24 / 39
第24話
窓から差し込む日差しは日毎に穏やかになり、朝晩は冷え込むようになってきた。
王都ウラーワは比較的温暖な地であるが、冬には雪も降る。季節は秋。寒さが堪えるようになるのはまだ先ではあるが、民の救済を担う立場としては、今から対策を考えるのでは遅い。
俺は執務室のソファにすわり、ぬいぐるみを抱きかかえつつ、すでに動きはじめている対策の追加変更箇所を思案した。
執務室は出入り口の扉を開けた真正面、窓の前に俺の事務机があり、その横に主教補佐用の机。部屋の右奥に応接用のソファとテーブルがある。壁の三面は窓以外、天井まで届く本棚で埋まっており、扉側の壁にはなにもない。以前は歴代の主教の肖像画が二十枚ほどかけられていたのだが、気味が悪いので外した。
討伐の旅を終えて一か月が過ぎていた。
留守のあいだの滞っていた仕事をこなし、ようやく落ち着いたところである。
二か月半の旅。過ぎてみると、急速に現実味が遠ざかり、まるで夢でも見ていたかのような錯覚に陥る。
あの団長と毎日キスをしたり、裸で抱きあったなど、嘘みたいだ。あの時の自分は、失敗したら未来はないという緊張感から妙なモードに入っていた。咥えるなど、よくできたものだ。改めて振り返ると、あの場面であの行為は不要だったし、後々団長へよけいな誤解を与える結果となったが、当時は必死だったからそれが最善と思った。恥ずかしいことをした。
彼は先週、近衛騎士団団長となった。旅の前は、老将との交代は来年という噂を聞いていたのだが、だいぶ早まった形となった。
ぬいぐるみに顔を埋めながらあれこれ思っていると、扉がノックされた。返事をすると、主教補佐のポールが顔を見せた。
「主教様。団長が――近衛騎士団団長が、主教様に面会を求めて訪問されたのですが。事前の約束はないとのことですが、いかがいたしますか」
俺は目をぱちくりさせながらも、通すように伝えた。
何事だろうか。
予想もつかず待つことしばし、やがて団長が部屋に入ってきた。
ひと月ぶりにみる姿に、胸が騒めく。少し痩せたかもしれない。頬から顎にかけてのラインがシャープになり、イケメンぶりが増した。きっと忙しいのだろう。だが眼光の強さは相変わらずで、さほど心配はいらなそうだとも思う。
団長はすわる俺の前までゆっくり歩いてくると、立ったまま、しばし無言で俺を見下ろした。
久しぶりに見る、璃寛茶色の瞳。
旅での団長との思い出が脳裏によみがえり、またたくまに頭の中を占拠する。思っていたよりも強い感情が胸に込みあげたため、俺も言葉が出ず、彼を見つめた。
団長も、すぐに言葉を発しないところをみると、俺を見て思うことがあるのだろうか。
それは長い時間のように思えたが、実際にはほんの数秒のことだった。俺はぬいぐるみを脇に置き、おもむろに立ちあがって笑顔で迎えた。
「これは団長。お久しぶりです。そうそう、団長就任、おめでとうございます」
「祝い状を受けとった。こちらこそ、気遣いに感謝する」
「いえいえ。ところで今日は急な来訪、いかがいたしましたか」
「ああ、それなんだが……しかしその前に、こちらが気になるんだが。これはいったい……?」
団長の視線の先は、俺がすわっていたソファの上。そこには三十センチほどの大きさの、デフォルメした人型のぬいぐるみが二体置かれている。さっき俺が抱えていたのはこれだ。
俺はフフフと笑って一つを手にとり、胸の前で持って見せた。
「これですか? これは団長ですよ」
「……俺?」
「ええ。特徴を掴んでいるでしょう」
団長が困惑した様子でぬいぐるみを凝視する。
「なぜ……」
「神殿で販売をはじめたんですよ。今、討伐騎士団の人気が高まっているでしょう。この機を逃す手はないと思いまして、全員のぬいぐるみを作成中です。まだ十人分しかできていないのですが。許可は前団長から頂いておりますよ」
「……あなたのアイデアか」
「ええ。免罪符の販売をやめたので、代わりになる主力商品を模索しているところなんです」
免罪符の発行をはじめたのは前世の記憶を思いだす前。多大な金を生んでくれたが、当初はこれでそこまで儲けるつもりはなかったし、良かれと思ってはじめたことだった。免罪符の歴史を知っている今はこれ以上販売する気が失せ、販売中止を決めた。
「このぬいぐるみが主力商品になるのか?」
「うーん。これは経費がかかりますし、高額にはできませんので、たいした儲けは期待できないです」
「そっちは」
視線で示されたもう一体のほうをとりあげ、自分の顔の横に並べてみせる。
「これは私です」
にっこり笑って言うと、団長は押し黙った。それから一言。
「一つ貰おう」
「ありがとうございます。一つというのは、三十五人分一セットということですね?」「いや、そんなには要らない」
