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第130話
「悪いわね旭葵君、荷物持ちなんて本来なら一生の仕事なのにあの子、朝から彼女と出かけちゃってて。よかったら上がってお茶でも飲んでいって」
昼食後、急に杏仁豆腐が食べたいと言い出したお婆さんに遣いに走らされた旭葵は本当は早く帰りたかったが、一生のお母さんが何か話した気だったので、それじゃあ少しだけ、と、玄関で靴を脱いだ。
「最近は全然遊びに来てくれないのね」
一生のお母さんは自分にも紅茶の入ったカップを運んでくると、旭葵の前に座った。
「一生彼女いるし」
旭葵はカップの中で小さな気泡を立てながら崩れていく角砂糖を観察した。
「そのことなんだけど、旭葵君は一生と鈴さんのことをどう思う?」
「どうって何がですか?」
「鈴さんといる一生って、なんだかわざとらしいというか。前にみんなでうちでご飯食べたことあるじゃない」
一生のお母さんはトマト鍋の夜の話を持ち出してきた。
「なんかあの時の一生のレディファースト、演じている感じがしたのよね」
あの夜の一生が甲斐甲斐しく激カワちゃんの世話をしていたのは確かだ。旭葵もそれを見て驚き、そして密かに傷ついたのだった。一生の本当の相手は、やっぱり女の子なのだと。
「私にはね、一生が無理に鈴さんを好きになろうとしているように見えるの」
一生のお母さんの声は確信に満ちていた。
「これでも私はあの子の母親を16年間やってるの。一生の鈴さんを見る目、あれは恋をしている目じゃない。一生がね、本当に好きな子の話をしている時の目は、あんな目じゃないのよ」
旭葵の鼓動が走り出す。一生のお母さんは何を言おうとしているのだ。
「一生には他に大事な子がいる」
一生のお母さんは一呼吸おいて続けた。
「一生が本当に好きなのはその子」
金縛りにあったように旭葵は動けなかった。
「私はね、一生に怒ってるの。これじゃ鈴さんも可哀想。そして何よりもね、私は一生の母親として一生には幸せでいて欲しいの。だって今の一生は全然幸せそうに見えないんですもの。あの日だってそう、一生は笑っていたけどずっと私には一生が泣いてるように見えた」
一生のお母さんは一呼吸おくと、旭葵を見据えて言った。
「旭葵君、お願い、一生を見放さないであげて」
旭葵は何か言おうとして口を開き、言葉を呑み込んだ。俯くと、カップの中の角砂糖はすっかり溶けてなくなっていた。
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