22 / 39
第22話オウギュスト
王宮内第二謁見室、通称白磁の間。
約二か月半ぶりの帰還。国王陛下への謁見式である。
オウギュストが討伐の報告を終えると、国王はオウギュスト並びに団員たちを労い、その後アオイに声をかけた。
一庶民でありながら国に尽くしてくれた感謝として褒賞金をだすことを約束し、さらに願いはないかと尋ねる。
それに対するアオイの答えは、
「なにもありません」
だった。
その声が謁見室に響いた途端、オウギュストの隣に立つイヴォンが俯いた。長く息を吐きだしている様子。それから力が緩んだように、身体がわずかに揺れた。
立ち眩みでも起こしただろうかと気になったが、謁見中であり、それ以上彼の身体が傾ぐこともなかったので様子を見るに留めた。
謁見が終わり、国王が退室したのを見届けてから、オウギュストはイヴォンに声をかけた。
「大丈夫か」
その顔を覗き込むと、瞳が潤んでいた。
「どうした」
「いえ……。陛下のお言葉を拝聴しておりましたら、国が平和になったことをしみじみ実感しまして……」
イヴォンがハンカチで目元を拭う。
「意外だな。あなたが人前でそんな姿を見せるとは」
彼が涙ぐむこと自体は意外ではなかった。遠征中に見た彼は、純粋に国と民を思い、献身的に働いていた。美貌のせいで傲慢な冷血漢に誤解されやすいが、決してそんな人間ではない。
旅で行動を共にし、彼を見る目は変わっていた。
討伐にも神殿の仕事にも真摯に向きあい、団員とも庶民とも気取らず交流していた。魔物に泣き怯える民に寄り添い、愛ある行動をし、己の身と時間を削ることを厭わなかった。食に興味がないと言いながらも毎食必ず祈りを捧げて綺麗に食べ、料理人に感謝を伝えることを忘れなかった。宿の主人や使用人にも、泊る際には必ず笑顔で世話になると挨拶し、些細なことでも謝礼を伝えていた。宿の使い方、ゴミの始末一つとっても、片づける使用人のことを配慮した行動をしていた。すべての行動が相手を思いやるもので、しかもさりげない。権力者特有の横柄さは微塵もなく、謙虚で、己を主張することなどなかった。といって聖人一辺倒というわけでもなく、飄々としたところもあり、経営者のような顔や、皮肉な一面、茶目っ気のある顔を覗かせることもあった。そして一緒に郷土料理を食べたときの感激ぶり。興奮して美味しさを伝え、零れるような笑顔を見せてくれた。
そういった日常の姿を目にすることで知った彼の人柄を、いまはとても好ましく感じ、強く惹かれている。
ただ、なんと言ったらいいか。今の彼の言葉には、さほど感情が乗っていない感じがした。なにか、べつの思いを隠した言葉ではと疑いたくなるものがあった。それでつい、皮肉な物言いが口をついて出たのだった。
「私も人の子なのですよ、団長。いえ、副団長」
ハンカチを仕舞った彼は、他人行儀な笑顔を浮かべて答えた。
国王の宣言によって、討伐騎士団はつい今しがた解散となった。そのためオウギュストの肩書は元々の、近衛騎士団副団長に戻った。
オウギュストは気にも留めていなかったが、イヴォンに言い直されたことで、そうだったと気づかされた。
もう、関係のない間柄なのだと強調された気がした。
「明日の慰労会ですが、私は神殿の仕事が山積みでして、申しわけございませんが欠席という形で失礼させていただきます。アオイも明日には故郷へ帰ります。イリスとエロワは出席させますので、どうぞよろしくお願いいたします」
イヴォンは胸に片手を当てて宮廷風の会釈をし、オウギュストの傍を離れた。
オウギュストはその背を見送り、釈然としないものを感じていた。
昨夜の彼が思いだされる。
くちづけの快感に力が抜けた表情。
魅惑的に誘ってきたかと思ったら、初心な仕草でこちらの手をとめさせた。顔を赤らめ、恥ずかしそうに目を泳がせたり狼狽えたりと、せわしなく様々な姿を見せた。そしてその後の、烈風のようなひととき。
初めてだという彼の主張の真偽はわからない。しかし自分の手によって感じていた、あのときの彼に嘘はなかった。素の彼を見ていると確かに思えた。
魔力供給という言いわけによるキスをしていた頃よりも深い行為を許され、互いの距離が近づいたと思われた。
しかし朝になると、以前と変わらぬ仮面のようなアルカイックスマイル。昨夜の彼は幻だったかと思うほど、腹が読めない男に戻っていた。
思えばいつもそうだった。謝礼と称して身体に触れられたときもそうだ。距離が近づいたと思って手を伸ばそうとすると、するりと避けられる。
この自分がこれほど振りまわされ、心を惑わせられるとは。
自分との関係をイヴォンがどう捉えているのか、オウギュストは計りかねた。
魔力供給後のくちづけは、元々自分から誘ったものだ。それを彼が受け入れてくれたのは、ただの快楽だけでなく、多少なりとも好意によるものだと受けとめていた。
しかし。
今見た態度から推測すると、関係を続ける気は微塵もなさそうだった。
遠征中、彼は時折張り詰めた顔をし、なにか画策しているような気配を漂わせていた。身の潔白は証明されたのだし、気のせいかとも思ったが、勘は当たっていたのだろうか。自分との関係も、その一環だったのだろうか。
もしそうだったとしても。唯々諾々と自然消滅させる気は、オウギュストにはなかった。
彼が欲しいと思う。切実に。
遠征前は、親の仇とすら思っていた相手だというのに。旅のあいだ、気づいたら心奪われてしまっていた。もう、寝ても覚めても彼のことしか考えられなくなっている。
こんなふうに想える相手は、かつていなかった。
彼に求められる存在でありたいと強く思う。
その胸の内を、どうか隠さず見せてほしいと願う。
他の誰にも彼を奪われたくない。叶うならこの腕に閉じ込めておきたい。
そう思うけれども、この想いを愚直に伝えたところで彼の心には届かないだろうことはわかっていた。
どう攻めるか。
オウギュストは難攻不落の城砦を攻める軍師のような心持ちで、謁見室から退室するイヴォンの背を見つめた。
ともだちにシェアしよう!