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第26話
しばらく領地へ行っていたカルメ公爵が王都へ戻ってきて、話を聞きたいとの連絡を受けたため、オウギュストは王都にある公爵の屋敷を訪れた。
「神殿の査察について、話を聞かせてくれるかな」
「宰相へ報告書は提出しております。こちらが同じものです」
応接室で向かいにすわった公爵へ報告書を差しだす。公爵はそれを一瞥すると、フンと鼻を鳴らした。
「表向きの主教の仕事内容だとか、予算が少ないだとか、これではただの陳情書ではないか。私はきみに、告発書を書いてほしいのだが」
「告発するような事案は、いまのところ見つかりません」
「あの男がそう簡単に尻尾を出すとは思っていない。時間をかけてくれていいんだがな。あの男……どうだろう。落とせそうかね」
「……さて」
「これまで誰を差し向けても靡かなかったが、私の見立てでは、きみならいけると思うのだよ。必ずあの男の懐に入ってくれたまえ。些細なことでもいい、弱みを握ってくれ。神殿には手の者を潜り込ませている。その者と連携して上手くやってほしい」
頷くでもなく黙っていると、公爵は肩を竦め、手にしていた書類をテーブルに置いた。
「ところで、バラッド伯爵がきみへ縁談を持ちかけたいらしくてね。私から話してくれと言われたのだが。相手は伯爵の次女で十七歳。エミリアと言ったか」
「閣下。以前にも申しましたが、誰とも結婚する意思はありません。甥が成人し、家督を譲る際に揉めるのを避けたいので」
「きみがそう答えるのはわかっている。ただ、私も伝えておかねばならんからな。しかし、真面目な男だ」
縁談は、すべて断っていた。いまは自分がコデルリエ家の当主だが、本来継ぐべきは兄の長子である甥だ。彼が成人したら家督を譲るつもりである。その自分にもし子供ができたら、相続争いが勃発するだろう。不要な諍いは避けたい。そもそも自分には他家との繋がりも不要だ。それ以上の他意はなくこれまで断ってきたが、ふいに、イヴォンの面影が脳裏をかすめた。いま彼を思いだす理由は。
かの存在も、自分の中で縁談を断る理由に含まれたようだと自覚する。
話を終え、オウギュストは公爵家を辞した。
公爵は主教を失脚させたいようだが、自分はそれに応える働きをするつもりはない。むしろ彼を助けたいと思っているのだから。
このままのらりくらりと過ごしていては、いずれ視察の担当を外されるだろう。その前にどうにかしたいと思う。
王宮内の騎士団詰所へ戻ると、ロジュが出迎えた。オウギュストが団長に昇進したのに伴い、空いた副団長の席にロジュが収まっている。近衛騎士団の副団長は二名おり、もう一人は前団長の参謀だった男だ。そちらの男はあまり使えないので、時期を見て外そうと思っている。
詰所の事務室は昼時ということもあり、ロジュのほかに人はいない。
「お帰りなさい。報告が一件あります」
「なにかあったか」
「メナル殿下が馬場で乗馬訓練をしていたところ、落馬しまして。ちょうど王宮へ来ていたイヴォン様が治癒魔法で治したそうです」
机へ向かっていた足が止まった。
「主教が……そうか。今日は礼拝堂に説法しに来ていたか」
「よくご存じで」
「まだ王宮にいるのか」
「どうでしょう。おそらく神殿に戻ったと思いますが。彼の予定でしたら俺より団長のほうが詳しいんじゃないですか。あ、いますぐ神殿へ向かいたいでしょうけれど、書類の処理を終えてから、お願いしますよ」
「……わかっている」
神殿の視察に時間を割くようになり、本来の仕事が溜まりに溜まっていた。
机の上にはさすがに片付けねばまずいと思えるほどに書類の山が積み上がっている。渋々すわり、書類に目を通し、サインをしていく。
「イヴォン様、どのくらい魔力を使ったでしょうねえ。魔力切れを起こしていないといいですが」
「……落馬の負傷だろう。そこまで魔力を使わないだろう」
「いや、でも踏まれたって話ですから。魔力切れは起こしていなくても、魔力供給は必要かもですよ。あ、こちらの書類も全部今日中にお願いしますね。関係各所から催促が届いていますから」
「わかっている」
「神殿には、必ず団長が行く必要はないでしょうから、他の者を向かわせてもいいかもしれませんね」
「……委任されているのは俺だ」
「でもお忙しいでしょう。今日の視察は代理でユベルにでも行かせましょう。彼はヒーラーですし、イヴォン様へ魔力供給が必要だったら対応できますからね。うん、そうしましょう。声掛けときますね」
「おい」
書類から顔をあげると、ロジュがニヤニヤしていた。眉間を寄せて睨む。
「俺で遊ぶな」
「えー、だって。イヴォン様と聞いたとたんにそわそわしだす団長が悪いんですよ。恋する団長がこんなに可愛いとは知りませんでした」
「うるさい」
「え、否定しないんだ。やだ、可愛い」
「……」
事務室の扉が開く。よりによってやってきたのはユベルだ。少し前に怪我をしたため、内勤となっている。
「ただいま戻りました――っと。どうしたんですか」
「ユベル、ちょうどいいところに来てくれた。頼みがあるんだ」
「ロジュ、やめろ。俺が行く」
「な、なんです?」
「ユベルは口を出すな」
ロジュが腹を抱えて笑いだす。すっかりおもちゃにされている。
からかわれる側としては面白くないが、いまさら取り繕う気にもならない。
自分でも呆れるほどイヴォンのことを想ってしまう。彼を想うと胸が震えてギュっとするような、それでいて熱くなるような心地になる。
神殿に視察に行くようになってから、彼は遠征時よりもずっと、素で接してくれる。ふわりとした笑顔を見せられると、胸を鷲掴みにされるような、たまらない愛しさが込みあげる。
常に傍にいたいが、仕事の都合でそうもいかない。いまのように離れているあいだは、また暴漢に襲われていないかと心配で気が気でなくなる。
彼は自分の容姿に対し自覚はあるようだが、まったく足りない。三十路だからと言って油断している。あの藤色の瞳に見つめられて心奪われぬ者などいないというのに。若い頃よりも色気が増し、魅力が増していることをわかっていない。主教になって簡単に近づけなくなったことで言い寄る輩が減っただけで、あわよくばと狙っている者は昔より増えている。王宮内だけでも大勢いる。自分も含めて。
神殿に戻ってからの彼の態度を見ると、遠征時に自分に仕掛けてきた行為は、やはりなんらかの思惑があったとしか思えない。彼はキス一つでも赤くなる初心な男で、男の性器をたやすく咥えるような人ではない。ということは、なんらかの思惑のためだったら、そういう真似ができるということである。
触れると初心な反応を見せるくせに、咥えるようなこともやってのける。未経験と言っていたが本当のところはわからない。
もし自分ではない他の誰かが彼の肌に触れているのだったら。自分にしたような真似を他の男にしていたらと想像すると、気がおかしくなりそうだ。相手の男どもすべてを最も苦しむやり方で殺してやりたい。
神殿の収入に困ったら身を売るよりないと言っていた。
そんなことは絶対にさせない。
どうにかして守りたい。守らせてほしい。そのためにはどうしたらいいのか。最近はそればかり考えてしまう。
「ほら、団長。またイヴォン様のことを考えていたでしょう。手が止まってますよ。ユベル―」
「……やめろ。すぐ片付ける」
本当にユベルに行かせることになったらたまらない。
意地でも早く終えて神殿へ向かおうと、オウギュストは書類に向かった。
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