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第2章 ストリートベット
第2章 ストリートベット
人類が滅亡したあとに地球を征服するのはカラスに違いない。夜明けの街で我が物顔にふるまうあいつらときたら、沢木が近づいていっても飛び立つどころか、連中が食い荒らした残飯を片づける沢木を威嚇するように鳴き交わす。
おれは沢木を手伝って、ゴミの集積所に鳥よけのネットをかぶせなおした。ひと仕事終えてかじかんだ指に息を吹きかけていると、沢木がコートのポケットを広げて顎をしゃくった。
それは、そこに手を突っ込んで温めたらどうだ──というサインだ。
おれは、そ知らぬ顔で両手をすり合わせる。すると沢木は決まり悪げに頭を搔き、L字に曲げて拳銃をかたどった指をカラスに向けて、バーン! と吼えた。
カラスがいっせいに羽ばたいた。そうだ、と思う。数時間前に唇を盗んでいった男の双眸もカラスのそれと同様に炯々と輝き、人の心の聖域に踏み込んでくるようだった──。
ムキになって唇をこすり、そこに鮮明に甦った感触を懸命にぬぐうおれの真逆をいく。
沢木は電柱の陰から何かをつまみ上げると目尻を下げた。見れば、生後一ヶ月足らずの仔猫が、ごつい指にちゅくちゅくと吸いつく。
「栄養失調ぽいね。親猫とはぐれたのかな」
「だろうなあ。しょうがない、里親が見つかるまでまたうちで面倒をみるさ」
と、ぼやいてみせるのはポーズにすぎないことはバレバレだ。沢木は、目やにがひどい子猫を真新しいカシミアのマフラーでくるむ。
沢木はなかなかの慈善家で、もらい手が見つからなかった七匹の捨て猫と一緒に暮らしている。
おれもこの界隈をうろついているときに沢木に拾われたクチだ。ドロップアウトするまでは商社に勤めていた。直属の上司で妻子持ちの男と、一年近くつき合っていた。
ここで教訓をひとつ。
不倫男の常套句、「うちはセックスレス夫婦」は百パーセント嘘だ。実際、近日中に離婚が成立すると称して、別れ話を切り出したおれを不倫男がなだめていたころ、奥さんは臨月間近だったのだから、お笑い種だ。
おまけに夫のハメ撮り映像を見つけた奥さんが、SNSにおれの実名入りで事の顛末を洗いざらい書き込むのと相前後して、取り引き先の顔に泥を塗った不倫男が、その責任をおれになすりつけた。
かくして百年の恋も、いっぺんに冷めた。不倫男に、三行半ならびに辞表を叩きつけたのちにディーラーに転身して現在に至る。
ちなみに元・敏腕刑事の沢木はさるセレブな御仁のご落胤 だ。莫大な遺産が棚ボタ式に転がり込んできたのを機に退官して、遺産をそっくりそのままカジノの開業資金に充ててオーナーにおさまったという変わり種だ。
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