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第28話
「屋敷に帰るぞ」
今日は王宮で説法をしたのだが、第二王子が怪我をしたというので治癒魔法をかけてやり、神殿へ帰るのが遅くなった。そのぶん残業していたところに執務室へ団長がやってきて、第一声にそう言った。
俺以外の神官はすでに帰っている。団長も今日はもう来ないのだと思っていた。
「そうですね」
当然のように帰宅を促す団長に、俺はクスッとしながら書類を片付けた。
「でも団長、今日の私の仕事ぶりを少しも見ていませんが。これでは視察に来たのではなく、私を迎えに来てくれたようなものですね」
「その通りだ。問題ない」
帰り支度をして執務室を出る。
他に人のいない、ほの暗い神殿の廊下を二人で歩く。神殿で団長と過ごすことが日常になりつつあることに不思議な心地がする。
歩きながら団長が報告してきた。
「今日は、宰相とカルメ公爵に視察状況を報告してきた」
「ほう。カルメ公爵に報告したことまで私に話していいのですか」
「べつにかまわないだろう。隠さなければならないことなどない。それに、俺が与したいのは公爵より、あなただ」
……。
直球でいくと宣言されたけれど、予想以上に直球だな。
「……。なんと報告したのですか」
「あなたの働きぶりは異常だと」
俺は声に出さずに笑った。
前世の社畜ぶりから考えると毎日帰宅できるだけマシなんだけどな。この世界の常識に当てはめると、たしかに俺の働き方は異常かもしれない。
「なんども言っているが、分担を減らすべきだ。仕事を削るとしたら、どこを削れる」
「そうですねえ…」
「経理の仕事などは他の者に任せられるだろう」
「まあそうですけど、経理は苦じゃないんですよね。どちらかといえばやりたい仕事なんです。自分のペースで黙々と作業する仕事が性に合ってるんです。もし仕事を減らせるのならば、人と会うことを減らしたいのですけどね。とはいえ立場上、無理ですけど。主教の仕事は人と会うことが主軸ですからね」
「だったら……そもそも、なぜ主教になったんだ」
「本当にどうしてでしょうね。利点と言ったら一つだけで、主教になれば外出時に護衛がつくから、襲われても助かるなーくらいなことで」
「……そんなに襲われて…?」
団長の眉間にしわが寄り、気配が不穏になった。
余計な心配をかけることを言ってしまった。慌てて他の理由も口にする。
「あー、えーと、あと、断れなかった理由を一つあげるとしたら、地方の窮状を見かねたためですかね」
「ああ」
ただ流れに任せていただけで、これといった理由などないのだが、もっともらしいことを言ってみたら団長は納得したらしい。地方の窮状について以前話したことがあったためだろう。
「カルメ公爵は神殿が力を持ちすぎることを懸念しているのでしょう。ですが各地の、とりわけ孤児院の予算をどうにかしないといけない。子供が飢える姿は見たくない」
「それについては俺も、どうにかならないかと考えている」
団長は真摯な瞳を俺に向け、同意する。
団長が視察に来るようになり、わかったことがある。
カルメ公爵は、神殿の力を削ぐつもりで今回の視察を進めただろう。しかし実務を担う団長のほうは逆だ。本気で神殿に金がまわるようにと考えている。
実直な男だと思う。
「でも、そういう団長のほうこそ、働きすぎだと思いますよ。私の監視なんて、どう考えても団長の仕事の範疇ではないでしょう」
神殿を出て、外灯の灯る小道を進む。
団長はすぐに言葉を返さなかった。視察なんて、きっと圧力をかけられて拒めなかったんだろう。返事は期待していなかったので別の話題を振ろうとしたら、静かに告げられた。
「この仕事は、自ら名乗り出た。公爵に、陛下へ提案するよう話を持ちかけたのも、俺だ」
「おやまあ。どうしてまた」
「あなたの傍にいたいからに決まっているだろう」
低く落ち着いた、それでいて意思の籠った声が降ってきた。
「あなたの助けになりたいとも思った」
