46 / 76

第46話

 オモチャ三昧といく気は失せた。テーブルの上に置きっぱなしになっていたカップを流しに運び、そのうちの涼太郎が使ったほうに胸が波立つ。  薄茶色くて半円形の痕が、ここに唇が触れたと示す。  無機物の分際で、おれをさしおいて涼太郎にくちづけてもらうとは生意気な。などと、カップに訳のわからない妬ましさを覚えたにとどまらず、唇の痕跡を忠実に写し取るふうに唇を押し当てた。  なぜ、こんないじましい真似を? 客観視すると手汗でカップがすべり、派手に泡立ててカップを洗う間も、リピート機能が働いているように〝恋わずらい〟が耳の奥でこだましつづけて神経がささくれ立つ。おかげで、また知恵熱が出た。  ただの暇つぶしだ、と自分に言い聞かせながらスマートフォンをいじる。経験上、知恵熱には解熱剤より愉快なもののほうが効き、その点、涼太郎発のLINE傑作選はもってこいだ。 「タメ相手のメッセージに〝夜分に恐れ入ります〟。スマホビギナーの、おばあちゃんみてえ」  読み返すたびに噴き出してしまう。アナクロさが逆に涼太郎の長所で、そんな彼にSOSを発したら、万障繰り合わせて看病しにきてくれるだろう。  そのさいには甘えついでに、ただし冗談めかしてせがむのもありかもしれない。そう、プラトニックラブ信奉者という鎧をぶち壊す意味でも。  某文化圏においては、生肉は冷えピタに相当する。それと同じ原理で、真夏でもひんやりしているには解熱作用があると、まことしやかに囁く。ついては、おでこにちょこっと載せてもらえるとありがたい。  それより素直に頼んでみようか。熱が下がるまで手を握っていてほしい……。  インキュバスと天使が、鍔迫り合いを演じている情景が浮かんでスマートフォンを取り落とした。  鼻で嗤い、右手の指をL字型に曲げた。拳銃を模したそれで、涼太郎の幻を撃った。

ともだちにシェアしよう!