4 / 39

第4話

 団長と共に宿泊部屋へ入ると、団長が照明を灯した。  この世界は電気や石油の代わりに魔力や魔石が動力となっている。照明は魔石を使った魔道具で、魔力のない者でもつけられる。  俺はこのような地方の安宿に泊まることは初めてで、室内をきょろきょろ見まわしながら足を進めたら、なにもないのに躓いた。 「あ」  転びかけた俺を団長がとっさに片手で支えてくれる。細身とはいえ成人男性の身体を片手で支えてもびくともしない逞しさと安定感。さすがだ。  身体はすぐに離された。 「すみません。ありがとうございます」  礼を述べたが、返事はない。  彼にとっては礼を言われるほどのことでもないのだろうが、とりつく島もない。  室内はベッドが二台あり、ベッドのあいだに小さなサイドテーブルが置かれている。それ以外にはものを書くための机もない。俺は荷物を床に置くとベッドに腰かけ、持参した書類を広げた。神殿の仕事だ。団長のほうも持参した書類に目を通している。  会話は一切ない。しばらくして湯の入ったピッチャーと大きな盥が部屋に届いた。  旅の宿では浴場は滅多になく、身体を清めるには盥で湯浴みする方法が一般的だ。  生活魔法で湯を温めることはできるので、配管さえできれば各部屋に浴室を設けられ、盥をいちいち運ぶ必要もなくなるのだが、配管工事は多額の工事費がかかる。庶民の宿で費用を捻出することは難しく、普及には至らない。  部屋に衝立などはない。同室者がいるこの場で身体を洗わなければならない。 「団長、冷めないうちにどうぞ」  声をかけると、団長が頷いて立ちあがった。  騎士団服を脱ぎ、シャツを脱ぐと鍛え抜いた大胸筋が露わになる。すべて脱ぎ捨て一糸まとわぬ姿になると、湯で身を清めはじめる。その姿を俺は遠慮なく眺めた。  無駄のない逞しい身体は美しく、色気があった。胸筋がすごい。引き締まった腰まわり。上腕二頭筋もいい。本当に、戦うために作られた身体だ。男が羨む肉体美。はあ、格好いいな。さすが剣の神に愛された男と呼ばれるだけあると、しばし見惚れた。  団長が湯浴みを終えると宿屋に湯を交換してもらい、次に俺が使う番となる。  少しだけ、躊躇う気持ちが湧く。温泉や銭湯などで裸になるのはさほど気にならないのに、二人きりの密室という場で裸になって身体を洗うというのは、なんか違うんだよな。室内だし、水音とか気を遣う。  しかも団長の素晴らしい身体を見たあとだ。自分の貧弱な身体を晒すのは勇気がいる。恥じらうような歳でもないし、パパっと終わらせたい。  ふと、裸になるのだし、この湯浴みをきっかけに団長の気を引くことができたら、なんてチラリと思った。  いや、やっぱ無理だな。イリスには誘惑しろと命令しておきながら自分はできないなんて、ずるいと思うけれども。イリスは若いし魅力的だから。相手は俺を嫌う団長だし。俺はいくら綺麗と言われていてももう三十路だし。  そもそも誘惑なんて、どうやればいいのか。  今生でも前世でも社畜だが、前世では仕事が忙しかっただけでなく単にモテなかったから恋愛できなかった。今生ではモテすぎて、鼻息荒い周囲が気持ち悪くて恋愛に興味を持てなかった。性交渉どころかキス一つ経験がない。当然誘惑した経験などない。  頑張ってなにかしてみたところで、胡乱な目を向けられるだけだろうことは容易に想像がつく。  やはり余計なことは考えるべきでない。俺は団長に背を向けて法衣を脱いだ。くるぶしまであるワンピース型の法衣の下にはシャツとズボンを着ている。脱いだ法衣を軽くたたんでベッドへ置いた際、団長がこちらを見ていることに気づいた。目が合いかけて、さりげなく逸らされた。だが俺が背を向けると、背中に視線を感じた。  ん?  えーと。まさか団長、俺の裸に興味があるのか? ただ単に動いている物体に目がいく心理?  普通、あまり見ないようにするものだと思うんだが。