24 / 27
24.妖狐の嫁
「考えなしにも程がある。貴方が死んだら、この里の者達はどうなります?」
俺は思わず息を呑んだ。薫 さんは怒ってる。けどこれは、俺達のためでもあって。……ダメだ。嬉し過ぎて実感が湧かない。
「っ、そうだね。ごめん。そこまで頭が回らなかった」
耳を伏せて反省するリカさんに対して、薫さんは深い溜息をぶつけた。手加減ナシ。容赦ゼロだ。
畳の上に転がったままのリカさんの体が、ますます小さくなっていく。
「今のままで良いと、本気でお考えですか?」
「……っ」
リカさんの銀色の耳がぴんっと立った。畳の上に置かれた白い手が、固い拳に変わる。
「こうしている間にも、貴方やお婆様の言う『正しくも弱気者達』が、卑小なる精神の者達に蹂躙されているのですよ」
リカさんの金色の瞳が大きく揺れる。理想と現実の狭間にいるんだろう。
本当は踏み出すべきだと思ってるんだ。だけど、過去の失敗やこの里のことが足枷になっちゃってて。
「おっ、俺がいますよ!」
気付けばそう言い放っていた。
「へっ……?」
「おぉ?」
「何を言っとるんじゃ? アイツはぁ?」
みんなのこそばゆくも鋭い眼差しが、俺のハートを容赦なく突き刺す。
途端に臆病風に吹かれそうになるけど、寸でのところで堪えた。
「妖力ならいくらでもあげます! そしたら、この里も維持しつつ改革(?)も出来ますよね?」
「……そうだね。優太 には、大分負担を掛けることになっちゃうと思うけど」
「全然大丈夫です! どーんと任せてください!」
里のみんなが一様に表情を緩めていく。やっぱりだ。大五郎さんが言ったことは、過言なんかじゃなかったんだ。
今はまだみんなにも、俺にも行く宛てがない。この里でしか生きていけない。
だけど、いずれはこの里がなくても生きていけるように。
心優しい妖や人間達が萎縮したり、虐げられることのないような世界を創るんだ。その一助となれるのなら、俺は何だって。
「おめでたい奴だ」
「っ!?」
不意に毒が飛んできた。薫さんだ。物言い通りかなり高圧的で、俺の心拍数は否応なしに跳ね上がっていく。
「100年足らずで片が付くとでも?」
「えっ!? あっ……あ~、でっ、ですよね……」
俺は妖力を持っているだけの普通の人間だ。寿命は100年あればいい方。もっと言うと、年を経るごとに貢献度は低くなっていくだろう。
それに対する対策は? と問われれば、今はまだ何も答えられない。
仮に時間いっぱいまで考えたとしても、解決策が思い浮かぶかどうか。
「ん~~……」
「兄上――」
「常盤 様、一つお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
屈強銀髪坊主こと穂高 さんが、薫さんの声を遮るような形で問いかけてきた。
答えを待っている間に、俺達の向かい側――金髪碧眼美青年こと定道 さんの隣にドカッと座り出す。
話しの邪魔をされた薫さんは、当然むっとしたけど、穂高さんはへらへらと笑うばかり。譲る気はないようだ。
「聞いたところによると、天狐の方々は対象の魂をも変容させることが出来るのだとか」
遂にはリカさんの返事も待たずに話し始めた。薫さんの堪忍袋の緒が切れる……かと思ったけど、杞憂だったみたいだ。
目を見開いてる。同じようにリカさんも。
十中八九これは穂高さんの態度に驚いたんじゃない。その口にした内容に衝撃を受けたんだろう。
一方で、俺はまるでぴんと来ていない。魂を弄ったとしてそれで何になるって言うんだ……?
「穂高、なぜお前がそんなことを」
「こう見えて俺は博識なんですよ。ははっ、ご存知ありませんでしたか?」
「っ!」
定道さんの体が小さく跳ねた。よく見ると、定道さんの正座で綺麗に畳まれた膝の上に、穂高さんの手が乗っかってる。
セクハラだ。助平親父よろしく、定道さんの紺色の作務衣で覆われた膝を弄 っていく。
感触を確かめるように揉んだり、撫でたり。その手つきはやたらと緩慢としてて、物凄く厭らしく見えた。
「~~っ、バカ!! 治療中だ!!」
「おやおや、この程度のことで気を乱されるとは。まだまだですな、定道殿」
「ぐっ! ……この……っ」
「で、どうなのですか? 常盤様」
穂高さんは、さも当然と言わんばかりに定道さんの膝を撫で回しながら問いかける。
リカさんはぐっと息を呑んで再び目を伏せた。これは図星か。
「事実なのですね。であれば話は簡単だ。奥方様を妖狐に転生させてしまえばいい」
「えっ……?」
俺が妖狐に? リカさんや薫さん達と同じ種族になるのか? だとしたら俺は――。
「リカさんやみんなとずっと一緒にいられるってことですか!?」
視界がぱーっと華やいでいくのを感じた。どうしよう。すっげえ嬉しい!!
