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EP.2

 昨年度まで独身寮に入っていた泉帆は、今年度から民間のアパートを借り一人暮らしをしている。  普通ならばそうそう許可は出ないのだが、あっさりと引越しを承諾されたのはとある理由から。住居だけでない、大卒でも我儘で交番勤務を続けさせてもらっているのもその理由があるからだ。  同じ立場の先輩達には睨まれているようだが、こればかりは生まれ持ったものだから仕方ないだろう。与えられたものがある分、失っているのも多いのだから。  交番の勤務時間を終え、一度警察署に戻る間も海は泉帆についてゆく。署に入り報告や着替えなど済ませている間はその近くにあるスーパーで食材を買い、未だについてきているファンに対応をして帰ってもらうようお願いをしてから外で合流。それがいつものことだ。 「今日はくろちゃんが食べたいって言ってた豚の生姜焼きだよ」 「楽しみだな」  まるで同棲しているカップルのような話をしながら、泉帆は海が買ってきたレジ袋をひょいと持つ。此処から自宅までは徒歩だ。もう暗くなった帰り道を真っ直ぐ自宅へと進みながら、ファン達の前では言えない愚痴を零していた。 「昨日の夜、またあのメッセージ来たんだよね」 「嗚呼……またか」 「やっぱ、ちゃんと写真に顔とか写さないと駄目なのかなぁ」 「それは駄目だよ。いくら有名でも海くんは一般人でしかないんだから」  海の最近の悩みの一つ。それはSNSで届くメッセージ。メインのファン層である中高生とは違い、二回り近くも歳の離れた男性からのそれは聞いているだけの泉帆からしても信じ難いものだ。  海を女子だと思い込み、果ては会わないかなんて誘う露骨な下心から送られたメッセージ。海が男性とわかっているファンが大半なのだが、文章から滲み出る並々ならぬ女子力と可愛いスイーツの写真のセンス、本名をそのまま使った『Umi』というアカウント名を見て女子だと思い込み暴走する中年男性も結構な数いるらしい。中には性器の写真を送ってくる輩もいるという話を聞き、正直吐き気を催してしまう。  写真に写り込んでいるのは彼氏か兄だとでも思っているらしく、彼氏には内緒でなんて文言が含まれることも多いようだ。そこまでして未成年の子供を食い物にしたいのか。泉帆は呆れてしまっていた。  自宅である2階建てのアパートに辿り着いた。海は勝手知ったる何とやらといった様子で泉帆よりも先に階段を上がり、1つのドアの前に立つ。それを追いかけるように泉帆も2階に上がると、待機している海を嗜めつつ鍵を開け扉を引いた。  ストーカーの相談をしているだけの子を家に上げるなんて他にはしないし、上司には秘密だ。事件に関係する人物とは不用意に接触を図ってはならない。これは常識的なルール。  ただ、泉帆はそれを破っていた。そして、ひた隠しにしていた。  靴を脱ぎ揃え、キッチンに食材が入ったレジ袋を置くと玄関でモタモタと靴を脱いでいる海を振り返る。 「じゃあ、今日もお願いするよ」 「はぁい。任せて、栄養満点な献立にするから」  いつだか、昼休憩の時間に顔を出した海に弁当を差し出されたことがある。適当に菓子パンでも食べて乗り切っているなんて話した次の日だったか。栄養学を専攻している学生の前で、そんなことよく言えたねなんて怒られてしまい、その日は有難く海の手作り弁当を頂いた。  そして、その弁当で泉帆はすっかり海に胃袋を掴まれてしまったのだ。  泉帆の両親は料理をしない。歴代の彼女も料理上手な子はいなかった。昔から家庭的な料理に憧れを持っていた泉帆は、海の家庭的であり栄養バランスを考えられた手料理に病みつきになってしまい、今ではこうして毎日のように夕食を作ってもらうようになってしまったのだ。  本当はしてはいけない不用意な接触を繰り返し、家に上げてしまうような親密さになってしまうほどに海の作る手料理は手放し難いものだった。  自分に懐いてくれている弟分のような海にがっつりと胃袋を掴まれ毎日のように食事の世話になっている状況。もう3年も彼女はいないが、次付き合う女性への料理のハードルが上がってしまった気がする。それに、毎日弟分に自宅で料理をしてもらっているなんて知れたらいい仲になりつつある相手にも逃げられてしまうだろう。  そんなリスクがあってもなお頼んでしまう自分の好きな味しか出てこない夕食。栄養をきっちり考えている海に作ってもらうようになってからは体調だっていい。むしろ、作ってもらっていることはSNSのフォロワーにも言わず自分だけの秘密にしておきたい。そう思える料理だった。  ただ、こうして自宅に招いて料理をしてもらう日常の中でひとつ難点がある。  それは他でもない、海からのアプローチだ。 「くろちゃん、ちゅーしたい」 「しないよ」 「お礼はくろちゃんですってならない?」 「なりません。お礼なら食費用にあげたお金で好きなもの買っていいよって言ってるだろ」 「……はぁい」  自分より大柄なイケメンからの誘い。男性相手に恋愛感情を抱いたことのない泉帆は毎回バッサリと切り捨てる。海も聞き分けはいいらしく拒否をすればあっさりと引いていくから、冗談だとは理解している。  一方的に寄せられる想いがどれだけ怖いかも知っているのに、本気でそんなこと行動に移すはずがない。ただ、毎度のように繰り返されるそれに自分がその気になったらどうなるか。  海はまだ18歳。児童ではないがまだ子供。そんな子供に手を出すなんて警察官でなくともいけないことだ。だから、冗談でもアプローチをかけてくるという行為自体に泉帆は困ってしまっていた。

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