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4 レオの秘密
色とりどりの美しい花々が咲き誇る中、俺は隣にいる誰かに笑いかけながら、作った花冠をその誰かの頭に乗せてあげる。
空を見上げれば、澄み渡った青空と薄灰の空が絶えず入れ替わり、空から雨が降ったり止んだりを繰り返していた。俺はそれを見て面白く思っていたのだが、隣の誰かは不安そうな様子で何かを言っている。
「大丈夫だ。大丈夫」
俺がその人を安心させるために抱き締めようとした時、どこからか声が響いた。
「エウディアー、お前たちのせいでこうなった。罰を下す」
「エウディアー!」
俺とその人は、強い風に吹き飛ばされて、離れ離れになっていく。
「ヒュー……!」
その人の名を叫びかけたところで目を開き、飛び起きる。
「夢……?」
荒く息をつきながらそう呟くと、まるで幻のように夢の残滓が消え失せ、代わりに猛烈な寂しさで涙が流れた。
「っ……」
そのまま蹲って涙が流れるのに任せた後、落ち着いた頃に顔を上げて隣を見る。気配がないと思っていたが、やはりレオの姿がなかった。
「なんだよ……」
俺のこと好きなくせに、と拗ねたように言いかけてはっとする。これでは、レオがいなくて寂しがっているみたいではないか。
勢いよく首を横に振り、両頬を叩いて出勤の準備に取り掛かることにする。カーテンを開けようと立ち上がって窓辺に寄った時、空を見上げた俺は首を傾げた。
薄灰の空は見慣れたものであるはずなのに、なぜか微かな違和感を抱く。
あれ、空ってもっと……。
違和感の正体を掴もうとした時、ドアをノックする音がした。
「はい」
「エレン、ローン団長がお呼びだ。大事な話だそうだから、急いで団長室に行くように」
「分かった。今行く」
テラの声ではないことにほっとしながら応えると、足音が遠ざかっていく。
「大事な話……?」
いつもならば、ローンからの呼び出しとなれば退団の件を思い浮かべ、憂鬱になるが、昨夜のあれを見た後は妙に後ろめたい気持ちになる。変な態度を取らないようにしないといけないなともう一度気合を入れ、身支度を整えて団長室に向かう。
ところが、数分後にローンに言われた台詞は、それまで考えていた雑念を吹き飛ばしてしまった。
「団長、今何と……」
「もう一度しか言わないからよく聞け。本日正午より、ヒューネル殿下の護衛として、共に隣国のアルスへ向かえ。目的は外交と、恐らくヒューネル殿下に花嫁候補を勧めてくるだろうが、お前は何も話さずにただ殿下に付き従え」
「はい。……ですが、なぜ」
「ヒューネル殿下が直々にお前をご所望された。あとは殿下に聞くんだな。急ぎ王宮へ向かう支度をして来い」
これ以上の質問は受け付けないと睨まれ、慌てて返事をして団長室を後にした。
内心、何が何だか分からないながらも、ローンに命じられた通りに自室に戻り、王宮と隣国への訪問の準備を整えた。出発前にレオに一言かけようとしたのだが、なぜか部屋どころか宿舎のどこにも姿が見当たらず、人に聞いても誰も行方を知らなかった。