思わず見上げると、強い視線とぶつかった。外灯に照らされた彼の表情は、予想以上に真摯だった。
団長が立ちどまる。つられて俺も足をとめた。
「言っておく。団長への昇格を、予定より早めるよう話を進めたのはあなたが理由だ。近衛騎士団団長と、主教の身分は同等。あなたと対等な立場になれば、もう少し、まともに相手をしてもらえるだろうかと考えた」
耳を疑った。
「それは……。早まったのは、前団長の体調がすぐれないためかと」
「それを理由に、俺から彼に退役を促した」
「……私に、まともに相手をって……」
「そうだ。戯れでもからかいでもなく、真剣に――身を委ねていい男だと、そういう対象として見てほしい」
驚いた。俺に対等に相手をしてほしいが故に、前団長を退けたというのか。
昨日も惹かれているなどと口説かれたが、まさかそこまで本気だとは。
本当に策略じゃないのか。
信じていいのか。
団長は、ぼんやりしている俺の表情を見て、ちょっと息をついて続けた。
「もし疑っているなら、我がコデルリエ家の歴史でも確認してほしい。コデルリエ家の人間は代々一途というか、執念深い血を継いでいてな。一度思い定めたら、生涯その相手しか愛さない。愛せない。当然浮気などしないが、逃がすこともできない。だから観念して、受け入れてほしい」
その相手が、俺だというのか。
熱っぽく見つめてくる瞳に男の色気が帯びる。それを見たら胸が熱くなり、心臓の鼓動が速まった。耐え切れなくなり、逃げるように目を逸らす。
「……嫌われていると思っていましたが」
「遠征まではな。今は、どうしたら近づけるか、それしか考えていない」
真面目な話をしていたはずなのに、気づけば熱心に口説かれている。思わぬ告白を聞かされて、思考が停止してしまう。
黙って俯いていると、片手をとられた。
「今日は治癒魔法を使ったんだろう。魔力供給するから…行こう」
団長が屋敷へ向かう。手を引かれ、俺も歩きだした。
ドキドキ、する。
屋敷に着くまで互いに無言だった。残り数分の道のりだが、繋いだ手が気になって、手汗が滲むほど長いような、それでいて思考を落ち着かせる暇もない、あっという間な気もした。
俺だって、自分の気持ちくらいわかってる。気づいてる。だからこそ動揺してしまう。
俺が団長に望むのは、知人として話せる程度の淡いもので――なんて思っていたが、それは嫌われている前提だったからで。
彼が望んでくれるなら――。
屋敷の玄関まで来て、立ちどまる。どうしよう、と迷いながら口にする。
「…団長は、いつも夕食はご家族と召し上がっているのですか」
「いや。家族とは暮らしていない。いつも一人だ」
「では…食べて行かれますか」
「…いいのか」
「その。食事は一人よりも誰かと食べるほうがいいでしょう」
団長の顔は見られず、扉を開けて中へ進む。
居間に入り、照明をつける。食卓には鍋が置かれており、中を見るとシチューだった。
三人前くらいある。今朝、多めに用意してほしいとメモを残しておいたためだ。
一昨日一緒に夕食をとったが、昨日は食事に誘わず、玄関前で帰した。その後ろ姿を見送ったら何となく寂しさを感じて、また食事に誘ってみようかな、なんて思ったのだ。
朝、メモを書いたときはそこまで意識していなかったんだが、口説いてくる相手を食事に誘い、自宅に招き入れることがこれほど気恥ずかしいとは知らなかった。
ただ食事をするだけで終わらないことがわかっているためだろうか。魔力供給を宣言されているから。
俺は一昨日と同じようにワインを振舞い、団長と一緒に夕食をとった。
できるだけ、いつもと同じ態度でいようと努力はした。だが、団長がじっと見つめてくるから、どうしても頬が熱くなるのをとめられなかった。会話の内容は、いつも通り他愛ないもの。だが合間に見せる彼の目つきが獲物を狙う肉食獣みたいで。強い視線を受けとめきれなくて、あまり目を合わせられなかった。
食事を終えたら、団長とキスをする。そう思うと胸がドキドキして落ち着かず、食べたものの味もよくわからなかった。