「おや。団長ともあろうお方がお一つと? ぬいぐるみのモデルとなった本人たち全員に、記念ということで一つずつ配って差し上げたら喜ばれるでしょうに」
「……わかった。全部買おう」
「ありがとうございます。とりあえず出来上がっている十体は今日お売りできます。まだ出来上がっていない分は予約という形で承りますね」
団長が俺のぬいぐるみに手を伸ばしてきたので、俺は軽く後ろへ引いた。
「これは試作品です。商品は売店に売っておりますので、ご案内いたします」
あわよくば他の商品も買わせようという魂胆で、俺はふざけ半分で彼の手をとり、扉へ向かった。
彼の視線が繋がれた手に向けられる。
すぐに振り払われると思ったのだが、逆に握り返された。そのためこちらも離すタイミングを失ってしまった。
三十路の男同士の手繋ぎである。見られたら恥ずかしいかなと思ったが、途中で出会う神官や騎士が、我々の手繋ぎを目撃して怪訝な顔をするのが逆に面白くなり、結局売店まで手を繋いで行ってしまった。少し浮かれている自覚は、ある。
神殿と総称しているが、正確には敷地の中央に祭祀施設である神殿があり、その一画に神官たちの事務所や俺の執務室がある。敷地の西側区域には神官の居住施設があり、騎士や雑務の者の宿舎もある。その辺りは一般人の立ち入りは禁止だ。神殿の正面は仲見世。神殿東側に売店があり、その奥には宝物殿がある。宝物殿と神殿の一部は、売店で拝観料を払えば一般人も見学できる。神殿の裏手は厩と馬場。
王都の修道院や孤児院はここではなく郊外にある。
売店では団長にぬいぐるみを買わせ、他には俺の肖像画、護符、神への冒涜と批判の的の、太陽神をキャラクター化したグッズも買わせた。
馬で来たとのことで、購入品はあとで騎士団へ送り届ける手配をし、来た道を戻る。
「それで、ご用件は」
「部屋へ戻ったら話す」
歩きながら話せないとなると、よほど重要な要件だろうか。
一つ、心当たりがあるにはあった。
アオイのことだ。
じつは三日ほど前から、アオイが王都にいる。帰郷してまもなく、友人と王都観光をしたいと彼から連絡が届いた。ひと月ほどの予定という。ゲーム期間は終わったはずではあるが、なにが起こるかわからないので攻略対象者には近づけたくない。俺も関わりたくない。しかし彼の身の安全は確保すべきだろう。ということで、便宜を図っているデュフール公爵に預けることにし、念のため、団長にも知らせておいた。
そのことで問題でも生じただろうか。
そんな予想をして執務室へ戻ったのだが、用件はまったく別の話だった。ソファに向かいあってすわるなり、切りだされる。
「国王陛下から特別任務を仰せつかった。神殿の長期視察だ」
「……聞いておりませんが」
「じき、知らせが届くだろう」
団長が懐から書状をとりだし、広げてみせる。たしかに国王の正式な任命書だった。
「あなたの仕事量が多すぎることが問題提起された。現状は適正なのか。人員や経費の見直しが必要なのではないかと」
「おかしな話ですね。それで団長が、直々に視察をされるのですか? 文官ではなく近衛騎士団の団長様が?」
「そうだ」
「それはそれは……陛下へ問題提起したのは、カルメ公爵辺りでしょうか」
団長は黙している。正解ということだ。
なるほど。
カルメ公爵はデュフール公爵並びに国教会とは敵対派閥。団長もカルメ公爵派閥である。
王宮内の情報は耳に届いている。王太子の婚約者の件で、出し抜かれた形となったカルメ公爵が立腹なのは知っていた。王太子の婚約者候補はデュフール公爵側の貴族令嬢。裏で糸を引いたのが俺とばれたのだろう。
カルメ公爵が反撃に出たということだ。
神殿の視察というが、つまりは俺の監視だ。完全に、潰しにきている。
少し浮かれてしまった己が愚かだ。
「団長に就任したばかりでお忙しいでしょうに。私の監視まで?」
「監視ではなく視察だ。団長になっても仕事は以前と変わらないし、時間はある」
「長期とのことですが、どのくらいの期間ですか」
「明確な期限は決まっていない」
「おやまあ。なにがなんでも私の尻尾を掴めとの指令ですか。団長もお気の毒です」
「誤解してもらいたくない。これで認められれば、国教会に補助金がおりる」
そんなわけあるか、という反論は内心に留める。
「なるほど。つまり団長の報告次第、ということでしょうか」
「俺は事実を報告する。明日から毎日来ることになるので、よろしく頼む」
「毎日⁉」
さすがに驚いて、大きな声で訊き返してしまった。
旅を終えたら滅多に会うこともないと思っていたのに、まさか再び毎日顔をあわせるミッションを与えられるとは。
内心戸惑いしかなかったが、俺は微笑を作ってよろしくお願いしますと返した。
ともだちにシェアしよう!