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#001 Beginnings

「はーいじゃあ今日はこれで終わりにします。また今度ね。じゃーねーおつメイ~」  満面の笑みを浮かべてウェブカメラに向けて手を振る。  配信を切る最後の瞬間まで流れるコメントを眺め続けて片手で配信終了のボタンを押す。終了後も流れ続けるコメントをそのままに、椅子の背凭れに背中を預けて伸びをする。 「ふうっ」  軽く息を吐いて脱力すると、丁度良いそのタイミングで背後の扉がノックされる。 「やってるのか?」 「終わりましたぁ」  室内からその返事を貰った建巳は安心して扉を開ける。薄暗い六畳ばかりの配信専用部屋、窓も無いその部屋に置かれたパソコンはデスクからのルームライトで照らされている。  男の娘インフルエンサー《翡翠メイ》が行う週一度のインターネット生配信は終了し、その配信者である早苗は椅子の上で両膝を抱えるように座り直す。  建巳が手に持つ紙袋には局留めにしてある《翡翠メイ》宛てのファンレター類があり、定期的に建巳が手渡していた。建巳が背後から近寄ると早苗は配信終了後のコメント欄を眺めており、それらは全て《翡翠メイ》に対する容姿や言動への称賛であり、言われて嬉しい言葉であるはずなのに早苗の顔はどこか浮かなかった。  建巳はちらりと早苗の様子を見てからぽんと頭に手を置いて撫でる。 「ちょっと休め」  早苗は一瞬だけ建巳を見上げると、その手からファンレターの入った紙袋を受け取る。建巳がパソコンを使い始めると早苗はデスクの脇に伏せていたスマートフォンを手に取り、フードデリバリーアプリを操作する。お気に入りのカフェからの配達時間はどんな時でも十分以内で、何か目新しいフレーバーが無いかと早苗は一覧をスクロールして探す。  しかしその指が突然止まると早苗は思い出したように溜息を吐き出す。 「はあ……」 「どうかしたのか?」  《翡翠メイ》のSNSアカウントは建巳が共同管理をしており、建巳は立ったまま《翡翠メイ》宛てに届いているダイレクトメッセージを確認し、その後は日課でもあるエゴサーチをしながら今日の配信に対しての視聴者の反応を確認していた。 「最後のほう、テンパっちゃってちゃんと喋れてなかったなぁって」  子供のころから人の目を見て話すのが苦手で、焦りすぎると更に言葉が上手く出てこないことがあった。そんな早苗に目を付け男の娘というキャラクターと配信を提案したのは高校で出会った一年上の先輩建巳だった。 「そんなの誰も気にしてねぇよ。みんな楽しかったって言ってるみたいだし」  人の目を見て話すことが苦手な早苗でも、カメラを通してならば上手く話すことが出来た。それに加えて早苗の天性からのビジュアルは建巳の狙い通り大当たりし、今は広告とコスメ関連の企業案件でそこそこの収入と知名度を得られている。 「――ああ、でも最後のほうちょっと調子悪そうだったって言ってる奴いるな」 「いつもの人?」 「多分そうだろ」  知名度が上がるとそれに比例するように応援とは異なる性質のファンも生まれてくる。それは僅かな機微から何でも考察して推測しようとする者や、《翡翠メイ》という偶像を偶像とは捉えられない者などだった。勿論大多数が純粋に《翡翠メイ》を応援してくれるファンばかりであり、そういった人たちの存在に早苗は救われていた。  早苗が浮かない理由を建巳は薄々勘付いていた。しかしこればかりは建巳があれこれ言ったところでどうにかなるものでもなく、早苗自身の心の問題だった。建巳に出来ることと言えば《翡翠メイ》が安心して活動を続けることの出来る土台を整えることくらいで、こればかりは時間経過に任せるしか無かった。  呼び鈴の軽快な機械音が響き、早苗は顔を上げる。先程注文したフードデリバリーが届いた合図で、早苗が椅子から立ち上がってリビングへ向かうと建巳は早苗の代わりに椅子へ腰を下ろす。  この配信部屋は建巳が早苗の為に用意したもので、入口がオートロックとなっているのでフードデリバリーが届いた時も一度オートロックを解錠しなければならない。  それまでは自宅で配信活動を行っていた早苗だったが、厄介なファンの一部がストーカーと化し自宅周囲をうろつき始めたことから安全を考えて専用の部屋を用意した。その為に食材や調理器具はほぼ無く、必要な場合は今のようにこうしてフードデリバリーを利用することが多々ある。  オートロックを解錠した早苗はリビングで到着を待ち、玄関に品物が置かれたことを確認してからそっと扉を開けて品物を回収する。フードデリバリーを多用するのも非対面で受け取ることが可能であるからで、こういった快適な環境が余計に早苗の人見知りを加速させていた。 「建巳さんも飲みますよねぇ?」 「んー? ああコーヒーブラックなら」  部屋に戻った早苗はビニル袋の中を漁りカップを取り出す。当然ドリンクを頼むとしても自分ひとり分だけを頼む訳がなく、早苗は透明なプラスチックカップに入ったコーヒーをテーブルの上へ置きストローを刺してから建巳に向ける。  配信専用の部屋ということにはなっているが、カメラには映らない画角で足の低いベッドが置かれていた。早苗はこの部屋で寝泊まりすることも多く、建巳に椅子を譲った早苗はベッドの上に腰を下ろして袋から生クリームのトッピングとカラフルなデコレーションがされたドリンクを嬉々として取り出す。  建巳がマウスをスクロールする音が止まり、一通り問題がないことを確認した後早苗が置いたコーヒーに視線を向ける。  甘ったるいものを飲む気持ちは建巳には分からなかったが、そこは個人の趣味なので口を出すことではないと理解していた。また甘いものが好きという方向性も《翡翠メイ》のブランディングには影響がなく、人の目を見て話すことが苦手という欠点を除けば早苗には人から愛される要素しか無かった。 「そういえば早苗、これ知ってるか?」 「何です?」  建巳がパソコンのインターネットブラウザで表示した何かを示していたので、早苗はカップを片手にベッドから立ち上がる。ストローを咥えながら近寄ると、建巳が早苗に見せようとしていたのは今早苗が嗜んでいるカフェの公式ホームページだった。 「それさ、実店舗限定で別フレーバー出てるらしいぞ」  見ればホームページのトップにこれでもかというほどカラフルなトッピングがされた新フレーバーの写真が載せられていた。しかしそれはデリバリー非対応のようで、そのフレーバーを試したいのならば実店舗まで赴かなければならなかった。 「えええ夢かわっ……でも……」  フードデリバリーを利用すれば十分程度で届くことから、すぐ近くに実店舗があることだけは分かるが、直接店員にオーダーをすることは早苗にとって高いハードルだった。  とても魅力的な新フレーバーで早苗の心は躍るが同時に対面オーダーの不安に眉を落とし視線を泳がせる。  早苗の中にはまだ以前経験した嫌な思いが残っており、それがこの部屋からの外出を阻んでいた。時間が解決することを待つしかないと理解している建巳ではあったが、少しでも外に出ることが気分転換になるのならとほんの少しだけ早苗の決心を後押しすることにした。 「少しは太陽の下に出てみてさ、昼間だったら大丈夫なんじゃないか?」 「……そう、ですよね」  暗い夜道でなければ大丈夫であると早苗は自分自身を納得させるしか無かった。

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