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第110話
「しなれてないから、なんか首を絞められてるみたいで」
鼻の奥がツンとした。目の前の、旭葵の知らない一生の中に、確かに旭葵の一生がいた。
もういいじゃないか。
旭葵は思った。
運命を赦そう。
みぞおちにポタリと雫が滴り落ちた。
苦しいけど、哀しいけど、一生と旭葵の間に起きた、この運命を赦そう。
一生が事故で旭葵のことを忘れなくても、時が流れれば一生は、一生だけでなく旭葵も、変わっていくのだ。今までだってそうだったじゃないか。
旭葵も一生も出会った頃の小3のままじゃない。今まではたまたま同じ巣で育ったヒナみたいだっただけで、どのみちこれから巣立ってそれぞれの大空を飛ぶことになるのだ。巣にいた時みたいに翼をくっつけて眠ることはできない。2人で翼を合わせては大空を飛べないのだ。
「そのうち慣れるよ」
「そうかな」
「一生、俺は大丈夫だから彼女のところに行ってやりなよ。デートの途中だったんだろ」
一生の顔が曇る。膝の上に寝ているよもぎをどかすと両足を伸ばし、後ろに手をついた。
「もう終わったし。それに俺たち親友なんだろ、こういう時、親友って一緒にいるもんじゃないのか」
背中をそらし大きく伸びをしたよもぎが、のっそりと一生のそばを離れ、今度は旭葵の膝の上に乗ってくる。一生の体温も一緒に運んできたよもぎはいつもより温かかった。
「でも……」
「あれ何?」
一生はテレビの前のちゃぶ台を指差した。ちゃぶ台の上にはお婆さんが一生のために編んだ群青色のマフラーが畳んで置いてあった。白い刺繍糸で“ISSEI”と書かれた面がちょうど上にくるようにして。
一生がさっと立ち上がる。
「あ、それは」
膝の上のよもぎがハンディになって立ち上がるスタートが遅れた旭葵を尻目に、一生はマフラーを手に取ると大きく広げてみせた。
「それ婆さんが一生にもって編んでくれたんだ」
旭葵が一生からマフラーを取ろうとすると、一生は手を上げてマフラーを高いところに逃した。
「じゃ、これ俺のだ」
「でもマフラー2本もいらないだろ」
「いるよ。何コレ、旭葵と色違い?」
一生は旭葵の手が届かない高さでマフラーを広げる。旭葵は諦めて浅くため息をついた。
「そうだよ」
それにこれはお婆さんから一生へのプレゼントだ。旭葵が勝手に取り上げる権利はない。
一生はするりとキャメル色のマフラーを外すとポケットに入れ、お婆さんのマフラーを首に巻いた。
「似合う?」
「ああ」
「旭葵とお揃いだ」
「本当にマフラー2本もいるのかよ。首絞められてるみたいで好きじゃないんだろ」
「そうだったけど、今好きになった」
旭葵は今度はわざと大きくため息をついてみせた。
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