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第6話

〝赤の12〟と〝黒の8〟。その中間でボールがいったん停止してみえると、店は興奮の坩堝と化した。果たして勝ち名乗りをあげるのは……、 「見ての通り〝黒〟に軍配が上がった。さて、契約を履行するとしよう。上を向きなさい」  当然のごとく設楽の胸にさらいとられて、 「キスを披露に及ぶと? 悪趣味ですね」  精いっぱい冷ややかにやり返すと、ルール違反をとがめるように蝶ネクタイが乱された。 「てめえ、ふざけんな……っ!」  弾かれたように仰のいて、墓穴を掘った。シャンパンの芳気をまとった唇がおれのそれに素早く重なり、舌が結び目に忍び込む。  暴走ハレンチ男は檻に閉じ込めておけ!  こいつの監視を怠るな、という意味を込めて設楽のツレに目で訴えかけても、彼女は設楽をけしかける野次馬と一緒になって床を踏み鳴らすありさまだ。  沢木は、といえば。世にもおっかない形相で指を曲げて伸ばして……この調子では設楽をボコるのは時間の問題だ。  ガムシャラにもがいても、強靭な躰はびくともしない。(とざ)しそこねた歯列をこじ開けて口腔を荒らしにかかる舌に嚙みつくと、反対に歯茎の裏側を巧みにくすぐられて、その拍子に意に反して全身が甘やかに火照りだす。  振りほどくそばから、くちづける角度を変えて唇を奪われて、抱きすくめられる。人肌に包まれるのは、かれこれ一年ぶりだ……。  頭の隅っこでそう考えるとやるせないようで、おれのそれを搦めとると見せかけては遠のく舌を追いかけて舌が独りでに蠢き、こうなると、もはや思う壺にはまったに等しい。  カジノに通いつめる(やから)は、慢性的に刺激に飢えている。もっとも息継ぎする暇も惜しんで繰り広げられるキスシーンは、余興にしては濃厚だ。誰かが生唾を飲み込む音が生々しい。 「茶番は、そこまでだ」  沢木が、襟首を摑んで設楽をおれからもぎ離した。  助かった、と片手拝みで沢木に感謝を伝え、それでいて今の今、ふんだんに与えられていたぬくもりを恋うて背中がひんやりするのが疎ましい。物足りなげにひくつく唇を嚙みしめるおれの盾になりつつ、沢木はタキシードの胸元に札束を十ばかりねじ込んで、凄む。 「些少だが、冬哉が世話になった礼だ。で、ご機嫌ようだ、くそったれ」 「とうや……か。綺麗な響きだ。では、ひとまずヤー・サス(さよなら)だ、とうや。ぎこちない舌遣いが新鮮なキスを、ごちそうさま」  近いうちにまた会おう、と立ち去りぎわに投げキッスをよこす設楽を嫌みったらしく最敬礼で見送る。そしておれは、すらりとした後ろ姿めがけて金色のチップを投げつけた。  あんなのは所詮、事故だ。そう自己暗示をかける。ひと晩経てばゆきずりの男性(ひと)のキスに翻弄されたことなんか、忘却の彼方だ。 ところが段ボールハウスの住人がスロットマシンでジャックポットを引き当てて大富豪の仲間入りをすることがあるように、将来(さき)のことは神のみぞ知る。

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