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第8話

 閑話休題。丁字路に差しかかったところで、沢木が朝飯を調達しにいくおれを呼び止めた。 「冬哉、コンビニ弁当ばっかじゃ飽きるだろ。うちに来れば、ズワイガニがあるぞ」  うなずきさえすれば、沢木はきっと一途におれを愛してくれる。唯一最大のネックは、おれが沢木にちっともときめかないことで、ゆえに彼が〝雇用主と従業員〟という枠からはみ出すそぶりをみせたときは必ずそうしているとおり、よそよそしい態度をとる。 「カニが余ってるなら、ボス。スタッフ全員で鍋をやりましょうよ」  つれないな、と髭をむしる沢木に背中を向けて丁字路を曲がったとたん、ものすごい勢いで路地から飛び出してきた男と衝突した。  ゆうべカジノ特有の洗礼を受けてポーカーで辛酸をなめた男だ、お礼参りにきたのか、とすれ違いざまに身がまえたけれど、負けモードの男の存在は頭からすぐに消し飛んだ。  路地を数メートル進んだ地点で、やわらかい物体を踏んづけたから。ひとこと補足すると、カジノの裏手にぶっ倒れていた設楽を。  脈は規則正しい、だけど意識がない。後ろ頭にでっかいタンコブができているわ、タキシードは鉤裂きだらけだわ、五つ星ホテルのスイートルームが似つかわしい伊達男が道ばたで力尽きているのは、なぜ?   ──と()せない点はさておいて、病人を保護したときは一一九番するのが市民の義務で、ただ……、  「うちのカジノは治外法権だけどさ……」  いちおうアンダーグラウンドの住人としては病院経由警察で事情聴取、というコースは避けたい。かといって頬かむりを決め込むのも忍びないので、沢木を呼びにいった。 「やっかいな物を拾った? クスリか」 「行き倒れを約一名。いい気味っていうか、ルーレットでバカ勝ちした、例のキス泥棒」 「おっ、うるわしい行き倒れっぷりだ。蛋白質が主成分のこれも大まかにいえば生ゴミってことで、ごみ捨て場に転がしとくか」 「尻ぬぐいさせちゃ、清掃員が可哀想でしょうが。それより沢木は顔が広いよね。よけいな穿鑿(せんさく)しない医者にツテはないの」  ある、と言うので反社会系の医者のもとに設楽を運び込んだ結果、外傷はコブが一個でMRIで検査しても異状は認められないとの診断が下った。  なので、設楽をとりあえずカジノの物置きを兼ねたおれのねぐらにつれて帰った。ガラクタをかき分けて床にじかにマットレスを敷き、設楽をそこに寝かしつけるさいに沢木が呪詛の文句を吐き散らした(くだり)は、割愛する。  ともあれ設楽は丸一昼夜眠りこけたあげく、目を覚まして開口一番、沢木とおれに訊いた。 「あなたがたは……どなたですか?」  再診を経て、病名に若干の修正がほどこされた。ぶっちゃけた話が逆行性健忘症、俗に記憶喪失と言い習わされてきたやつに。

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