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第19話

 治療を開始して十日も過ぎると、アオイは一人で立てるまでに回復した。この調子ならば、あと三、四日もすればこの地を離れられそうだった。驚異的な回復。それはひとえに俺の努力の賜物である。早く旅を終わらせたい、その一念だ。  他の負傷者たちはすでに全員回復しており、残るはアオイのみ。  一気に治せたらいいのだが。俺の場合、魔力を使うと体力も消費する。魔力供給を受けて魔力が回復しても、体力は戻らないので治療を続けることが難しい。午前中二時間の治療を行うと、団長命令によって強制的に休憩をとらされる。  昼食には少し早い時間。自室へ戻り、ソファにゆったり腰かけて、紅茶と砂糖菓子を頂く。  目の前には団長がすわっている。  なぜ休憩まで団長が一緒なのかといえば、目を離すと俺が治療に出かけてしまうからという。ヒーラーの誰かに魔力供給させて、体力もないのに無理するだろうと。  たしかに一日も早く出発したい俺は、休憩している暇があったら治療を進めたい。神殿から届く仕事の書類も、団長に制限されて、目を通すのみに留めている。  今は団長の監視があるのでしかたなく治療も仕事も観念し、身体を休めて紅茶を楽しんだ。  そんな俺とは対照的に、団長は紅茶に手もつけず、届いた書類を手にし、頭を抱えている。 「なにやらこのところ、使者からの書類が増えましたね。私に届くよりも多そうですが」 「ああ。ここへ来て急に、業務が増えた。なにか、嵌められている気がする」 「嵌められているのではなく、皆から求められているのでしょう」  俺は澄まして答えたが、心当たりはある。山間部でアオイを助けたのが団長だったため、その直後に策を練った。懇意にしている貴族など、いくつかの伝手を使って王都にいる騎士団員たちを翻弄させたのである。  まず王都で留守を預かっている近衛騎士団員の不祥事を意図的に増やした。所持品が紛失したと、ある貴族に騒がせる。そして散々時間をかけて捜索させ、発見されたのが騎士団員の宿舎内だった、とか。とある貴婦人と団員との不倫騒ぎ、いわゆる美人局による騒動が露呈した、とか。  あとは単純に仕事量を増やした。クーデターを目論む一派が王都内に潜入しているという偽情報を掴ませるとか。  近衛騎士団を名目上預かっている老将は手に負えず、体調を崩したとのことで自宅へ引きこもった。不祥事続きの責任をとり、退任を早めるという話も出ているそうだ。結果、王都のゴタゴタに対する仕事が団長の元へ舞い込む。  忙しければ恋などしている暇もなかろうと、そう仕組んだ。  しかし予想していたよりも大変そうで、少々可哀そうなことをしたかなとも思う。  書類に目を通していた団長が、軽く目を剥いた。また事件の報告だろうか。 「は…。聞いているか? 王太子の婚約話が持ち上がっているそうだ」 「ああ、それでしたら私の元にも、今朝その知らせが届きました。おめでたいことですねえ」 「めでたいが、しかしよりにもよってこんな時期に……」  その件は旅の直前に仕込んでおいたものだ。ゲーム知識で王太子の隠れた嗜好がわかったので、これはと思う子息と令嬢を数人ピックアップし、反勢力に潰されぬようひそかに、王太子好みのドラマチックな出会いの場を設けた。  王太子ルートは早々に潰れたと予測していたが、念のため、ひと手間加えておいたのである。  その令嬢の一人が、王太子の心を射止めたらしい。  ゲームでは、ハーレムルートだった場合、アオイの怪我の報告を聞きつけた王太子がこの地まで見舞いにやってくるはずだった。しかし王太子がやってくる気配はなく、さらに婚約話が出たということで、王太子ルートは完全になくなったと確信していいだろう。  ついでに他の攻略対象者に関していえば、目下気をつけねばならないユベル。彼はアオイに対して怪我をさせた罪悪感はあるが、それ以上の関心はないとイリスから報告を受けている。毎日アオイの元へ顔を出しているが、その場には必ずイリスも一緒におり、面会後もイリスと行動しているそうだ。  フルニエとエロワのほうは、アオイの見舞いにさほど訪れている様子もなく、関心はなさそうだ。  現状、アオイにそうと知られぬまま、順調に恋愛を妨害できている、はず。  団長が書類を放りだし、天井を仰いだ。 「もう、今日はやめよう」 「それがよろしいと思います。団長も働きすぎです。少し横になられますか」 「それもいいが、このところ屋敷から出ていない。気分転換に出かけないか」 「私も?」 「ああ。つきあってくれ。嫌か?」  急な誘いに驚いたが、俺は頷いた。 「お供いたしましょう」  屋敷を出た俺たちは、近くの繁華街をそぞろ歩いた。この辺りは魔物の被害はない。被災現場へ行こうかという話も出たが、俺の疲労を考慮してやめた。  外の空気を吸うのは、確かに気分が変わるものだった。身体は疲労で重いが、幾分軽くなる心地だ。  俺も団長も非常に目立つ男なので、我々二人はここでも人々の中に紛れることなく、周囲の視線を奪っていた。  俺への視線については、旅の始まりのオーミャ辺りでは好奇の目が多かったが、今は敬意を感じる視線が増えた。討伐後の治療に奔走している姿を各地方で見せてまわったことで、悪評が薄れているようだ。いまや討伐騎士団の人気はめざましく、それにあやかり俺も、主教こそ本物の聖者であると囃し立てられているとか。尻がむずがゆい気分である。 「主教様、どうか祝福を……!」  歩いていた老婆が駆け寄ってきて、目の前で跪いた。たまにいるんだ。こういう人。