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海と初詣 3
恒星の子どもの頃、既に家の近所には凧を揚げられそうな場所がなく、清武がトラックに乗せて隣県の休耕地に借りた資材置き場にわざわざ連れて行ってくれた。本当に子どもだったので、店で売っている派手なビニール凧の方がカッコいいなあ、なんて内心思ってはいたが。
「この辺の子は凧揚げして遊ぶんですね」
「いやいや。今の子はゲームの方が面白いんでしょ。親だって人の土地に落ちりゃ面倒だし。たまに売れてもお兄さん達みたいな観光客が珍しがって買ってくくらいさ」
「海でなら揚げられるよね?」
「海行くの?ここよりだいぶ寒いよ?」
おじさんはサービスだと言って足と糸を付けてくれた。
初詣の鐘の列に並び、参拝の列に並び、帰りに屋台の行列に並び……としているうちにいつの間にか辺りは明るくなっていて、それでも駐車場に急いでいたら家々の屋根に遮られた通路の途中という、何とも中途半端な場所で初日の出を迎えてしまった。
落ち込んで不機嫌になる恒星を、玄英は「計画通りにいかないってのが楽しいんじゃない」とハグして慰めた。確かにお祭り気分でワイワイするのも悪くはないし、玄英達が楽しいならそれで十分だーーそれはわかっている。
「日の出のお祈りができなくても大丈夫、恒星にはきっといいことがあるよ」
玄英は肩を叩いて先を促したが、恒星はその場に立ち止まった。
確かにげんを担ぐ意味もあったが、それだけではなかった。暗い水平線から徐々に昇る朝日の不思議さ、荘厳な美しさとそれに無心で向き合う時の気持ちーー
「俺の中では、さ。日本の正月つったら海から昇るあの初日の出なわけ」
自分一人がこだわっているのかもしれない気恥ずかしさと、どこまで伝えられているのかわからないもどかしさ。それでも話さずにはいられない。
「俺はそんな高尚な人間じゃないし玄英みたいに飛び抜けた才能があるわけでも、祖父ちゃんみたいに毎日毎週毎年、コツコツきちんと決まり事を守って行ける几帳面な人間でもない。それでも一年のこの時だけは俺って人間をリセットして、去年とか昨日とかよりちょっとマシにできるような気がするんだ」
頑張って伝えようとすればするほど、気持ちを言葉に組み立てる作業だけが空回りして自身でも何を言いたいのかだんだんわからなくなる。最初は不思議そうに首を傾げていた玄英も、そんな恒星の話をじっと聞いている。
「変わっていくものも消えていくものもたくさんあるけど、明日の世界がちょっとでもよくなってるよう、俺にも何かができるんじゃないかって信じられる。こういうのって俺の中だけのこだわりで、玄英には伝わり辛いのかもしれないけど……ただ…… 海から昇る初日の出って本当に綺麗で特別な感じがしてーー」
恒星はふと、目の前の玄英を丁寧に見返した。
「……」
こぼれ落ちた明るい前髪の隙間から真っ直ぐ覗き込むグレーの瞳と立ちのぼる白い息が、朝の光を乱反射して息を飲むように美しい。
「……そうだな。俺はそれをただ玄英に見せかっただけなのかもしれない。せっかく日本でお正月を過ごしたいって言ってくれたから……」
玄英の顔が急に近づいて、髪と体温が頬と唇にふわりと触れた。
「OK、恒星。初日の出は来年また見に来よう」
「……ほんとう?」
玄英は手袋越しの両手で恒星の両頬を愛おしそうに包むと額同士をこつんと合わせた。
「ふふ……ご主人様、可愛い」
「おい」
照れて仏頂面になる恒星に、玄英はますます相好を崩した。
「僕のこと、楽しませてくれようと色々考えて頑張ってくれてたんだね。それは嬉しいし、とても楽しんでるよ。でも、僕は恒星と一緒に新年を過ごしたいと思ったから残ったんだ。恒星にとって大切なことは僕も共有したいし、理解できるよう努力したい。だから、これからも伝えるのを諦めないで」
「玄英……」
思わず抱きしめ返してしまってから、すっかり二人だけのゾーンに入り込んでしまってダイの存在を忘れていたことに気づく。
恒星は真っ赤な顔のまま慌てて玄英を引き離したーーダイの方を振り向くのが怖い。
「坊ちゃーん。凧忘れてますよー」
ダイが行きに買った和凧を抱え、全く違う方角から駆けてきた。
「コーヒー買った時、屋台に忘れたでしょう。私、目がいいからここから見えたんですよ?」
「……ダイお前……、本当にいい奴だよな?」
「ええ……どういたしまして?」
こうして初日の出を見に来ていた家族連れやカップル達と三々五々すれ違いながら、凧を手に海岸に降りた時には太陽はすっかり水平線の上に昇っていたのだった。
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