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第4話

 七凪は部屋の鏡の前に立っていた。  上半身は裸だ。めいいっぱい暖房を効かせているが肌寒くて鳥肌が立つ。  それにしても体質的に筋肉がつきずらいのか我ながら軟弱な身体つきで毎回鏡を見る度にガッカリする。岳は七凪の身体を白くて綺麗だと褒めてくれるが、それって男としてどうよって感じだ。  そう言う岳はサッカーをしているせいか、しっかりと男らしい筋肉がついていて羨ましい。  ふと媚薬なんかに頼らずに筋トレに励んだ方がよほど彼女ができるのではないかと思ったが、今から筋肉をつけている暇はない。  採血する血液は心臓から近い方がいいらしく、七凪は火で炙った針を胸に突き刺す。 「痛てっ」  ぷくりとできた真紅の小さな玉を針先ですくうと、湧き水の入ったペットボトルの口にそろりと差し入れる。  量はほんの少しでよいらしいが、念の為それを三回繰り返す。キャップを閉めてよく振ると媚薬の出来上がりだ。  こんなので本当に効果があるのだろうか。半信半疑ながらも、これを誰に飲ませるかを考える。  母親は適当に誰かになんて言うが、やはりここは慎重に選ぶべきじゃないか? せっかくだからクラス一、いや校内一の可愛い子にしようか。  それともクラスの女子全員に飲ませるのもいいかもしれない。ハーレム状態でまるで岳みたいだ。  岳は好きでもない人に好きになられても困るだけなんて言うけれど、そんな贅沢な悩みなら大いに困ってみたいものだ。  悪だくみにうすら笑いを浮かべていると、一階から母が七凪を呼ぶ声がした。  机の天体望遠鏡の横に媚薬を置くと、そのまま七凪は階下に降りていった。  夕焼けのグラデーションに染まる空を眺めながら、七凪は冷たい風に肩をすくめた。  手には母に頼まれた大根の入った袋をぶら下げている。  家に帰ると玄関に岳のでかいスニーカーがあった。 「岳来てんの?」  台所に入ると、パチパチと騒がしい音を立てながら母が天ぷらを揚げている。 「七凪の部屋にいるから、そろそろ夕飯ができるって教えてあげて」  岳の家は父子家庭で、岳のお母さんは岳が生まれてすぐに病気で亡くなったと聞いている。  父親は国際線のパイロットで仕事がら家を空けることが多く、子どもの頃から岳は七凪の家でよく夕飯を食べている。  昔は力仕事だったり、ちょっとした日曜大工など男手が必要な時は、岳の父親がヘルプとして家にやって来てくれていて、お互い持ちつ持たれつの関係だった。  近所の人は岳の父親と七凪の母親は美男美女でお似合いだから再婚すればいいのにと言っているらしいが、本人たちはどうもそんな気には一切なれないらしい。  子どもの頃は岳と兄弟になりたくて、それこそ近所の神社で二人が結婚しますようにとお願いしていたこともあった。  七凪はリズミカルに階段を駆け上がり、自分の部屋のドアを勢いよく開けた。  その七凪の目に飛び込んできたのは、まるで清涼飲料水のC Mのように爽やかにペットボトルを傾ける岳の姿だった。    岳が喉を鳴らして飲んでいるのは、さっき湧き水に七凪の血液を混ぜて作った恋の媚薬だった。 「うわぁぁぁぁぁ」 「あ、七凪、おかえり。なんだよ人をお化けみたいに」  入り口で固まっている七凪を横目に、岳は空になったペットボトルをパコッと鳴らし、ゴミ箱にポイッと捨てた。 「今晩、天ぷら?」  七凪はコクリとうなずく。 「おばさんの天ぷらってカラッと揚がってて美味いんだよな」  七凪は恐る恐る岳に近づく。 「岳、俺を見て、なんとも思わない?」  じっと自分を見つめてくる七凪に、岳は眉根を寄せた。 「なんだよ七凪、なんかお前キモい」  ぜんぜん媚薬の効果ないじゃねぇかよ!  安堵と失望が同時に押し寄せ、その両方が混じった長いため息が出た。 「もう夕飯できるってさ」  七凪はベッドに倒れ込んだ。 「七凪は食べないのかよ?」 「後から行く」  目を閉じるとしばらくして、岳が階段を降りていく音がした。  恋の媚薬なんて本気で信じていた訳じゃなかったけど……。 「ちくしょう、沖縄旅行が……、日本一の星空が……」  天井に向かって吐いた言葉が七凪に落っこちてきて、絶望的な気分になった。

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