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第45話

「申し訳ないが、急ぐので失礼する」  と、あわてふためいて自転車に跨った瞬間、顔がゆがみ、脂汗にまみれた。涼太郎はサドルに手を添えてそろそろと自転車から降りる。一旦うずくまり、それからボールが股間に跳ね返ったキャッチャーさながらとんとんと跳びながら、 「そういえば俺が来たときに、入れ替わりに先輩の部屋の前から走り去った男がいた。ドアノブをがちゃつかせていて空き巣の下見かもしれない。用心することだ」  ト書きを読むような平板な口調で告げた。  羽月は機械的に相槌を打った。さよならのチュウをねだり、ねだられるような間柄ではないが、もう少し色っぽい科白があるだろう、と詰りたくなる。ぷいと階段をのぼり、そのくせ開放廊下にたたずんで、夕闇にまぎれゆく後ろ姿に向かって念じつづけた。  ──戻ってきて抱きしめるくらいしろ!  願いは虚しく、しょんぼりと自室に戻る。住み慣れた部屋が、いつになく寒々しい。それは涼太郎が帰ってしまったせい……もとい、またもやペニスを取り逃がしたのがくやしいだけで、切なくなんかないもん!  だが、心の中のいっとうヤワな部分が軋めく。窓ガラスを介して愁い顔と向き合い、ぶんぶんと頭を振って涼太郎の面影を払いのけた。  よし、ゲン直しにひとりエッチ祭りを開催しよう。モーターが焼け切れるまでオモチャを挿れ狂って、発散するのだ。  早速、えりすぐりの一本にコンドームをかぶせた。ところが、後ろにローションを塗り込めている最中に須田に電話をかけたい衝動に駆られて、実行に移した。そして回線がつながるのももどかしく、火事騒ぎの顛末を事細かに話して聞かせる。 「……でさ、咄嗟に姫抱っこってのがポイント高くない? 清純派テイストの女装プラス凌辱ごっこで筆おろしをしてあげたいくらい感動したし」 「デート中にくっだらない報告をしてくれやがった腐れビッチ、耳の穴をかっぽじってよぉく聞け。てめえの病気は恋わずらいだ、ノロケてんじゃねえぞ!」    羽月は、不通音を響かせるスマートフォンをしげしげと眺めた。恋わずらい? 日本初上陸のスイーツの名前だろうか。

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