仕方なく諦めて王宮へと向かった俺は、国王と共に現れたヒューネル王子の姿にまた首を捻ることになる。ヒューネルは顔を布で覆い隠しており、かろうじて見えるのは口元だけだったのだ。
問うように国王に視線を向けると、一つ頷いてヒューネルに声をかける。
「ヒューネル、顔はやっぱり出せないか?」
ヒューネルは国王の言葉に首を横に振るだけで答える。それを見た国王は、申し訳なさそうな目を俺に向けた。
「すまない。ヒューネルは人前に出るのが苦手でな。恐らく訪問の際には顔を出してくれるはずだが、口数も少ないかもしれない」
「事情は分かりましたけど、私はフォローとかできないので……。誰か他に連れて行かれるのですよね?」
「ああ、それなら……」
国王が何かしら答えかけたのだが、ヒューネルは全力で首を横に振って拒否した。
「……まあ、ヒューネルなら大丈夫だろう」
本当に大丈夫なんですかと口にしかけた時、正午の鐘が鳴り響いた。
「さあ、二人とも行ってきなさい。エレン、ヒューネルの護衛を頼んだぞ」
国王に晴れやかな笑顔で送り出され、ヒューネルと共に馬車に乗り込む。馬車の中には本当に俺とヒューネルしかおらず、一国の王子の守りがこんなんでいいのかと不安に思ううちにも、馬車は動き出してしまった。
王宮が見えなくなるまで互いに一言も口を利かず、気まずい沈黙が流れる。そもそも王子と二人きりという状況で緊張しない方が無理な話で、何か不敬があってはいけないと黙り込む他ない。
だが、先ほどからどうにもヒューネルが自分をじっと見つめている気がしてならず、何か話さなければならないような気になる。布の下に顔は隠れていて、本当のところは分からないというのに。
座り心地の悪い椅子に座っているようにもぞもぞと身動ぎした時、馬車の外から甘い香りが漂ってきた気がした。視線を外に向けた俺は、思わず声を上げる。
「わあっ」
いつの間にか草原に来ていて、辺り一面に色とりどりの花々が美しく咲いていた。リンディス国でも庭に咲く花は見かけるが、こんなにたくさん咲いているところは見たことが……。
「あれ?」
見たことはない。そのはずなのに、今朝空を見た時のような微かな違和感を抱いた。
俺は、こんな景色を。
その時、ヒューネルが窓ガラスを叩いて御者に何事か合図をする。何をするのかと不思議に思っていると、馬車が草原の真ん中で止まった。
「ヒューネル殿下?お待ちください!」
馬車を降りて行ったヒューネルの後を慌てて追いかける。ヒューネルは俺の言葉に耳を貸さずにどんどん歩くと、突然その場に腰を下ろした。
「殿下?」
手招きされて歩み寄ると、今度は座れというように腕を引っ張られる。意図が読めないながらも大人しく従って隣に座った途端、芳しい香りが鼻腔をくすぐり、清々しい気持ちで空を見上げる。
一瞬、曇天の空が別の何かに重なって見えた気がしたが、何だったのかを掴む前に擦り抜ける。
そのまましばらく、ヒューネルと共にただ空を眺めて過ごす。何か話したわけではないが、いつの間にか気まずい感覚がなくなったところで馬車に戻った。
もしかしてヒューネル様は、俺が気まずい思いをしているのに気づいて、わざと?
