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第17話
目覚めるとベッドに寝かされていた。宿ではない。広い部屋、高い天井、高級感ある家具、壁には絵画。貴族の邸宅でよく見受けられる客室風の室内である。
俺はどうしたのだったかと少しだけぼんやりしたが、すぐに頭が動きだし、現状を認識する。倒壊した建物の下敷きになったのだった。
ゲームの進行通り話が進んでいるならば、ここはトゥコ・ロザワ領主の屋敷内だろうと見当をつけ、身を起こそうとしたが、あちこちの痛みで動けなかった。
精も根も尽き果てるほど魔力を使ったはずなのに、体内に魔力が満ちている。これは誰かが魔力供給をしてくれたのだろう。誰かというか、きっと団長だろうけれども。
魔力は満ちているが、体力は回復していない。けれども悠長に寝ている場合ではなく、自分に治癒魔法をかけて怪我をある程度治し、改めて起きあがった。動くのがすごく、辛い。喉も乾いている。
枕元に水差しがあったので、グラスに注ぎ、水を飲む。口の中がさっぱりする。
そこへちょうど部屋の扉が開き、エロワが入ってきた。俺が起きているのを見て、駆け寄ってくる。
「主教様、お目覚めになられたのですね……!」
「状況を教えてほしい。アオイは?」
「魔物の討伐は終えました。しかし、アオイはまだ目覚めません。ほかの重傷者もこのトゥコ・ロザワ領主の屋敷内にいます」
「討伐、できたのですね」
倒せたのか。よかった…。
最後に見たアオイは意識があった。自力で動くことはできなかったため、倒した魔物の傍まで団員が運び、浄化をさせたそうだ。その後、意識を失ったという。
「私はどれくらい寝ていたのでしょう」
「丸一日です」
今は宵の内。団長と俺とアオイ、その他重傷者は領主の屋敷の客室を使うことになったが、全員分の客室はないため、それ以外の団員は地元騎士団宿舎や教会に分散して宿泊することになったとのこと。
エロワに案内してもらいアオイの部屋を訪れると、まだ意識の戻らないアオイがベッドに横たわっていた。その傍らにはユベルがすわっている。部屋の隅にはイリスが控えていた。
「主教様」
ユベルは俺に気づくと立ち上がった。俺を見てホッとしたような表情を見せ、しかしすぐに憔悴した表情となる。
「俺が。俺のせいで、アオイをこんな目に……主教様にも、本当に申しわけなく」
「あなたのせいではありません。魔物のせいです」
魔物の尻尾を自分が刎ね飛ばしたせいだと悔やんでいるらしい。俺は彼の肩に触れて言った。
「あなたの動きは素晴らしかった。その奮闘のおかげでトゥコ・ロザワの魔物を倒せたのです。アオイはだいじょうぶ。私が治します」
アオイも一日目覚めていないという。様子を見ると、顔色は悪いが危険な状態でもない。瘴気を食らった直後に治癒魔法をかけられたのが幸いだった。
また伺いますと言いおいて、他の負傷者の部屋もまわる。
俺の治癒魔法の適用は外傷のみ。しかも負傷してから一日以上経過してしまうと、魔法の効きがぐっと下がる。
重傷者が多く、俺の体力も落ちているため、一度に全員を治癒できるレベルではなかった。それぞれに少しずつ、治療を施していった。
「エロワは、怪我はないのですか」
「はい。軽い打撲と掠り傷程度ですから、問題ないです」
「宿はどちらでしょう。そういえばフルニエは」
「宿は地元騎士団の宿舎です。フルニエも無事で、宿泊先も一緒です」
付き従ってくれていたエロワは元気で、宿は領主の屋敷ではない。夜も更けてきたので帰してやる。
ヘトヘトになってアオイの部屋へ戻ると、ユベルがまだ付き添っていた。イリスは戦闘の残務処理があり戻ったとのこと。
「もう遅いですよ。あなたも宿泊先へお帰りなさい」
「もうしばらく付き添わせてください。団長には許可を得ています」
団長の許可があるのならば無理は言えない。
俺はアオイの枕元にある椅子に腰かけ、彼の身体に触れる。そして残りの魔力を振り絞って治療をはじめた。
トゥコ・ロザワで俺とアオイが負傷するのは想定内。どのルートでも必ず発生する。
ルートによって異なるのは、負傷した原因。現時点で最も好感度が高い攻略対象者が、その原因を作り出すことになっている。
尻尾を刎ね飛ばしたのはユベルだったので、現時点で好感度が高いのはユベルということになる。
三週間前はフルニエと団長ということだったが、ここへ来て変化が出てきたらしい。
