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EP.22

「海くん?」 「ぁ、……くろ、ちゃ」  体育座りをして俯いていた海が顔を上げ、泉帆はぎょっとした。海の顔は真っ赤で、汗も尋常じゃない程に噴き出ている。それに何より、口許の傷。誰かに殴られたのか、大きく腫れ上がった頬と血が垂れている唇の端のそれに、泉帆は慌てて駆け寄った。 「誰にやられた?」 「あ、の、ちがうの」 「体も熱いな、何時からいたんだ?とりあえず入ろうか、すぐにクーラーつけるから」  典型的な熱中症の症状だ。泉帆は動けなくなっていた海を抱え、扉の鍵を開け玄関へと連れ込む。むわりと熱気が襲うが、泉帆は関係なく玄関に海を下ろし、冷房をつけに戻った。  氷枕なんて買っていない。手に持っていた既に溶けかけているアイスで首元を冷やしてやりつつ、麦茶を飲ませる。緊急事態だからと日焼け防止に着ていた薄手の夏用パーカーを脱がせ、楽になるまで扇ぎ続けてやった。  暫くそこで介抱してやれば、海もだいぶ症状が落ち着いたようだ。顔の赤みも少しは引き、汗も止まる。溶けきってしまったアイスは一度冷凍庫に放り込み、一度涼しい場所へ行こうと部屋の中へと重たい海の体を抱えて移動した。 「海くん、これは誰に?」 「友だちの彼氏。おれが浮気相手だと思ったんだって」 「病院に行って診断書をとろう。これは立派な暴行事件だ」 「いいよ、彼氏持ちの女の子と2人で遊んだおれが悪いんだもん。……ごめんね、勝手に来ちゃって」 「……いや、それはいいよ」 「殴られて、痛くて辛くてね。そしたらくろちゃんのことしか考えられなくなっちゃった。くろちゃんなら、慰めてくれるかなって。都合良すぎだよね、ごめん」  海の言葉に、自分が支えになってくれているなら十分だと首を振る。  ひとまず怪我の手当をしよう。泉帆は救急箱を棚から取り出し、海の前にどっかりと座り込んだ。 「おれ、もう帰るよ?」 「いいから、うちにいなさい。あの鞄持ってるってことは、まだ帰ってないんだろう」 「……うん」 「……こんなに長い間、売春して食い繋いでいたのか」 「おれのこと、逮捕する?」 「しないよ。……海くんが望むなら、余計に」  海が、罰を望むのならそれはしない。罰を受けることをしていると理解しているならそれで十分。  泉帆の回答に、海は暫し黙ったままだった。ぽたりと汗が顎をつたい落ち、そこで海の姿に改めて視線をやる。  汗で濡れたシャツはぴったりと肌に貼り付き、筋肉でできた谷間の辺りは特に濡れて透けてしまっている。  そして、胸の尖りが布地を歪な形で押し上げ、存在を主張していた。  泉帆は視線を逸らし、海を風呂へと誘導した。 「海くん、一度風呂に入ってきなさい。その後に手当しよう」 「え、おれ汗臭い?」 「違うよ。ズボンまで汗で濡れてるから気持ち悪いだろ?一度汗を流して綺麗にしてから。絆創膏だってシャワーで流れちゃうからね」 「……うん、わかった」  海は素直に頷き、風呂に入るため立ち上がり振り返る。今の今まで熱中症で動けなくなっていたからか多少ぎこちない足取りで、海は風呂場に向かった。  まさか、このタイミングで海が来てくれるなんて思いもしなかった。むしろ、このまま離れて関係性丸ごと自然消滅になるんじゃないかと思ってすらいた。  自分を頼ってくれて、また来てくれたのが嬉しい。海にとって、まだ自分は頼ることができる存在だったのだとわかって、堪らない気持ちになった。  ぼうっとしていた海は気付いていないようだったが、海が来なくなってからまた部屋は汚部屋と化していた。シャワーを浴びている間に、泉帆は急いで物を片付けていく。何よりもまずは試してみて駄目だったAVを優先的に片付けた。  海と似た雰囲気の女優も、自分達に似たシチュエーションも、それどころかゲイビデオですら勃たなかった。たった数日海にフェラされるだけで調教されてしまった単純な体は、妄想の中の海でしか勃たなくなるとんだ不良物件になりかけていた。  AVのDVDは全てベッドの下の収納の奥に隠し、ゴミは適当にまとめ、服は洗濯機に突っ込む。絆創膏や消毒液、ガーゼなどを準備して出て来るのを待っていると、海は腰にバスタオルを巻き上半身には何も纏っていない状態で姿を見せた。先程の濡れたシャツの姿よりも余程目に毒。泉帆の声は衝撃で裏返ってしまった。 「き、着替えは!?」 「洗濯しなきゃもうなかったの忘れてた。……ね、くろちゃん」 「な、なに、かな?」 「見て。……好きな人にしか、見せないとこ」  海はあぐらをかいていた泉帆の膝の上に腰を下ろした。顔を逸らして見ないようにしていた泉帆の顎を撫で、両手を掴んで自身の胸を触らせる。  柔らかい、小さな突起があるだけのはずのそこには、いつしか布越しで触れたことのある金属製のものがつけられていた。 「こ、れは……」 「ピアス、ここにあるんだ。つけた瞬間も痛かったのに、パーツ貼り付けられて、二度と取れなくなったあの人のものっていう証拠」 「……取れなく?」 「くろちゃんから連絡なかったから、まだおれのこと1番なんだなって思った。だから、手っ取り早く幻滅してもらうにはこれがいいかなって。おれは他の人のものだよ。だから、くろちゃんのものにはなれない」  取れなくされたピアスというものをまじまじと見つめる。小さい突起を貫くように装着されたそれは、片方が外せるようになっているはずがはんだでつけられ、二度と外せないように加工されていた。  こんなもの、敏感な部位にこんな熱いものが触れてしまってはさぞ痛かっただろう。怖かっただろう。過去の海を凌辱した男に殺意が芽生える。  海は、だからと小さく笑った。 「好きな人とえっちすることになったら、見せなきゃでしょ。でもこれだからだめなんだ。その人の1番になりたくてもなれないの。だっておれ、この人のものだから」 「……これがなかったら、海くんは俺と付き合ってくれるの?」 「それとこれとは別。くろちゃん、洋服貸して? おれ風邪ひいちゃう」 「海くんが入るサイズあるかな……」  膝の上から退かないまま、海は寒いと体を密着させてくる。バスタオル1枚を除けば全裸の状態の好きな子を膝に乗せたままの会話は、泉帆からしてみれば修行のようなものだった。

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