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第135話

 図書室の扉を開けると、カウンターに馴染みの顔が座っていた。 「三浦君も本なんか読むんだね」  3年になってクラスは別れたが、2年の時に一緒のクラスだった委員長だった。 「今日は返却に来ただけだよ」  委員長は隼人から受け取った本のタイトルに視線を落とす。運動力学についての本だった。 「なるほどね」と独り言のように言い、「熱心だね」と付け加えた。 「ところで三浦君さ、来月のうちのトライアスロン大会出るの?」 「こっちはそれどころじゃないよ」  その気はなくてもつい、きつい口調で返してしまう。  旭葵がブラジルに行ってしまうかもしれない。そのことで隼人の頭はいっぱいだった。  ブラジルといったら地球の反対側じゃないか。さっき調べたら日本からの直行便はないわ、飛行機で30時間もかかるわ、時差が12時間もあって日本と昼と夜は逆だわで、ブラジルなんてとんだ遠い外国だ。  イヴの日に東京とこことで旭葵と離れてただけでも口惜しい思いをしたのに、ブラジルなんてもう、宇宙みたいなもんだ。  旭葵に何かあった時、どうすればいいんだよ。そもそも言葉が通じないじゃないか。確かブラジルの言語はポルトガル語のはずだ。 「ここにポルトガル語会話の本とかある?」 「ついに如月君のご両親にカミングアウトしに行くんですか?」 「は? なんで俺が旭葵の両親にカミングアウトするんだよ」 「三浦君のっていうか、2人のことをですよ」 「2人のことって何だよ」 「ブラジルって同性婚できるんでしたっけ? 将来の下調べも兼ねてとかですか?」 「さっきから何訳分かんないこと言ってるんだよ。で、ここにポルトガル語会話の本はあるかって聞いてんの」 「付き合ってるんでしょ、如月君と」 「……」  一呼吸分、隼人はまじまじと目の前の委員長の顔を見た。 「旭葵とは付き合いたいけど、付き合ってはない」  妙に冷静に答えてしまう。 「え、だって三浦君、後夜祭の夜2人で教室に居残ってキスしてたでしょ、僕見たよ。三浦君、如月君へのアプローチもすごかったし、てっきり如月君を落として2人は付き合ってるもんだと」 「あのキスは未遂に終わってる」  委員長は顎に手をやり、何やら考え込んでいる。 「そうなんだ。じゃ、僕、桐島君に嘘言っちゃった。でも桐島君と如月君は仲がいいから大丈夫だよね」 「一生になんて言ったんだ?」 「前に桐島君と話すことがあって、なんの話からそんな話になったのか覚えてないけど、僕が三浦君と如月君が付き合ってるって言ったら、桐島君がフンって感じで全然信じなかったから、僕、ちょっとムキになっちゃって教室で2人がキスしてるの見たんだからね! って言っちゃった」 「おい、それいつの話だ?」 「ええっと、文化祭が終わってすぐだったかな」  一生が事故を起こした日だった。  誤って伝えられた情報と未送信のメッセージ。失われた一生の旭葵の記憶。いきなり激カワちゃんと公開恋人宣言をした一生。にもかかわらず、あの隼人に斬りかからんばかりの刃物のような一生の視線。旭葵を追って断崖から飛び降りた一生。  隼人の中で全ての辻褄が、パズルのようにはめ込まれた。  それは本当に単純で、そして切ないくらい一途な、一生の旭葵への想いだった。

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