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第1章 ストレートアップベット

    第1章 ストレートアップベット  あなたは二種類の切符がカジノで売られていることを、ご存知だろうか。  それは、すなわち天国行きと地獄行きだ。前者をゲットしたときは億万長者の仲間入り。後者を引き当てた場合は、転落街道まっしぐらかも。そう、こんなふうに。 「インチキだ! 汚いカラクリがあるから二十回勝負してもワンペアどまりなんだ!」  嗚咽交じりの怒声が笑いさざめきを切り裂いて響きわたり、店内が一瞬、静まり返った。おれはちらりと顔を上げて、アールデコ様式の内装がほどこされたフロアに視線を流す。 〝大人の隠れ家〟を標榜するこの店は、客をえり好みする。最低限、ブラックカードを有する者という条件を満たす資産家のみが入場を許される瀟洒(しょうしゃ)なカジノが、おれの職場だ。  で、騒動が勃発したのはポーカーのテーブルだ。どうやら運が向いてきたと勇み立って手持ちのカードを一枚交換したものの、期待通りにロイヤルフラッシュという最強の手がそろって一発逆転といくはずが、ノーペアに終わった客がキレたらしい。  (くだん)の客は梨園の重鎮風で、本来は鷹揚な紳士に見える。ただしケツの毛までむしられた今はスコッチを()で呷り、有り金を使い果たすと同時にそこにいる資格を失った席から梃子でも動かない。おまけに、往生際が悪い。 「納得がいかない。そうだ、ディーラーと他の客がぐるになって、僕をカモって……」    引きぎわを誤ってパンクした客は顰蹙(ひんしゅく)を買うのがカジノの掟なので、愚痴っても慰めてもらえるどころか物笑いの種になるのが関の山だ。それ以前にポーカーのテーブルで辣腕をふるう山本さんは、ひよっこのおれと違い、ごねまくる客をなだめることくらい朝飯前というベテランのディーラーだ。  ちなみに山本さんですら持てあますほどのわからず屋は、剣道七段の猛者で用心棒を兼任するオーナーの沢木正文(さわきまさふみ)が、丁重にお引き取りねがう。  四十代に突入したとは思えないガチムチ系で、渋い男前のその沢木が、おりしも現場に急行する。  おれは偉丈夫と目配せを交わすと笑みを深めて回転盤に向き直り、ルーレットのテーブルを取り巻く客を焚きつけた。 「さて赤と黒、あるいは三十八種類のどの数字に賭けて、ゲン直しとまいりましょうか。よい目は、早い者勝ちかもしれませんよ?」  某駐日大使夫人が〝赤の3〟にいそいそとチップを置き、他のプレイヤーもつぎはこれが来ると睨んだ数字に先を争って投資する。賭け方の一覧表を平面図で表したレイアウトが俄然、色とりどりのチップで華やぐ。

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