変化があるということは、どの相手も好感度に大きな差がないと予想される。ノーマルエンドの可能性は、充分にある。
この結果がこのリアル世界で、どの程度あてになるのか定かでないが。
アオイは治療のため、約一か月はこの地から動かせない。この休養中に愛を育むことになる。
俺が一日意識を失っていたのが辛い。アオイはともかく、俺の負傷理由はゲーム内では明らかではなかった。俺もアオイと同じように埴輪の攻撃に巻き込まれるのだろうと予想してそちらに注意を払っていたのだが、建物倒壊はノーマークだった。
アオイが負傷した直後からずっと治療を継続できていたなら、きっと数日で回復させられたのに。
過ぎたことを悔やんでもしかたがない。俺としてはとにかく治療に精を出し、療養期間の短縮を目指すしかない。愛を育む時間を減らしてやるのだ。
俺は全力で治療を施し、やがて魔力を使い果たした。やはり効きが悪い。少ししか治らない。
疲れきってベッドに突っ伏す。横で見ていたユベルが慌てた。
「主教様っ」
「……ユベル。あなたは今日、魔力を使いましたか」
「ちょっとだけ使いましたが」
俺はベッドから少しだけ顔を上げ、横目でユベルを見上げた。
「私に魔力を分ける余力はありますか」
「はい。え、主教様に?」
「ええ。可能なら、お願いします。魔力を貰えれば、もう少し治療を続けられるはずです」
「え、あ、えーと。では……」
ユベルが顔を赤くし、腰を上げる。そしてベッドへ上体を預けている俺の上に覆いかぶさる。顔が近づき、視界が暗くなったとき、部屋の扉が開く音が聞こえた。と思った瞬間。
「ふおっ⁉」
ユベルが宙に浮くような勢いで後ろへ離れた。
見ると、ユベルの背後に団長が立っていた。その手はユベルの襟首を掴んでいる。
彼の瞳がユベルを鋭く睨んだ。
「なにを、しようとした」
「だ、団長」
ドスの効いた声で問われ、ユベルが目を白黒する。
「その、主教様に、魔力を」
「団長、私が頼んだのですよ」
団長は口を挟んだ俺を一瞥し、ユベルを再び睨む。
「ユベル、覚えておけ。主教に魔力供給は必要ない」
団長がユベルから手を離した。
「で、ですが。主教様は、魔力が不足しておられて」
「必要なら、俺がする」
団長はユベルを睨んで宣言すると、俺の腋窩と膝裏に腕を入れ、抱えあげた。
俺を抱えた団長はそのまま部屋を出て、廊下の先にある俺の部屋へ入った。そして俺をベッドに下ろすと、上に覆いかぶさってくる。
「ま、待って。お待ちください」
「ユベルはよくて、俺は駄目とはどういうことだ」
「だって。あなたも多くの魔力を使ったはず。私への供給はご負担になるでしょう」
見ていたのでわかる。昨日の戦闘で、彼は魔力を相当使っていた。
普段の魔物出現時刻は未明、街はずれであることが多いのだが、今回は繁華街の昼間の出現だった。そのため被害を最小限に食い止めるため、埴輪の動きの抑止に魔力を注いでいた。しかも目覚めたら俺の魔力は回復していた。
「もう回復した」
それは嘘だ。見るからに疲れた顔をしている。多少回復したのかもしれないが、本調子ではない。
「団長」
「あなたの負担に比べたら、たいしたことはない」
有無を言わさず腕を拘束され、団長の唇が俺に重なる。舌が差し込まれるなり魔力が注入された。
久しぶりの快感を味わい、腰がジンと痺れる。魔力切れギリギリだったあとのそれは、気持ちよすぎて一瞬意識が飛びかけた。
「……っ、ぁ」
「……これくらいで、満ちたか」
「ん……、は、い……」
供給を終えると、彼の舌は俺の舌を軽く舐め、離れていった。
「……すみません。ありがとうございます」
「主教」
「はい」
彼はゆっくりと身を起こすと小さく息をつき、改まった様子で姿勢を正した。
「主教の尽力には、心から感謝している。討伐騎士団団長として、また近衛騎士団副団長として、礼を言う」
急に改まった礼を述べられた上に頭を下げられ、俺は戸惑いつつ見上げた。
「どうしました急に。私は自分のすべきことをしたまでですが」
「急なわけでもない。これまでも感謝していたが、言えていなかったと思ってな。本当に……、正直に言って、旅に出るまでは、あなたがこんな男だったとは知らなかった。毎日、己を顧みず体力の限界まで団員の治療に尽くしてくれて。ずっと誤解していたことを申しわけなく思う」