とは思うものの、ヒューネルは相変わらず一言も言葉を発したりせず、顔も見せないため、あくまでも憶測の域を出なかった。
草原を抜けた先には森があり、さらに進むとアルス国の国境沿いの川と国を囲う高い塀が見えてきた。塀の門前には屈強な門番が左右に控えており、侵入者はいないかと目を光らせている。
ヒューネル様の素顔がようやく見えるかもしれないと期待したが、馬車を降りてすぐにヒューネルが通行許可証のようなものを出しただけで通され、結局見ることはできなかった。
いつまで隠しているのだろう。でも流石に、アルス国の国王と話す時は見せるよな。
俺の懸念をよそに、ヒューネルはなんと国王の御前でも自分の父親から預かった書状を取り出して見せるのみで、顔も出さず、声も漏らさない。流石に不敬ではなかろうかと気を揉んだが、アルス国の王はヒューネルのその様子に慣れているのか、怒り出すことなくニコニコとしている。
「ヒューネル殿下は、その素顔を妻となる者にしか見せないと伺っているが、我が娘たちはいかがですかな。皆私の妻に似て器量もよく、見た目も美しいでしょう?」
アルス王が言う通り、王の半歩後ろに控えた彼の娘たちは皆揃って美しいが、それよりも王が口にした台詞が引っかかっていた。
妻となる者にしか顔を見せない?単に人に見られたくないのだとしても、そんな嘘までついて見せないのは、やっぱりよほどの理由があるのだろうか。
俺がいろいろと思い巡らせていると、ふいに娘たちの中で一番愛らしく、赤い口紅をつけた姫が俺の方を見た。
「……?」
目が合ったのは一瞬だったが、妖艶な笑みを向けられてぞくりとする。
アルス王からの問いにようやくヒューネルが口を開こうとしたのだが、その姫がアルス王に耳打ちする方が先だった。
「おお、そうか。よい、私に任せなさい」
アルス王が満足そうに娘に応えた後、その視線が俺の方へ向いた。
「ナスターシャが一目でそちらの騎士を気に入ったと言っておる。そなた、名は何という」
「エ……エレンです」
「エレンか。良い名だ。そなたさえよければ、ナスターシャの……」
アルス王がとんでもない申し出を口にしかけた時だった。突然、それを遮るようにしてヒューネルが俺の前に立ち、顔を隠していた布を取り払った。
アルス王と姫たちはヒューネルの顔を目にした途端、なぜか信じられないものを目にしたというように仰天している。
「そ、そ、そなたは、かの有名な英雄……」
「いいえ、私はその英雄ではありません。あまりに似ていると騒がれたことがあるため、顔を隠していました。無礼をお許し下さい」
聞き覚えのある明朗な話し方と声に、俺はアルス王たちとは別の意味で愕然とした。
「れ、レオ!?」
レオが振り返ってちらりと俺を見る。その目がいつもと違って温かみの欠片もないことに気が付き、一瞬よく似た別人かとも思ったが、見間違いであるはずがなかった。
未だに俺は混乱していたが、アルス王は少し落ち着きを取り戻したようだ。
「ヒューネル殿下、事情はよく分かりました。確かに我が国の英雄の姿と瓜二つとあれば。しかし考えてみれば、英雄アルスは我が国を立てた人物で、肖像画が描かれたのも遥か昔。生きているはずもありません。いや、だが、しかし……」
アルス王は何やら口の中で呟いた後、レオを見て頷いた。
「驚きましたが、素顔を見せていただけてよかったです。こう言ってはなんですが、非常に面白い。ぜひとも今後もリンディス国と密に交流を取らせていただきたい」
「もちろんです。もったいないお言葉ありがとうございます」
レオが深々と頭を下げると同時に、アルス王の好意で宴が開かれ、多種多様な料理が振る舞われた。どれも絶品尽くしだったが、俺はレオのことばかりが気になってあまり味わう余裕がなかった。
帰り際、レオとともにアルス王に一礼して立ち去ろうとすると、ナスターシャが耳打ちしてくる。
「今度会う時は、二人きりでお話ししましょう」
愛想笑いで応えると、ナスターシャはまた男を惑わすような怪しげな笑みを浮かべた。
馬車に乗り込み、アルス王たちに聞こえない距離まで来たところで、俺はついに我慢ができなくなった。
「レオ、どういうことなんだ?レオは本当はヒューネル殿下……なわけないか、ヒューネル殿下の影武者とか?」
「……」
「レオ、黙ってないで何とか言って」
詰め寄るようにして聞くと、それまで外を眺めていたレオが俺を見て、ゆっくりと口を開いた。
「俺の本当の名前はヒューネルで、この国の王子だ。レオは国民の一人として見聞を深めるための仮初の姿。レオの時に口にした言葉は全て忘れてくれ」
冷たく突き放すように言われ、呆然とする他なかった。反論も何もかも受け付けない目を見ていられず、唇を噛む。
なんだよ、と呟いた俺の声は馬が地面を蹴る音に呆気なく掻き消された。
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