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第122話
隼人が初めて一生を見た時、どこかで見たことがある顔だと思ったが、そうだ、阿久津一生! 苗字が違うので気づかなかったが、あれはオリンピックのトライアスロン日本代表の父を持つ阿久津ジュニア! 父のプレッシャーなどどこ吹く風で、ジュニア大会でぶっちぎりの連覇記録を打ち立てた阿久津一生だ。
隼人がトライアスロンを始めたのは中学に入ってからで初めて大会に出たのは中2の夏だった。
その大会で優勝したのが一生だった。隼人が一生と同じ舞台に立った最初で最後のレースだった。
その大会を最後に、一生はトライアスロンの世界から消え、隼人は一生の記憶を意図的に消した。
理由は、その圧倒的な実力の違いだった。
隼人の大会での結果は4位。メダルにこそ一歩届かなかったが初出場で4位はすごいと周りは大興奮だった。
が、浮き足立つ周囲とは対照的に隼人は打ちのめされていた。3位と2位の選手は次の大会で確実に抜けると思った。
が、先頭のゼッケンは隼人の遥か遠くを駆け抜けていった。あの背中に手が届く日など永遠にやって来ないのではないかと思えた。
選手はみんなゴールに向かって走っている。けど遠くに小さく見えるあの背中だけは、何かもっと別のもののために走っているように見えた。
後ろに続く選手をその圧倒的な速さで絶望させながら、1人だけ羽が生えたように軽やかに駆け上がっていった。
レース後、観客たちに混じって表彰式を眺めた。その場では3位以下は名も無い選手に過ぎなかった。表彰台は遠く、その真ん中はあまりにも高過ぎた。
一生は当然のように、まるでその場所は自分のためにあるかのように、堂々とそこに立っていた。そしてトロフィーを持った手を高々と空に掲げた。
長く封印していた隼人の記憶が蘇る。
そうだあの時、一生は何かに向かって叫んだ。なんて叫んだんだったか。もう答えはすぐそこまで来ている。
コーチが横で誰かに囁いていた。
『今年も出るかな、あのラブコール』
夏の太陽がトロフィーに反射して光っていた。
そうだ、一生はこう叫んだ。
『アサ!』
太陽の光が1本の矢のように隼人の頭の先から中央を貫いた。
ばらばらに存在していた記憶と記憶が今、繋がる。
少年の夏の日、あの少女と会ったのはどこでだったか。太陽が上るにつれてどこからともなく集まって来た人たち、車の中から見た横断幕。
『トライアスロン・ジュニア大会』
白いバンダナの美少女は、その存在を露とも疑われることなく隼人の中で生き続けた。あの少女は少女であると。
たなびく白いバンダナ、あれは少女のものであったと。
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