「なにか知りませんが、誤解が解けたのなら嬉しいです。それから、感謝でしたら私のほうこそ、国教会の主教としてお礼を申し上げたいです。団員の皆さんは命を懸けて戦ってくださっているのですから。過去の遠征に参加できずにいたことも申しわけなく思っています」
治療に奔走したことは、改めて感謝されることではないと思っている。目の前に怪我人がいて、自分には治せる能力があるとなれば、助けるのは人として当然だ。その上それが俺の仕事なのだから。騎士が戦うのと同じこと。
しかし、感謝の言葉を団長から引きだせたのは収穫だ。ゲームでは、団長がアオイに俺への不信感を吐露するシーンがあるのだが、たしかこの療養期間でのことだったと思う。俺へ感謝を示し、誤解が解けたというのなら、アオイへ不信感を告げることももはやないだろう。俺が埴輪化する未来が遠のいたようで非常に喜ばしい。
そしてゲームとは関係なく、団長の俺への評価が上がったことは素直に嬉しく、胸が温かくなるものだった。
「ところで……私の意識がないときも、魔力供給をしてくださったのは団長でしょうか」
「そうだな」
「やっぱり……ありがとうございます」
「礼を言われることでもない」
彼がベッドから離れる。俺も身を起こそうとしたら、止められた。というか、止められずとも動けなかった。魔力は満ちたが体力がゼロだ。
「もう休め。動くな。魔力は補えるが、体力はあなた自身が休まないことには回復しない」
「長く寝たはずなのに。おかしいですね」
歩くどころか指を動かすのも億劫なほど疲れている。これほど全力で治癒魔法を使い続けたのは人生で初めてで、その影響もあるのかもしれない。
「食事は充分にとったか」
「ああ、そういえば、今日はまだ一食もとっていませんでしたね」
今日どころか昨日から食べていないのだった。
団長が目を剥いた。
「ちょっと待っていろ」
そう言って大股で部屋を出ていく。しばらくして戻ってきた彼の手にはティーカップとパン、林檎が載ったトレーがあった。トレーは枕元へ置き、彼はベッド端に腰かけた。
「胃に優しいものがあったらよかったんだが。食べたいものがあれば頼んでくるが」
「ちょうど林檎が食べたい気分でしたし、あまり食べられそうにないので充分です」
「食べさせてやろうか」
「さすがに自分で食べられますよ」
頑張って起きあがろうとしたら、彼が背を支えて助けてくれた。甲斐甲斐しいな。
祈りを捧げてお茶を飲む。温かい茶が胃に入ると、干からびそうだった細胞が潤う感覚がした。気が緩み、ホウッと息を吐いた。
「しかし食事もとらずによく動けたな。忘れていられるとは、いったいどうなっているんだろうな」
「そういうこと、ありませんか?」
「ないな。忙しくて食べられなくとも、腹は空いたと思う」
「私、たまにあるかもしれません。おなかが空いたと思っても、仕事に没頭しているうちに空腹感を感じなくなって、忘れてしまうんですよね」
前世でも今生でも、肉体まで社畜として調教されている。
団長が呆れた顔をして俺を見る。
「あなたは……。やはり監視が必要だな」
どういう意味かと首を傾げたら、彼が小さく苦笑した。
おっと。笑顔いただきましたよ。俺との会話で団長が笑顔を見せるのは二度目。前回より打ち解けた感じの苦笑だ。
ちょっと驚いて凝視する俺の目の前で、彼は林檎を手にとった。ナイフで皮を剥き食べやすいように小さく切ってくれる。
こちらでは、子供や病人でない限り、林檎の皮を剥いて食べる習慣はない。だから団長が林檎の皮を剥いてくれているのは破格の対応で、これもまた驚きだった。急にどうした団長。優しいな!
いや、急でもないか。普段からマメだし気配りできる男とは知っていた。団員の様子をよく見ていて、無愛想ながら優しい言葉かけをしたりもする。そのスキルを俺に対して発動してくれたこともあった。
しかし林檎の皮まで剥いてくれるとはな。今日の俺の働きぶりに、よほど感銘を受けたと見える。
団長は戦闘の残務処理で忙しいはずで、俺が食べはじめたらすぐに出ていくと思っていたが、結局食べ終わるまでそばにいてくれた。
「団長も、もう休めるのですか」
「いや。あと少し雑用が残っている」
トレーを持って彼が立ちあがる。その際、さりげなく俺の髪に触れる。
「ゆっくり休めよ」
柔らかい口調で告げて部屋から出ていった。
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