そう言いながら俺のほうこそがっつり団長の裸を見ていたからな。人のことは言えない。  気づかないふりをしてシャツを脱ぎ、ズボンに手をかける。  そのあいだもずっと背中に視線を感じる。うーん、やりづらい。やっぱり見るなと言ってしまおう。  俺は首を捻り、肩越しに彼の足元の辺りへ視線を向けた。 「あの……、あまり、見ないでいただけますか……? 私は団長のような素晴らしい肉体ではないので……」  三十路の男のくせに恥じらう気色悪さに我ながら羞恥を覚え、耳が赤くなった。 「ああ……悪い」  団長がこちらから顔を背ける。  俺も団長の裸を見ていたのにな。こちらこそ悪い。  背後で書類を捲る音が聞こえだし、俺はズボンと下着を脱いだ。そしてバスタブ代わりの盥に足を入れる。湯が跳ねないように膝をついてしゃがみ、湯を含ませた手拭いで肩を拭う。入浴というほどしっかり湯に浸かれるわけではないが、汗を流せるのはホッとする。一日馬車に揺られて疲れていた心身が緩んでいく。 「は……、気持ちい……」  ため息交じりに漏らしたら、背後で書類を捲る音が止まった。  声をかけたと思われたかな。すまん、ひとり言だ。  その後は手早く湯浴みを終え、身支度を整えた。 「私はこれで休みますが、団長はまだお仕事を?」 「ああ……俺も休む」  彼は手にしていた書類を脇にやり、ふと動きを止めた。言いよどむような間を置いてから私を見る。 「一つ、訊きたい」 「はい」 「主教は、アオイをどうするつもりだ」 「どう、とは?」 「無事に旅を終えたあとの、彼の処遇だ。神殿に留め置くつもりか」 「いいえ。もちろん故郷にお帰りいただくつもりですよ」 「そうか」  あっさり返答したら、意外そうな目つきをされた。  俺は軽く笑った。 「もしかして私が、神殿の金儲けに彼を利用しようと目論んでいるとお考えになりましたか?」 「いや……」   団長は否定してみせたが、その表情からすると図星だろう。 「団長、正直に話してくださっていいのですよ。私の数々の噂を聞き及んでいるとすれば、無理もないことでしょう。魔物が国中に跋扈したのも、私が主教に就任してから。民衆の不安を掻き立てて金儲けするために、私が魔物を操っているのではとおっしゃる方もいるようですからね」 「いや、さすがにそこまでは」  俺は笑みを消し、団長の顔を見つめた。それからそっと目を逸らす。 「そうですか。多少なりとも信じてくださっているのでしたら、嬉しく思います。私は末端のことを思っていろいろやっているつもりなのですが、どうもやることなすこと裏目に出てしまうようで。やり方が下手なのでしょうね」  営業スマイルはやめて、少しだけ本音を吐露した。しかしそれ以上は語らず、おやすみなさいと告げて横たわった。 「主教、それはどういう」 「私としたことが愚痴めいたことを。失礼しました。それより休みましょう。きっと今夜、魔物が出ますよ」 「なぜわかる」 「精霊が騒いでいますから。いまのうちに少しでも眠ったほうがいいです」  俺は精霊の気配を感じられる。今夜魔物が出るのはゲームで知っているからだが、周囲の精霊が落ち着かないのも事実だった。ちなみにアオイを見つけられたのもこの能力のお陰だ。 「精霊が…。……」  団長は話しを続けたそうだったが、やがて照明を消した。  俺も早く寝ようと目を閉じた。しかしなかなか寝付けなかった。  俺は環境が変わると眠れないタイプだ。ベッドの硬さもシーツの感触も自宅と違って気になる。今夜早速魔物が現れることも知っているから気が昂っている。そしてなにより、同室者がいること。団長の気配が気になって落ち着かない。彼が寝付くのを息をひそめて窺い、時が過ぎるのを待つ。団長との会話を思い返しながら寝返りを打っているうちに、どうにか俺も眠りに落ちた。  その夜、未明。魔物が出現したとの報告があり、騎士団が出動した。  