がこの場に居合わせていれば、神対応だ、映え~だとさえずって、一斉にスマートフォンを向けてきたに違いない。 一刻を争うときに姫抱っこしてくれるとは、すばらしい判断力だ。ひと筋縄ではいかないカタブツとの人物評は誤りで、恐るべき才能を秘めていたのかもしれない。  そう、ときめきという魔法を操る才能を。 「重いだろ。ヘタレで、ごめんな」 「お安い御用だ、それに……」  棚ぼたと独りごちて、ごにょごにょと濁す。それから涼太郎は、羽月を軽々と抱えなおすと大股で玄関に急ぐ。  もっと、ゆっくり歩いてほしい。姫抱っこで世界一周といきたい。羽月はパーカの肩口をぎゅっと摑み、ためらいがちに頬をすり寄せた。力づけるように揺すりあげられ、その間もけたたましい音が響き渡る。  命からがらという思いで開放廊下にまろび出たものの、様子がおかしい。いがらっぽさに咳き込むどころか、隣室の換気扇から漂ってくるカレーの香りにおなかが鳴った。  在宅中だった住人が、やがて集合ポストの前に集まった。火元はどこだ、バケツリレーの準備、と言い交わしながら建物全体と敷地のぐるりを見て回ったものの、燃えている箇所はない。通報を受けて到着した消防隊員も、火の始末について注意を促すと引きあげた。 「報知機の誤作動か。人騒がせな」  涼太郎が拍子抜けしたように、アパートに備えつけの消火器を元の場所に戻した。 「ピンポンダッシュのノリで押してったやつがいたのかも。でも……」    羽月は、はにかんでうつむいた。計算ずくじゃなく、自然とそうなった。 「白石くんが頼もしくて、おれ、感激した」  ついでに最奥が、もぐもぐしたがったことは黙っておこう。  涼太郎が照れ隠しめいた仏頂面でうなずき、もじもじと見つめ合っては、ぱっと顔を背ける。それを繰り返しているうちに、ふたり同時にクシャミが出た。  胸元の美しいラインがちらつくように、羽月は衿ぐりをたるませつつ前かがみになった。可愛い、と一世を風靡したアヒル口を表情のストックから引っぱり出したうえで、指に息を吹きかけた。 「部屋に戻って暖まろ。でないと凍え死ぬし」  報知機に邪魔される直前までは、な手ごたえを感じていた。あの空気感を再現して、股間を大解剖! を実現させるのだ。 「今夜中に進めておきたい作業があって大学に行かなくてはならない」  棒読みでそう言うと、常に姿勢のいい涼太郎らしくもない。ガニ股気味に加えてへっぴり腰で駐輪場に向かう。  羽月は薄手のニット一枚の姿で続いた。 「だったらスーパーに行きたいし、途中まで一緒しよ」  嘘だ。餌づけ作戦第二弾に向けて特訓中のハンバーグの材料は、朝のうちに買ってある。もっとも種をこねる段階にこぎ着けるのは当分先の話、というレベルにとどまっているが。

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