「「「優太!!!」」」
「やったー!! ずっと一緒にゃ♪」
「くぅ~! お前って奴は!!」
里のみんなも喜んでくれてる。許されるなら小躍りの一つでも披露したいぐらいだ。――なのに、リカさんの表情は変わらず暗くて。
「……リカさん?」
「優太。気持ちはありがたいけど慎重に考えてみてほしいんだ」
「どうして、ですか?」
「考えてもみてごらん。本来であれば100年足らずで終えられていたはずの生涯を、1000年、2000年と続けていくことになるんだよ?」
「それは……まぁ、そうですけど」
「楽しいことも沢山あるだろうけど、同じぐらい……ううん、それ以上に辛いことも沢山あると思うんだ」
ああ、そうか。それでリカさんは今日の今日まで言わなかったんだな。
顔が自然と綻 ぶ。一方でちょっとむっともした。ほんの僅 かでも、迷いがあると疑われていたことがどうにも悔しくて。
「だからね、急がなくていいからゆっくり考えて――」
「望むところですよ」
らしくもなくイキり出した。思い知らせたかったからだ。俺の拙 いけど真っ直ぐなこの気持ちを。
「1000年だろうが4000年だろうが、離婚危機を何十回、何百回と向かえようが、どんなに怖い思いをしようが関係ありません。こうなったらもう、何が何でも添い遂げさせてもらいますよ」
「優太――」
「ダメです! 異論は認めませんよ。俺がリカさんの最初で最後の嫁です。OK?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………みゃ……」
「桶?」
「う゛……!」
重たくも甘酸っぱい空気が漂う。耐え兼ねて堪らず咳払い。落ち着かなくてもう一発。ぐっ……ダメだ! くっそ恥ずかしい……!!!! 穴があったら入りたい。
「っ! うわっ!?」
「っ! 常盤様、まだ起き上がられては――」
「優太! ありがとう!! 本当にありがとう……っ」
定道さんの制止を振り切る形で、全力でハグしてきた。相手は言わずもがなリカさんだ。温かいけど、苦しくもあって。
「もう、リカさ……ん……?」
リカさん、泣いてるのか? 肩のあたりがじんわりと濡れていく。
「……リカさん」
俺はリカさんの背中に腕を回しつつ、そっとリカさんの頭を撫でてみた。細くて柔らかい髪が、俺の指の隙間からさらさらと抜けていく。
どうしよう。鼻の下がぷるぷるする。リカさんのことが愛おしくて、愛おしくて堪らない。
守りたい。甘やかしたい。ああ、やっぱ俺も男なんだな。
「おい」
「えっ?」
不意に呼びかけられた。酷く不機嫌な声で。この声は……薫さん? っ!? そっ、そうか! そうだよな! 気まずいったらないよな。目の前で実の兄貴と、その嫁が抱き合ってたりしたら。
俺はリカさんの体をそれとなく押した。でも、リカさんは離してくれない。
「ちょっ、リカさん……」
「ごめん。もう少しだけこのまま」
仕方がない。とりあえず薫さんに謝ろう。背中、向けたままになっちゃうけど。
「薫さん、その……すっ、すみませんでした。とんだお目汚しを――」
「僕は、……礼は言わないからな」
「えっ? あっ、……はい!」
頬が緩む。俺、ちょっとは役に立てたって思ってもいいのかな。
「穂高、お前に対してもだ」
「はて? 何のことやら」
っ! もしかしなくても穂高さん、薫さんの代わりに言ってくれたのか? 俺に妖狐になれって。
思い返してみると自然と腑に落ちた。あれだけの苦境を聞かされた後じゃ、断る方が難しいって考えるのが普通だよな。
まとめると――薫さんは悪役になる覚悟で転生の話しを持ちかけようとしてた。穂高さんはそんな薫さんの未来を案じて庇ったってところか。
「へぇ~……」
穂高さんにも、ちゃんと主人愛というか忠誠心みたいなものがあったんだな。
感心していると、穂高さんの手が定道さんのブロンドの髪へ。ローポニで一つに纏められた長い髪を掬い取って、そっと顔を寄せた。
花の香りを愉しむように、定道さんの髪を堪能してる。やりたい放題だな。定道さんが手を離せないのをいいことに。
感心して損した、何て思ったり思わなかったり……。
「おい、お前」
「あっ! はい!」
「兄上の手綱をしっかりと握っておけ。これもまた兄上の妻であるお前の――あっ……」
急に薫さんが腕を組み始めた。両手で自分の体を抱き締めるように。何だ? 肩で息をして、めっちゃ苦しそうだぞ!?
「かっ、薫さん!? 大丈夫ですか――っ!?」
不意に薫さんの体が輝き出した。あまりの眩しさに堪らず目を瞑 る。ん? 何だ? 腕に何か当たった。やわらかくてふわふわで。
「もふ……もふ……」
俺は反射的に手を開いて――そのやわらかい何かを握った。
ともだちにシェアしよう!