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狼が兎に恋する時⑤【兎視点】
俺が東京に転校してきたのは、小学校3年生の時だった。
元々、両親は東京で生まれ育ったようだけど、父親の転勤の都合で俺は関西で生まれた。小学校3年生まで関西で育ち、その後再び父親の転勤で東京へと引っ越すこととなった。
その当時、子供ながらに友達ができるだろうか……と不安に思いもしたが、そんな心配は全然無用だった。
「一緒に遊ぼう!」
転校初日に無邪気に話しかけてきてくれたのが、寛太 だった。
俺はすぐに寛太と仲良くなって、寛太の友達である莉久 に真広 、玲央 ……と、あっという間に友達に恵まれることができた。
あれから10年近く……。
俺は明日、東京を離れる。
子供の頃、みんなでキャンプに出掛けたことがあった。その時の写真を、そっと段ボールの中にしまう。5人の笑顔がキラキラ輝いていて、眩しい位だ。
この頃は、自分がΩだなんて知りもしなかったし、まさか、寛太に恋をするなんて思いもしなかった。
「あ、その写真懐かしいな?みんなでキャンプに行った時のだ」
「うん、懐かしいね」
莉久が俺の手元をひょっこりのぞき込んで、懐かしそうに写真を眺めている。
明日引っ越すと話したら、わざわざ駆け付けてくれたのだ。
俺達のグループの中でも、莉久は異様なメンバーに思えた。
生徒会長を務める位の優等生で、成績は常に学年トップ。スタイルなんてモデルみたいだし、顔はイケメンの代名詞と言っても過言ではないくらいだ。
加えて、性格もいい。
莉久と30秒以上話をして、こいつを好きにならない女子がいたらお目にかかりたい……そんな、国宝級の完璧系男子なのだ。
The普通系男子の俺とは、まさに月とすっぽんだ。
そんな莉久とは、なんやかんやで気が合って、2人で遊ぶことも多かった。
元気で明るい寛太を『太陽』に例えるなら、穏やかで優しい雰囲気の莉久は『月』みたいだ。
その対極にいるように見える2人が、俺は大好きだった。
「航 ー!この漫画本どこにしまうの?」
「あ、それはこっちの段ボールに……」
「うん、わかった」
黙々と引っ越しの準備を手伝ってくれていた莉久が、ふと呟いた。
「ずっと不思議に思ってたんだけど……。なんで大学生になってまで、親の転勤について行く必要があるの?」
「え?」
「だって、普通に考えてさ、お前が一人でアパート借りて住むとかすればいいだけじゃない?」
「あ、えっと……」
「まるでさ、何かから必死に逃げてるように思えてならないんだけど」
この賢すぎる友人の、あまりにも鋭い指摘に俺は思わず目を見開いた。
莉久に、全てを見透かれているように思えて動揺を隠すことができない。
「例えば……寛太とか……」
「え……?」
俺の慌てぶりに、「やっぱりね」と言わんばかりに、莉久が大きな溜息をついた。
もしかして、俺がずっと隠してきた思いに、莉久は気付いていたのかもしれない。そう思えば、頬がカァッと熱くなるのを感じた。
「航と寛太は付き合ってなかったの?」
「……付き合ってなんかない……」
「そっか」
莉久がゆっくり俺に近付いてきて、頭をクシャクシャと撫でてくれた。
俺が子供みたいに拗ねた顔をしているのが面白かったようで、クスクスと笑っている。
「航は、本当に可愛いなぁ」
「可愛くなんかねぇし」
「航は自覚がないだけで、女の子にも人気があったんだよ?小動物みたいで可愛いって」
「小動物って……」
「ふふっ。可愛いよ」
「え……ちょっ……」
俺は突然莉久に抱き締められ、思考が完全に停止して、体が硬直してしまった。
こういうスキンシップに慣れている莉久からしたら、大したことじゃないかもしれないけど。
俺にしてみたら、大事件だ……。誰かに優しく抱き締められるなんて、恥ずかしくて仕方ない。
心臓がうるさいくらいドキドキ鳴り響いて、口から飛び出そうになった。
「あははは。航、心臓が凄くドキドキしている」
「うるせぇ。俺は、こういうのに慣れてないんだよ」
「寛太に……いつもこうやって抱き締めてもらってるのかと思った」
「そんな事、あるわけないだろう……」
「そっか。なら良かった」
ホッとしたような莉久の態度に気付く余裕がないくらい、俺は酷く動揺してしまう。
卒業式の日に、一度だけ寛太には抱き締めてもらったけど、寛太と莉久の腕の中は全然違うように感じた。
ただ、誰かに抱き締められるという行為は、俺の中に眠る『誰かに守られていたい』というΩの本能を、満たしてくれることを知った。
「寂しくなったら、いつでも帰っておいで」
「うん」
俺は明日、寛太への思いを断ち切るために、東京を去る。
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