旅のときも魔力供給は恥ずかしかったが、あのときとは違う羞恥と緊張があった。あのときは大義名分があり、心に鎧を着ていた。今は素だ。そして団長の気持ちや覚悟も知ってしまったから。
この雰囲気からすると、魔力供給という名のキスをして――今日、それだけで終わるとは思えなかった。
時間が経つほどに緊張が増してくる。やがて食事を終え、会話が途切れて沈黙が落ちる。
そろそろかと思うと、心臓がバクバクしすぎて息が苦しくなった。団長がおもむろに立ちあがり、片手を差し伸べた。
「供給しよう。こちらに」
ついに、だ。
今日消費した魔力量などたいしたことはない。供給は不要だ。わかっていながら俺はふらりと立ち上がり、彼へ近づいた。
顔が熱くて、湯気が出そうだ。
傍まで行くと、差し伸ばされた腕に腰を抱き寄せられた。顔に団長の厚い胸が当たる。息を吸い込むと嗅ぎ慣れた彼の香りがして、頭に血が上る。俯いたままでいると、頭にくちづけを落とされた。
「…顔を上げてくれないか」
囁く声が少し掠れていて、腰にくる。
俺は覚悟を決め、大きく息をして顔を上げた。見下ろしてくる瞳は熱を帯び、その目元はほのかに赤く染まっていた。
俺の顔を見た彼が、少し困ったような顔をする。
「昨日もそうだったが……素のあなたは…ちょっと困るな…」
「どうして…」
「可愛すぎて」
唇が降りてくる。触れる直前で一瞬とまり、下唇を食むように重ねられた。ワインの香り。何度か唇を食まれ、割れ目を舌で舐められる。誘われるように唇を開くと、舌先が侵入してきて、俺のそれに絡んできた。こういうキスは久しぶりだ。甘い感触に、舌が蕩ける。アルコールのせいか、状況のせいか、いつもよりも彼の舌が熱い気がした。腰に添えられている彼の手も、俺を包み込んでいる彼の身体自体も発熱しているように熱い。彼の興奮が伝わり、俺も身体が熱くなる。
キスをはじめてしばらくして、絡めた舌が、ふいに熱くなった。蕩けるような快感を注がれる。魔力を注がれたのだ。そういえばこれは魔力供給だったのだといまさら思いだす。
「あ……、ふ…」
彼の魔力が快感を乗せて身体に溶けていく。柔らかく舌を吸いながら魔力を注がれると、気持ちよくて蕩けてしまう。
快感に涙を滲ませながら、ああ、好きだ、と思う。
魔力供給が終わっても、キスはとまらず、快感が続く。気持ちよくて腰が砕け、指先が震える。そのうち立っていられなくなってきて、彼の背へ腕をまわした。服を掴もうとしたけれど、厚手の上着を掴むのはうまくいかない。震える腕で、どうにか抱きつく。
そんな俺に追い打ちをかけるように、腰にあった彼の手が背中を撫であげてきた。
ゾクゾクした快感も一緒に這いあがってきて、もう限界だと思ったところで唇を離された。至近距離から璃寛茶色の瞳に覗き込まれ、吐息と共に囁かれる。
「あなたが欲しい。どうしても」
ストレートな言葉に、胸を射抜かれる。
「主教。あなたは遠征最後の夜、こう言った。翌日馬車に乗るのが辛いから駄目なのだと。次の機会に、と」
「……そうでしたでしょうか」
「ああ、そうだ」
逃げることを許さない断言。反応を窺うように一拍置き、彼は俺の心をこじ開けるように、ひたと俺の目を見据えた。
「明日、馬車に乗る予定は?」
「……ありませんね」
彼の右手が俺の頬に触れる。親指が濡れた下唇をゆっくりと撫で、唇の端から中央へ滑り、そこで止まった。
雄の色気に満ちた掠れた声が続ける。
「……あの日の続きをしても、いいだろうか」
じわりと、覚えのある甘い疼きが腰に生じた。
彼から視線を逸らすことができない。胸の鼓動がうるさいほどで、身体が熱くなる。
俺は明確に、この男を求めていた。崇高な精神と強靭な肉体を持つこの男が、この身体に食いつく様を見たいと思った。
彼が求めてくれるなら、拒む理由は思いつかなかった。公爵の策略だったとしても、かまわない。いまは目を瞑る。
「……入浴させてください」
かろうじて、それだけ告げた。
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