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5 見え隠れする矛盾①

 レオの正体を知った晩、なかなか寝付けずにいると、窓の外が光り、何か巨大な生物が唸っているような音がした。そして、それに続いて空から何かが降り注いでくる音もし始める。  何の音かとカーテンを捲ってみれば、空から大量に水が降ってきていた。 「水……いや、雨か?」  昔、シスターが言っていた言葉か、絵本に書かれていた話に登場した気がするが実物を目にしたのは初めてだった。じっと眺めているうちに雨は激しさを増し、それに伴って雷もどんどん音が大きく、近くなってくる。 「俺は、この空を……」  ぼんやりと口にしかけた言葉の続きは、立て続けに轟いた雷鳴がさらっていく。俺はそのまま一睡もせずに雨を眺め続けた。  早朝、団長から招集命令が下され、団員が全員食堂に集まった。外では相変わらず雨が降り続いているためここに集められたが、食堂は人数分の広さがないせいか、かなりの密度になった。  無意識にヒューネルを探すと、カウンターの近くの壁際に腕を組んで立っている。正体を明かした後はここから去ってしまうかと思ったが、まだそのつもりはないようだ。  どこかほっとしている自分を誤魔化すように軽く息を吐きだすと、ローンが声を張り上げた。 「ここに集まってもらったのは、他でもなく降り続いている雨のことだ。皆も知っての通り我が国では数十年か、さらに昔から一度も雨が降ったことはない。そのため国民は雨への備えを全くできておらず、混乱が広がっていることが予測される。農作物への被害確認から、民への声掛けをして不安を取り除き……」 「お話し中失礼します」  食堂の入り口からテラが慌てた様子で飛び込んできた。外に出ていたのか、全身ずぶ濡れだ。 「どうした。お前には国民の様子見を任せていたはずだな」 「はっ。その、町外れの民家に熊が現れたと聞いたので、急ぎ駆け付けたところ、熊が数頭、民に襲い掛かろうとしているところを目撃しました。近くの民をなんとか避難させましたが、熊の退治に失敗したので、増援をお願いしたく……」  話している最中、テラがぐらりと倒れかけた。 そこを団長がさっと腕を回して支えると、大声で指示を飛ばす。 「銃の腕に自信がある者、熊の扱いに慣れている者は急ぎ熊の討伐へ向かえ。あとの者は国民の避難と怯えた国民への声掛けをしろ」  食堂から団員が走り出て行く中、テラがローンに支えられながら俺を見る。お前には何もできないだろと言わんばかりの笑みを向けられて、気が付けば俺は声を上げていた。 「団長、お願いがあります」 「言ってみろ」 「俺は熊の討伐に向かいます。一頭も倒せなければ俺は退団しますが、倒せた場合は俺をちゃんと団員の一員だと認めて下さい」  ローンは僅かに考える素振りをした後、頷いた。 「いいだろう。だが、見届け人がいるな。私と共に……」 「移動の必要はないようですよ」  ふいに、この場に残って窓の外を眺めていたヒューネルが声を上げる。 「どういうことだ」 「外を」  ヒューネルが指差した方向を見て、皆理解した。門のところに熊が現れており、門番が剣を構えて対峙している様子が見えた。 「こんなところまで」 「テラは怪我をしている。その血の匂いを追ってきたのかもしれんな。ちょうど他の者は出払っているようだ。エレン、宣言した通り討伐してみろ。ただし、ここは王宮だ。中に入った場合は我々も手出しせざるを得ない。決して中に入れずに仕留めろ」 「はっ」  恐怖で震えそうになる自分を叱咤し、急いで外へ飛び出した。門へ近づくごとに雨脚が一層速まり、外に出て数分と経たずに水浸しの状態になる。 「下がってください。あとは俺が仕留めます」  剣を構えたまま立ち往生する二人の門番に声をかけ、門の外に出るべく門扉をよじ登ると、熊が咆哮を上げながら門扉に突進してきた。 「っ……」  ぐらぐらと揺さぶられ、どうにか足を滑らせないようにしていたが、幾度も突進されたら敵わない。とうとう地面へと落下してしまい、その拍子に右足を捻ってしまった。 「くっ……」  痛みに顔を歪めながらも、どうにか立ち上がりかけた時に、熊が俺に噛みつこうとしてきた。足の痛みで横に転がって避けることもできず、柄に入ったままの剣を横にして熊の口に咥えさせる。  だが、噛みつかれずに済んだことで油断したせいか、熊の前脚が勢いよく襲いかかってきても咄嗟に反応できず、鋭い爪で吹き飛ばされた。門扉で背中を殴打し、声も上げられないまま地面に倒れ込む。  熊が再び咆哮を上げながら突進して来ようとしているのを見て、腰に携えている銃を手に取って撃つが、照準を合わせる余裕もなかったせいで熊の右目を掠った。それでますます熊が興奮し、目を血走らせながら俺に噛みつこうとしてきた。  もう駄目だ、と諦めかけた瞬間だった。  突然背後で銃声が響き、一瞬熊が動きを止める。 