俺の祝福なんてなんの効果もないんだが、それで気が晴れるならと祝詞を唱えてやると、感動した老婆に泣いて感謝された。始終営業スマイルで対応して老婆と別れる。その一部始終を団長は隣でずっと黙って見ていた。 「すみません、お待たせしました」 「いや」  俺と老婆のやりとりを見物していた人垣で動けなくなる前にそそくさと歩きだす。 「ああいうことはよくあるのか」 「そうですね。護衛が少ないときは、声をかけられやすいかもしれません」 「いつも、あのように対応しているのか」 「ええ。なにか、おかしかったでしょうか」 「いや。丁寧に関わっていたから感心したというか」 「ああ…、時間があるときは、もうちょっと丁寧にしたりもするんですけどね。本当に効果があればいいのですが、そうではないので。私のエゴと自己満足と罪悪感と、いろんな気持ちが混ざった結果、その状況でできる限りの関わりをしていますかね」  団長がなにやら不思議な目つきで俺を見下ろしていた。なんだろう。嫌な目つきじゃないから、まあいいけど。  気をとり直し、街並みへ目を向けて石畳を歩く。  繁華街には衣類、食品、雑貨や料理屋、様々な店がヨーロッパの街並みそのものの景観で並んでいる。昼食には少し早く、そこまで腹も減っていないが、俺は料理屋が気になって眺めていた。  目的のない散歩と思っていたが、気がつけば団長のほうも、料理屋を注視しているようだった。 「なにか、気になるお店がありましたか」  尋ねてみると、団長は少し口籠ってから答えた。 「あなたが、この地方の郷土料理が気になると言っていただろう」 「ああ、はい」  今朝顔をあわせた団員と、この地方の郷土料理の話をしたのだ。俺が興味を示したのを、団長も横で聞いていた。それを覚えていたらしい。 「まさか、それで連れだしてくださったのですか」 「まあ……俺も気になったからな。味見をしてもいいかなと。ああ、あれか?」  団長が少し先にある料理屋を見て、そちらへ足を運ぶ。俺もついていき、店前に置いてあるメニューボードを覗いてみる。 「ありますね」 「主教は、腹は減っているか」 「んー、食べようと思えば食べられる感じでしょうか」 「俺もそうだな」 「では、入ってみましょうか」  俺が彼を見上げて小首を傾げ、ニコリと笑んで誘うと、彼は俺のその顔を見つめ、無言で頷いた。  店内はカウンター席のみで、並んですわった。  朝の会話に出てきたものを二人分注文する。出てきたのは、うどんである。味付けは出汁醤油っぽい。俺たちが頼んだのは出汁醤油味だが、メニューを見るとパスタソース的なものが多い。  十八世紀ヨーロッパ調の世界観をぶち壊しにするメニュー。と思いきや、なぜだろう、さほど違和感を覚えなかった。丼ではなく深皿に盛りつけられ、箸ではなくフォークを出されたせいだろうか。  ゲームでも、主人公たちがうどんを食するシーンが登場する。だから今朝、この地の郷土料理の話が出たとき気になっていた。ゲームではこれがトゥコ・ロザワの郷土料理と紹介されていたが、所沢市の郷土料理もうどんなのか、俺はその辺は詳しくない。たしか、埼玉県民に有名なうどんチェーン店の本社が所沢市にあるからという理由で、そんな挿話が作られたと記憶している。  肝心の味はといえば。 「……おおお美味しい」  フォークを握り締め、俺は震えた。  出汁醤油風味など、前世ぶりなのだ。まさかまさか、この世界で食することができようとは。 「食事をして、それほど美味しそうな顔をする主教は、初めて見たな」  感動している俺を見て、団長が面白そうに頬を緩めた。  おっと。男前の可愛い笑顔、いただきました。  前回は苦笑だったが今回は柔らかい笑顔。不覚にも見惚れそうになりつつ、首を傾げる。 「そうでしたか?」 「いつも美味しいと言って食べているが、あまり美味しそうに見えない」  ばれていたか。  俺は食に関してさほど執着はなく、腹にたまればなんでもいい。しかし主教の外面で、食べたらなんでも美味しいと口にしていた。 「これ、美味しいです。懐かしい味といいますか。食べてみてください」  団長も器用にうどんをフォークに巻いて口に運ぶ。一口食べた彼は、小さく頷いた。 「……たしかに、美味いな。初めて食べる味だが、悪くない」 「ですよね!」  和食の味を褒められた嬉しさで、俺は両手を握り締めて強く共感を示した。ちょっと興奮してしまっている。俺にしては珍しい反応だったせいか、団長が口元を片手で覆って笑った。 「あのう、店主さんですか。少しお話を聞かせていただきたいのですが、この味、醤油を使っていますか?」  出汁醤油味の秘密を知りたくて、俺はカウンター越しに店主へ話しかけた。まだ流通していないが、知人が醤油を作っていると聞き、連絡先を教えてもらう。王都へ帰ったら取り寄せたい。この地で醤油が手に入るなんて嬉しすぎる。ウキウキしながら店主と話し込んでしまった。そのあいだ団長は黙って俺を見ていた。  食べ終えると、支払いは団長が済ませてくれた。 「お誘いありがとうございました。また食べに来たい味でした」 「それはよかった」  店を出ながら礼を言うと、団長は俺をチラリと見たきり目をあわせず、淡々と返事をした。一見するといつもの無愛想と変わらない。しかし、俺に喜んでもらえて安堵したという内心を表すように、わずかに口元が緩んでいる。  不愛想を取り繕うのは、俺を食事に誘ったことを少し照れているのかもしれない。  それを見てにわかに元気が湧いた俺は、午後の治療にも精をだした。

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