俺はアオイと共に後方部隊として現場へ駆けつけた。  魔物が吐きだす瘴気と、破壊された家屋から生じる粉塵。悲鳴をあげ逃げ惑う人々。  阿鼻叫喚の只中に巨大な姿を現した魔物。  それは、埴輪だ  体長十メートルはあるだろうか。人型の埴輪が街を蹂躙している。  魔物の姿が埴輪なのは、これもまた深い意味などなくゲーム制作者の趣味である。プレイヤーは主に女子であり、恋愛メインであることを考慮すると、討伐シーンに力を入れる必要はない。グロテスクなものよりもマイルドなビジュアルのほうが、女子受けがよかろうという判断の結果、埴輪というシュールな姿となった。このセンスの悪さが――という話はもう言うまい。  魔物を目にしたのはこれが初めてだが、予想した以上に恐怖心を煽るものだった。埴輪なんぞと思っていたが、巨大で無機質な身体の動きは予測不可能、どこを見ているのかわからない空洞の目は、ある意味ドラゴンよりも怖い。鳴き声も不気味だ。オカリナのような音色でホーホーと鳴く。  しかし騎士団は臆せず埴輪に立ち向かっていった。巨大ではあるが、そのぶん動きが鈍い。団長の指揮により五騎ずつ束になって前後左右から攻撃を仕掛けていく。攻撃魔法を使える四人のヒーラーがひときわ活躍し、足らしき箇所を砕き、倒れたところを団長の剣が胴体を貫いた。さすが格好いい。いやホント、格好いい。  埴輪が動かなくなり、禍々しい煙が漂う。 「アオイ!」  アオイが呼ばれ、倒れた埴輪に駆け寄る。壊れた破片に彼が触れると、埴輪を包み込んでいた禍々しい闇が光と化してきらきらと輝いて消えていった。闇がすべて浄化されると、埴輪の姿も跡かたなく消え去った。 「やった……」  人類が初めて、魔物に完全勝利した瞬間である。団員たちは束の間、様々な思いを胸に棒立ちとなった。 「あ…アオイが」  アオイが魔力不足でその場に倒れる。それを合図に団員たちが動きだす。そばにいたユベルがキスをし、魔力供給を行った。  討伐で失敗することはないと知っている俺は、余裕を持って見物できるだろうと考えていた。しかし実際は、多くの負傷者が出ていた。治療担当である俺は倒れている団員のもとへ駆け寄り、慌ただしく治癒魔法で癒していく。地元騎士団に所属する医師も出動しているが、市民の負傷者も多く、手が足りない。  ゲームではこのような裏側の描写はなかったため、これは想定外だった。俺の魔力量はさほど多くなく、治癒魔法は多量の魔力を消費する。すべての治療を終えたのは陽が昇りきった頃で、俺は体力も魔力も消耗しきり、倒れる寸前だった。 「主教、だいじょうぶか」  最後の治療を終えてフラフラ立ちあがる俺に声をかけてきたのは団長だ。俺が治療しているあいだ、彼はずっとそばに付き添っていた。それはもちろん俺のためではなく、負傷し治療を待つ団員のためである。 「はい。少し休めばだいじょうぶです」  団長が口を噤んだまま俺を見下ろす。魔力供給をすべきか迷っているのだろう。 「魔力を……」  団長が言いかけたが、俺は首を振ってそれを遮った。 「少し休めば回復しますから、ご心配なく。ヒーラーの力を私などに使う必要はございません」  疲労を滲ませながらも笑顔を見せる。イリスの馬に同乗させてもらい宿へ戻ると、隊員の多くはすでに出発の準備を終えていた。この地に出現する魔物を退治したから、もうここに用はない。国の各地で魔物の被害が出ている現在、のんびりしている暇はない。事後処理は地元の騎士団に任せ、次の目的地へ向かうのだ。休憩は目的地に着いてから。みんなタフだ。俺も荷造りをして馬車に乗り込む。  魔力が不足すると、貧血のような眩暈に見舞われる。回復するにはヒーラーから魔力供給してもらうか、ひたすら休むしかない。 「アオイ。失礼して、少し休ませていただきます」  同乗者に断りを入れるや否や、俺は倒れるようにして座席に横たわった。

ともだちにシェアしよう!