「エレン!」  聞き慣れた声に名を呼ばれ、俺はその声に導かれるようにして体を動かし、熊の心臓部に照準を合わせて撃った。  鋭い銃声が響き渡り、熊がかっと両目を見開いたまま倒れた。  荒く息をつきながら熊がぴくりともしなくなったのを確かめると、背後を振り返って自分の名前を呼んだ相手を見る。 「ヒュー……レオ」  正体を隠していることを思い出し、危うく本名で呼びかけたのを訂正すると、ヒューネルは門の内側から俺を見た後、さっと視線を逸らす。一瞬しか視線は合わなかったが、その目に安堵の色を認めた気がして、近づこうとした。 「レオ、さっき空砲撃ってくれ……っ」  立ち上がろうとした途端に捻った足首に痛みが走り、言葉を途切れさせる。するとヒューネルがもう一度こちらを見て、迷う素振りをした後に門番を見た。 「門を」 「はっ、はい」  門番が急いで門を開いたところで、ヒューネルはこちらに歩み寄るとさっと俺を抱き上げた。 「レ、レオ?」 「……怪我の手当を」  厳しい顔つきをしてそれだけ言うと、そのまま宿舎の方へ歩き出そうとして足を止める。何かと思ってヒューネルの視線の先を追うと、ローンとテラがこちらを見て立っていた。 「団長、私は認めていただけたのでしょうか……」 「……レオが空砲で助けたからな。完全には認めていないが」  ローンはちらりとヒューネルを見た後、珍しく口元を緩ませた。 「見事な命中率だった。銃の腕は認めないといけないな」 「あ、ありがとうございます」 「私は他の団員の様子を見てくる。エレンとテラはここで待機。レオは……」 「私も民の様子が気になりますので、エレンの治療をした後についていきます」  レオの言葉に僅かに溜息をついた後、ローンは頷いてテラを支えながら宿舎の中へ入っていく。 「レオ」  ローンの後に続いて中に入ろうとしたヒューネルが足を止める。 「その、助けてくれてありがとう」 「……礼はいらない。俺は目の前で死のうとしている民を見殺しにするわけにはいけなかった、それだけだ」 「っ……」  あくまでも王子として、俺をただの国民の一人として扱おうとしているが、それならばこうしてわざわざ抱き上げて運ぶ必要はないはずだ。  正体を明かしたと同時に態度を変えてしまった理由は分からない。君を嫁として迎え入れたいと言われた時は拒んでしまったけれど、あれをなかったことにすると言われると、夢から覚めた時と似たような感情に襲われる。  ほんの微かにだけれど、それでも。 「それでも、助けてくれたのは事実だから言わせてほしい。ありがとう」  改めて礼を言うと、ヒューネルの目に僅かに何かの感情が滲む。苦しみか、悲しみか、あるいは。正体を掴もうとしたが、ヒューネルがさっと視線を外して歩き出したために分からなくなった。  ヒューネルの額から頬にかけて伝い落ちる雨粒が、まるで涙のように見えた。  その後、食堂で俺に黙って手当てを施した後、ヒューネルはローンと共に宿舎を出て行った。ヒューネルの後ろ姿を目で追いかけてしまっていると、肩を叩かれる。  振り返ると、テラが何やら気まずそうな顔をして俺を見ていた。 「な、何?」  また何か言われるのだろうと条件反射で緊張する俺だが、テラは予想とは違うことをした。 「悪かった。今まで、お前にいろいろときつく当たったりして」  頭を深く下げながら謝罪してくるテラに、俺は当惑する。何と返していいか分からないため口を噤んでいたが、テラはそれを誤解して俺が怒っていると思ったらしかった。 「急に謝られても困るよな。今さらって感じだし。俺が謝ってすっきりしたいだけだから、聞き流してくれたって構わない。俺は今まで、お前が大して実力もないくせに団長に気に入られて入団できたんだと勘違いしていた。でも、さっきので少し見直した。俺は熊を一頭も倒せなかったからな」 「でも、それはレオが援護してくれたから……」 「確かにそれは少しはあるが、それでも実際に熊を倒したのはお前だ」 「テラ……」 「俺はお前に嫉妬して、八つ当たりしていた。団長が俺に何か隠し事をしていると感じていた時に、ちょうどお前が入団してきて、団長に何度も呼び出されていたからな。あの人は何か大きなものを抱えている。それを話してくれないのは」  寂しいか、悲しいと続けようとしたのだろうが、テラはそこで言葉を区切り、唇を噛んで外に視線を向けた。俺も窓の外を見て、未だに降り続く雨を眺める。  テラがローンに対して抱いている感情と、俺がヒューネルに対して抱く感情に似たものを感じて、早くヒューネルに帰ってきてほしいと思いながら。  だが、数時間後にローンが引き連れて帰って来た団員の中に、ヒューネルの姿はなかった。ローンがこっそりと、国務のためでそうかからないはずだと教えてくれたが、それから一週間以上も宿舎に姿を現さなかった。

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